旅の断章 モンゴル人編
2012年1月8日 日常 コメント (4)先ほど特別授業より帰宅しました。日曜に仕事とは、とほほ・・・
と、日常を書けば愚痴ばかりになるので、久しぶりに旅の断章を。
それは、プラハ、駅のレストランでクネドリーキ(蒸しパン?茹でパン?)を食べていると、日本人とおぼしき人が向かいの椅子に座りました。
日本からですか?と聞くと、日本語が通じないようです。どこから?と英語で聞くと、モンゴル人であることが判明。
朝青龍とか白鵬と違って、私がこれまで会ったモンゴル人は、さすがモンゴロイドのご先祖という感じで、日本人そっくり!いや、日本人がモンゴル人に似ているんですね。
話を聞けば、モンゴルを離れて早2年。当時のチェコ(スロバキア)とモンゴルは社会主義国。社会主義の友情というのでしょうか、彼は東洋人の珍しいチェコに留学していたのでした。
かなりのエリートだったと思います。当時のモンゴルならロシア語を強制的に習わされただろうに、流ちょうな英語まで話す。チェコ語も勉強したのだろう。
ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく(石川啄木)じゃないが、東洋人に飢えていたのだろう。
で、彼もクネドリーキを注文。日本人にとってのおにぎりやラーメンですね、チェコの国民食。
何を話したかほとんど覚えていないが、何を勉強しているんだ?とか、チェコは好きか?とか、そんなことだったと思う。
そして、覚えているのは、将来、何になるんだ?ときいたときの答だ。彼はドラマーになりたいと答えた。
私は、当然、政府の高官か大学で教えるのだろうと思っていたので意外だった。ドラマーって、一体どういう意味だろう?
今になって調べたのだが、モンゴル・シャーマン教というのがあって、そのシャーマンが持つのがノロジカの革で作ったドラムらしい。
http://ameblo.jp/ganzorig/entry-10085866918.html
社会主義時代、モンゴルシャーマン教も弾圧を受け、消滅寸前になっていたとか。
彼の言葉は2重の意味を持っていたものと思われる。
一つは、チェコという、およそモンゴルとは無縁な社会で、彼は、シャーマン教というモンゴルの精神的支柱に目覚めたのではないか。
もう一つは、シャーマン教を弾圧する社会主義というものに対するプロテストだったのでもあろう。
もっと、ちゃんと話を聞くべきだった。住所を交換し、クネドリーキの代金は何故か私が自動的に払うこととなった。
さあ、お別れかと思いきや、彼は、ずっと私についてくる。トイレに寄っても、彼は外で私を待っている。
駅を出てバスを待っていると、彼も待っている。じゃあ、さようならと言い、次のバス停まで歩き始めると、やはり彼は私の後ろにいる。
そ~んなに東洋人が恋しかったんだな~!でも私にも予定がある。
そこで、とうとう、タクシーをひろった。じゃあ!と言って乗ると、さすがの彼も悲しそうな目で私を見送っていた。
何だか悪いことをしたみたいで、罪悪感が残った。私だってヨーロッパに住んでいた時、中国人やタイ人を見ると、彼らが東洋人だというだけで親しみを感じたから。
しかし、旅は一期一会。私は今日まで彼に連絡をとっていない。ドラマーになったのであろうか。
と、日常を書けば愚痴ばかりになるので、久しぶりに旅の断章を。
それは、プラハ、駅のレストランでクネドリーキ(蒸しパン?茹でパン?)を食べていると、日本人とおぼしき人が向かいの椅子に座りました。
日本からですか?と聞くと、日本語が通じないようです。どこから?と英語で聞くと、モンゴル人であることが判明。
朝青龍とか白鵬と違って、私がこれまで会ったモンゴル人は、さすがモンゴロイドのご先祖という感じで、日本人そっくり!いや、日本人がモンゴル人に似ているんですね。
話を聞けば、モンゴルを離れて早2年。当時のチェコ(スロバキア)とモンゴルは社会主義国。社会主義の友情というのでしょうか、彼は東洋人の珍しいチェコに留学していたのでした。
かなりのエリートだったと思います。当時のモンゴルならロシア語を強制的に習わされただろうに、流ちょうな英語まで話す。チェコ語も勉強したのだろう。
ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく(石川啄木)じゃないが、東洋人に飢えていたのだろう。
で、彼もクネドリーキを注文。日本人にとってのおにぎりやラーメンですね、チェコの国民食。
何を話したかほとんど覚えていないが、何を勉強しているんだ?とか、チェコは好きか?とか、そんなことだったと思う。
そして、覚えているのは、将来、何になるんだ?ときいたときの答だ。彼はドラマーになりたいと答えた。
私は、当然、政府の高官か大学で教えるのだろうと思っていたので意外だった。ドラマーって、一体どういう意味だろう?
