ルンドとコペンハーゲンの間には橋が架かっている。ジョー一家がコペンハーゲン空港まで送ってくれることになり、私は随分と楽をしてしまった。
彼らと夕食を共にし(クローン病ゆえ、私は食べなかったのだが)、さて、チェックインと思ったら、やはり機械で自動チェックインをして下さいと。
ウィーンではeチケットのチケットナンバーをハイフン抜きでインプットし、見事スイスへ脱出できたので、今回もそうかと思っていた私。
ところがだ、さすが奥の深いヨーロッパ。コペンハーゲン空港では、レファレンンス番号を入力せよと。で、レファレンス番号をインプットしていたのだが、何回もはねられる。
ジョーが、係員に聞いた方がいいよと。聞けば、レファレンスナンバーはレファレンスナンバーでも、スラッシュ以降のナンバーをインプットしてくださいと。
それならそうと書いておいておくれ!
これも、ロックスターのように、飛行機でヨーロッパを駆けまわる無理なプランニングの結果だが。電車だと何の問題もない。時間がかかるだけ。
こうして、私は真夜中ちょっと前にオスロへ到着。安いホテルに一泊。明日は、9時に、中国人の同僚で、昨年、突然亡くなったリンの息子さんに会うことになっている。
オスロ空港から街中まではFlytogetという高速電車があるのだが、もうほんとうにクタクタで、明日も早いので、タクシーに乗るという暴挙に出た。
いや、それが、オスロ空港からオスロ中心部までの距離が長い。980ノルウェークローネに最初からタクシー代が設定されている。1万4千円超。しまった、乗るんじゃなかった!
ホテル代をけちって6800円に抑えたのに、タクシー代が1万4千円!しかも、財布の中には600ノルウェークローネしかない!キャッシュカードもない(あったのだが、使わないことに決めていた)!50分近くも走った。
どうしようかと迷った挙句、日本円の現金(万札しかなかった)2万円を支払って、おつり5千円弱をノルウェー通貨で支払ってもらうことに。レート悪すぎ。タクシーの運転手は万札が本物かどうか、透かしを確認する始末。
オスロ空港からなら、Flytogetかバスですよ、みなさん!
ほんと、これならFlytogetにすべきだった!楽を求めると高くつく。これ、旅の常識。私は気を取り直し、安いホテルの朝食(ホテル代に朝食代込み)をわんさかと食べ、昼食も夕食もとらないことにした。
ホテル代は安いのに、朝食のビュッフェは豪華で、特にスモークサーモンが抜群に美味しい。ま、ダブルルームのシングルユースだったし、朝食も美味しかったし、タクシー代のことは水に流す。
スーツケースはラゲッジルームに預け、タクシーを呼んでもらう。リンの息子さんローローに電話して、予定より30分早い8時半に彼のアパートまで行くことにした。
仕事があるというのに、建築事務所のインターンを始めたばかりのローローは朝の時間を割き、会ってくれる。4階建てのアパートだった。
私は彼の父親リンと母親シュウファのおかげでルンドでの留学をやり過ごせたと言っても過言ではない。スウェーデン人より中国人について学んだ2年間だった。
聞けば、リンは享年57歳で、死因は白血病だった。心臓に問題があったので、私は心臓のトラブルで亡くなったのだろうと思い込んでいた。
中国の環境政策が専門で、亡くなる数年前は、中国の研究所50%、オスロの研究所50%と、中国とノルウェーの間を頻繁に行き来していたらしい。
お墓は中国に作る予定で、アパートにはリンの写真とローソクが置かれていた(写真1)。私はカトリック式で祈ってよいかどうかを尋ね、十字を切った。
写真の中でリンは微笑み、まるで、私が来ることを予感していたかのようだった。
悲しい再会なのだが、子息のローローがリンにそっくりで、私はあたかもリンと話しているかのような錯覚に陥った(写真2)。
葬儀の時の写真を見せてもらい、しばらく話したあと、私は、ようやく彼の突然の死を受け入れることができた。
ローローに別れを告げ、再びタクシーで、オスロセントラル駅へ移動した(写真3)。物価はめちゃくちゃ高いが、人々は優しく、空が蒼い。(つづく)
彼らと夕食を共にし(クローン病ゆえ、私は食べなかったのだが)、さて、チェックインと思ったら、やはり機械で自動チェックインをして下さいと。
ウィーンではeチケットのチケットナンバーをハイフン抜きでインプットし、見事スイスへ脱出できたので、今回もそうかと思っていた私。
ところがだ、さすが奥の深いヨーロッパ。コペンハーゲン空港では、レファレンンス番号を入力せよと。で、レファレンス番号をインプットしていたのだが、何回もはねられる。
ジョーが、係員に聞いた方がいいよと。聞けば、レファレンスナンバーはレファレンスナンバーでも、スラッシュ以降のナンバーをインプットしてくださいと。
それならそうと書いておいておくれ!
