アジア太平洋の時代?
2011年10月21日 日常12時に起床。1時間、グリーンを散歩させ、DNのブログを読んでいると1時半。
昨日は双子さんだったのだが、姉と妹の間に、埋めようのない実力差ができてしまった。双子なのに何故と思うが、人格は別のようだ。
さて、1960年ころの政治経済本を読んでいると、アメリカとヨーロッパ、北大西洋両岸の"leading citizens"が経済の相互依存を強め、世界をリードして行くという論調が当たり前だった。日本、ましてや中国など、蚊帳の外。
それが、1980年代ころになると、経済の中心は北大西洋「共同体」からアジア太平洋に移るのではないかというPacific Shift(パシフィック・シフト)論が台頭してきた。
その頃、ヨーロッパにいたのだが、ジャパンバッシング真っ盛りで、どこへ行っても私が日本政府や日本企業の代表であるかのごとく批判を浴びせられた。
確かに、官僚の作った経済計画に沿って経済成長を続ける日本を「最も成功した社会主義国」と呼ぶ者もいた。しかし、主流は、Japan Inc.、つまり「日本株式会社」というメタファーだった。
しかしながら、Pacific Shiftという言葉と裏腹に、1980年代のアジア太平洋地域にまとまりなどなかった。日本、東アジア、東南アジア、オセアニアなど、アジア太平洋地域の各国別GDPを見ると、当時は、日本だけが突出しており、アジア太平洋地域の富の50%以上が日本に集中していた。
無論、アジア太平洋地域とは何かという点についても合意は無かったし、今もない。
アジア太平洋地域とは、アメリカの西海岸と日本、オセアニア、東アジア・東南アジアのNIESであるという主張があったり、アメリカはアジア太平洋地域から除くべきだと主張する者もいた。
一方、1970年代には、いわゆる多国籍企業論争というものがあって、国民経済(National Economy)の死を宣告する者もいた。
1980年代において、少なくとも世界貿易の25%が、多国籍企業内の国境を超えた「企業内貿易」(intra-firm trade)だった。生産拠点の海外移転は、企業内貿易を増加させている。
更に、非関税障壁、つまり関税によらない自由貿易の制限も次々と現れた。輸出の自粛、現地生産の増加を求める恫喝、国内法に反する製品の輸入禁止、そして、農業産品への補助金などである。
貿易の勘定に使われる通貨の暴落は、貿易自体が変わらなくても、ある国の貿易赤字を増やしたり、貿易相手国の貿易黒字を増大させたりする。これを純粋な国際貿易とは呼べない。
現在のいわゆる「アジア太平洋地域」は大きく変容し、オーストラリアのイニシアティブで打ち上げられたAPEC(アジア太平洋経済協力)も想定を超えた広がりを見せている。
一つだけ確かなのは、21世紀において、ヨーロッパが世界の成長センターから取り残されることによって、北大西洋「共同体」の意味が薄れ、太平洋両岸のleading citizensが世界貿易を牽引しているということだ。
アメリカ人は、ヨーロッパの人間より、欧州地域統合を信じていた。それを「アジア太平洋地域」の経済統合に援用したのがTPPだ。
残念ながら、アジア太平洋地域には、ヨーロッパほどの地域的統合は見られない。「アジア太平洋自由貿易圏」 (FTAAP)は時期尚早で、幻想に過ぎないのではないか。
今後の推移を注意深く見守りたい。そして、それ以前に、日本政府はフクシマ問題に全力を注入して欲しい。
さて、仕事の時間だ。今日は、金曜日最後のダブル授業となるはずだ。明日は何もせず、ゆっくりと休みたい。
昨日は双子さんだったのだが、姉と妹の間に、埋めようのない実力差ができてしまった。双子なのに何故と思うが、人格は別のようだ。
さて、1960年ころの政治経済本を読んでいると、アメリカとヨーロッパ、北大西洋両岸の"leading citizens"が経済の相互依存を強め、世界をリードして行くという論調が当たり前だった。日本、ましてや中国など、蚊帳の外。
それが、1980年代ころになると、経済の中心は北大西洋「共同体」からアジア太平洋に移るのではないかというPacific Shift(パシフィック・シフト)論が台頭してきた。
その頃、ヨーロッパにいたのだが、ジャパンバッシング真っ盛りで、どこへ行っても私が日本政府や日本企業の代表であるかのごとく批判を浴びせられた。
確かに、官僚の作った経済計画に沿って経済成長を続ける日本を「最も成功した社会主義国」と呼ぶ者もいた。しかし、主流は、Japan Inc.、つまり「日本株式会社」というメタファーだった。
しかしながら、Pacific Shiftという言葉と裏腹に、1980年代のアジア太平洋地域にまとまりなどなかった。日本、東アジア、東南アジア、オセアニアなど、アジア太平洋地域の各国別GDPを見ると、当時は、日本だけが突出しており、アジア太平洋地域の富の50%以上が日本に集中していた。
無論、アジア太平洋地域とは何かという点についても合意は無かったし、今もない。
アジア太平洋地域とは、アメリカの西海岸と日本、オセアニア、東アジア・東南アジアのNIESであるという主張があったり、アメリカはアジア太平洋地域から除くべきだと主張する者もいた。
一方、1970年代には、いわゆる多国籍企業論争というものがあって、国民経済(National Economy)の死を宣告する者もいた。
1980年代において、少なくとも世界貿易の25%が、多国籍企業内の国境を超えた「企業内貿易」(intra-firm trade)だった。生産拠点の海外移転は、企業内貿易を増加させている。
更に、非関税障壁、つまり関税によらない自由貿易の制限も次々と現れた。輸出の自粛、現地生産の増加を求める恫喝、国内法に反する製品の輸入禁止、そして、農業産品への補助金などである。
貿易の勘定に使われる通貨の暴落は、貿易自体が変わらなくても、ある国の貿易赤字を増やしたり、貿易相手国の貿易黒字を増大させたりする。これを純粋な国際貿易とは呼べない。
現在のいわゆる「アジア太平洋地域」は大きく変容し、オーストラリアのイニシアティブで打ち上げられたAPEC(アジア太平洋経済協力)も想定を超えた広がりを見せている。
一つだけ確かなのは、21世紀において、ヨーロッパが世界の成長センターから取り残されることによって、北大西洋「共同体」の意味が薄れ、太平洋両岸のleading citizensが世界貿易を牽引しているということだ。
アメリカ人は、ヨーロッパの人間より、欧州地域統合を信じていた。それを「アジア太平洋地域」の経済統合に援用したのがTPPだ。
残念ながら、アジア太平洋地域には、ヨーロッパほどの地域的統合は見られない。「アジア太平洋自由貿易圏」 (FTAAP)は時期尚早で、幻想に過ぎないのではないか。
今後の推移を注意深く見守りたい。そして、それ以前に、日本政府はフクシマ問題に全力を注入して欲しい。
さて、仕事の時間だ。今日は、金曜日最後のダブル授業となるはずだ。明日は何もせず、ゆっくりと休みたい。
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