今になって調べたのだが、モンゴル・シャーマン教というのがあって、そのシャーマンが持つのがノロジカの革で作ったドラムらしい。
http://ameblo.jp/ganzorig/entry-10085866918.html
社会主義時代、モンゴルシャーマン教も弾圧を受け、消滅寸前になっていたとか。
彼の言葉は2重の意味を持っていたものと思われる。
一つは、チェコという、およそモンゴルとは無縁な社会で、彼は、シャーマン教というモンゴルの精神的支柱に目覚めたのではないか。
もう一つは、シャーマン教を弾圧する社会主義というものに対するプロテストだったのでもあろう。
もっと、ちゃんと話を聞くべきだった。住所を交換し、クネドリーキの代金は何故か私が自動的に払うこととなった。
さあ、お別れかと思いきや、彼は、ずっと私についてくる。トイレに寄っても、彼は外で私を待っている。
駅を出てバスを待っていると、彼も待っている。じゃあ、さようならと言い、次のバス停まで歩き始めると、やはり彼は私の後ろにいる。
そ~んなに東洋人が恋しかったんだな~!でも私にも予定がある。
そこで、とうとう、タクシーをひろった。じゃあ!と言って乗ると、さすがの彼も悲しそうな目で私を見送っていた。
何だか悪いことをしたみたいで、罪悪感が残った。私だってヨーロッパに住んでいた時、中国人やタイ人を見ると、彼らが東洋人だというだけで親しみを感じたから。
しかし、旅は一期一会。私は今日まで彼に連絡をとっていない。ドラマーになったのであろうか。
コメント
昨年、息子夫婦と妹と、珍道中(?)しました。
良い意味での共産圏の文化が残っていて、小さくて可愛い街で、皆、いっぺんにチェコが好きななりましたよ。
地下鉄のエスカレーターの速さ、深さ、衝撃的でした。(笑)
ちょうど、トム・クルーズがロケしてて・・・。
忘れられない旅になりましたよ。(笑)
うわぁ~、アミさんからコメントをいただけるなんて嬉しいです。
そうですね、プラハ市民は、中世から変わらぬ街並みを大切に保存
してきたそうです。ほんと、プラハはコンパクトで可愛い街です。
私、おそらくバスではなく路面電車で移動していたはず。かなり昔
の話なので、記憶が飛んでいます(笑)
今度は地下鉄にも乗ってみます。ロンドンの地下鉄も深くてびっくり
しますよね。
そうですか『ミッションインポッシブル4』ですね。プラハでトム・
クルーズ、意外な組み合わせです。忘れられない旅になったのも納得
です(笑)
洪水の時は心配しましたが、プラハはいつまでも変わらないでいて欲し
いです。今回のヨーロッパ旅行では行けないのですが。
モンゴルは私たちのルーツなんじゃないかな。
アジアに旅行するときは蒙古斑について聞いて回りたいですね。
お久しぶりです。そうですね。特に鉄道での旅に、
そういう何気ない出会いが多いです。
氷河期に今のモンゴルあたりに閉じ込められていた
人が新モンゴロイドの祖先らしいですね。間違いな
くルーツです。
蒙古斑は興味深いですね。調べてみて、知らなかっ
たことも発見。アジアに旅することがあれば、私も
聞いて回りたいと思います。