科学者の詩

2011年8月16日 日常
原子と人間


人間はまだ この世に生まれていなかった

アミーバもまだ 見えなかった

原子は しかし すでに そこに あった

スイソ原子も あったし

ウラン原子も あった 

原子は いつできたのか

どこで どうして できたのか 

だれも 知らない

とにかく そこには 原子が あった



原子は たえず 動きまわっていた

ながい ながい 時間が 経過していった

スイソ原子と サンソ原子が ぶつかって 水が できた

岩ができた

土が できた

原子が たくさん 集まって ふくざつな 分子が できた

いつのまにか アミーバが動きだした

しまいには 人間さえも 生まれてきた

原子は その間も たえず 活動していた

水のなかでも 土のなかでも

アミーバのなかでも

そして 人間の からだのなかでも

人間はしかし まだ 原子を知らなかった

人間の目には 見えなかったからである



また ながい時間が経過した

人間は ゆっくり ゆっくりと 未開時代から 脱却しつつあった

はっきりとした「思想」を持つ人々が あらわれてきた

ある 少数の天才のあたまのなかに「原子」のすがたが うかんだ

人々が 錬金術に うき身を やつす時代もあった

そうこうするうちに また 二千年に近い歳月が ながれた

「科学者」と よばれる人たちが つぎつぎと登場してきた

原子の姿が きゅうに はっきりしてきた

それが どんなに ちいさなものであるか

それが どんなに はやく 動きまわっているか

どれだけ ちがった顔の原子が あるか

科学者の答は だんだん細くなってきた

かれらは しだいに 自信をましていった

かれらは 断言した

「錬金術は 痴人のゆめだ

原子は永遠に その姿を かえないものだ

そして それは 分割できないものだ」



やがて 十九世紀も おわろうとしてた

このとき科学者は あやまりに 気づいた

ウラン原子が じょじょに こわれつつ あることを 知ったのだ

人間のいなかった昔から すこしずつ こわれつづけていたのだ

壊れたウランから ラジウムができたのだ

崩壊の さいごの残骸が ナマリとなって 堆積しているのだ

原子はさらに 分割できる事を知ったのだ

電子と 原子核に 再分割できるのだ



やがて 二十世紀が おとずれた

科学者はなんども 驚かねばならなかった

なんども 反省せねば ならなかった

原子の ほんとうの姿は 人間の心に描かれていたのとは すっかり 違っていた

科学者の努力は しかしむだではなかった

「原子とは何か」という問に こんどこそ まちがいのない答ができるようになった

「原子核は さらに分割できるか

それが 人間の力で できるか」

これが 残された問題であった

この最後の問に対する答は 何であったか

「然り」と 科学者が 答えるときが きた



実験室の かたすみで 原子核が 破壊されただけではなかった

ついに 原子バクダンがさくれつしたのだ

ついに 原子と人間とが 直面することになったのだ

巨大な原子力が 人間の手にはいったのだ

原子炉のなかでは あたらしい原子が たえず つくりだされていた

川の水で しじゅう冷やしていなければならないほど 多量の熱が 発生していた

人間が 近よれば すぐに死んでしまうほど多量の放射線が 発生していた

石炭の代わりに ウランを燃料とする発電所

もう すぐに それが できるであろう



1949年に湯川秀樹さんが書いた詩である。湯川さんといえば、日本で最初の原子力委員会に委員として参加している。しかし、政治主導で原子力発電を導入することには批判的で、原子力委員会を辞任している。

その湯川さんですら、危険と隣り合わせの原子力発電に一縷の望みを持っていたことが、この詩から分かる。最後のミステイクであった。

学者には、引退が近づくと、詩を書こうとする人が結構いる。私が知っている学者のサイトを覗いたとき、毎年100本を超える論文を書いていた彼が、詩を書いていた。

お世辞にも上出来とは言えなかったが。

今日は涼しく、小雨が時々降る。生徒一人を教え、楽勝で帰宅。明日はハードな一日になる。


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