先ほどグリーン(猫)の散歩をさせてきた。風は冷たいが、気温はそんなに低くない。

聞こえるのは、蝉の鳴き声にかわってコオロギや鈴虫の合奏。

街路樹の葉も舞い散る。まだ黄色い葉が多いものの、オレンジ色になるまで、そう時間はかからないだろう。

この季節、恩師や父親の命日。昨日、知り合いのフラワーアレンジャーに大阪の恩師宅へ花を送ってもらうよう頼んだところ。

ところで、昨日、買い物に行った時、入り口に赤い羽根共同募金のご婦人が立っていて、母親は幾ばくかの寄付をした。私は、ちょっと躊躇して、そのままスーパーへ入ろうとした。

すると「あの方にもどうぞ」と、私の分の羽までを母親に渡した。

ちょっと考えた。被災地への募金なら分かるが、毎年変わりのない赤い羽根。今年くらいは、被災地復興のため、など、何かそれと分かる表示が欲しかった。

それに、私は、あの赤い羽根というのが苦手だ。政治家などはステイタスシンボルのように、必ず、あの羽根を胸に付けている。

しかし、募金とは、そういうものであるべきか?寄付とは善意から行うものであり、その証拠を見せびらかすのはどうだろう。

だが、赤い羽根をもらってしまった以上、何がしかのことはしなければならないという気持ちになる。

買い物の後、ボロボロのバッグから財布を取り出した。500円硬貨があった。私の収入では、その辺が見合っている。しかし、人間、こんな時にも見栄を張るものである。

500円硬貨1枚では、寄付するとき、非常に少額であるかのように受け止められるかも知れない(もともと少額だが)。それなら、100円硬貨5枚の方が、音が鳴って景気が良い。

そこで、帰り、ポケットに100円硬貨5枚を忍ばせ、共同募金のご婦人方の前に現れた。固く握りしめた手を箱の中へ入れて、チャリチャリと音をさせ、無事、募金。

ご婦人方は「まあ、ありがとうございます」とお礼を言い、ついでに「先ほど、羽根をお渡しした方ですね」と念を押した。「はい」と答えたが、羽根は付けなかった。

今年の羽根は、針で付けるものではなく、シール式になっている。必要になるのは、また共同募金のご婦人方の前を通る時くらいだ。もう募金していますよというサインに。

赤い羽根共同募金は、年間180億円近くを集めるらしいが、是非、震災に遭われた人々の所へとどくことを祈っている。

と、くどくど、自分が募金したということを書いている私の方が、よほど質が悪い。

今日は、新しい生徒さんのところへ行く日。少し緊張する。性格の良い生徒であって欲しい。




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