これも、ロックスターのように、飛行機でヨーロッパを駆けまわる無理なプランニングの結果だが。電車だと何の問題もない。時間がかかるだけ。
こうして、私は真夜中ちょっと前にオスロへ到着。安いホテルに一泊。明日は、9時に、中国人の同僚で、昨年、突然亡くなったリンの息子さんに会うことになっている。
オスロ空港から街中まではFlytogetという高速電車があるのだが、もうほんとうにクタクタで、明日も早いので、タクシーに乗るという暴挙に出た。
いや、それが、オスロ空港からオスロ中心部までの距離が長い。980ノルウェークローネに最初からタクシー代が設定されている。1万4千円超。しまった、乗るんじゃなかった!
ホテル代をけちって6800円に抑えたのに、タクシー代が1万4千円!しかも、財布の中には600ノルウェークローネしかない!キャッシュカードもない(あったのだが、使わないことに決めていた)!50分近くも走った。
どうしようかと迷った挙句、日本円の現金(万札しかなかった)2万円を支払って、おつり5千円弱をノルウェー通貨で支払ってもらうことに。レート悪すぎ。タクシーの運転手は万札が本物かどうか、透かしを確認する始末。
オスロ空港からなら、Flytogetかバスですよ、みなさん!
ほんと、これならFlytogetにすべきだった!楽を求めると高くつく。これ、旅の常識。私は気を取り直し、安いホテルの朝食(ホテル代に朝食代込み)をわんさかと食べ、昼食も夕食もとらないことにした。
ホテル代は安いのに、朝食のビュッフェは豪華で、特にスモークサーモンが抜群に美味しい。ま、ダブルルームのシングルユースだったし、朝食も美味しかったし、タクシー代のことは水に流す。
スーツケースはラゲッジルームに預け、タクシーを呼んでもらう。リンの息子さんローローに電話して、予定より30分早い8時半に彼のアパートまで行くことにした。
仕事があるというのに、建築事務所のインターンを始めたばかりのローローは朝の時間を割き、会ってくれる。4階建てのアパートだった。
私は彼の父親リンと母親シュウファのおかげでルンドでの留学をやり過ごせたと言っても過言ではない。スウェーデン人より中国人について学んだ2年間だった。
聞けば、リンは享年57歳で、死因は白血病だった。心臓に問題があったので、私は心臓のトラブルで亡くなったのだろうと思い込んでいた。
中国の環境政策が専門で、亡くなる数年前は、中国の研究所50%、オスロの研究所50%と、中国とノルウェーの間を頻繁に行き来していたらしい。
お墓は中国に作る予定で、アパートにはリンの写真とローソクが置かれていた(写真1)。私はカトリック式で祈ってよいかどうかを尋ね、十字を切った。
写真の中でリンは微笑み、まるで、私が来ることを予感していたかのようだった。
悲しい再会なのだが、子息のローローがリンにそっくりで、私はあたかもリンと話しているかのような錯覚に陥った(写真2)。
葬儀の時の写真を見せてもらい、しばらく話したあと、私は、ようやく彼の突然の死を受け入れることができた。
ローローに別れを告げ、再びタクシーで、オスロセントラル駅へ移動した(写真3)。物価はめちゃくちゃ高いが、人々は優しく、空が蒼い。(つづく)
コメント
ちなみに我が家はみんな大好物で、スライスたまねぎとともにマリネにします。
スモークサーモンは何種類もあって、どれも美味しかったです!北欧っぽいですよね。朝からスモークサーモン。
邪道かも知れませんが、私は、キャビア(とは言っても、タラコをペースト状にしたものです)が歯磨き粉のようなチューブに入ったもの(KAVIARチューブ)を付けていただきました。何にでも合うんですよ。
マリネもいいですね。北欧では、スーシル(ニシンのマリネ)が名物で、ルンドでは、学生の時、いつも行っていたスーパーで、ニシンをマスタードでマリネイドした瓶詰を買って食べました。美味!懐かしい!
ついでに、ヤギのチーズ(ヤイトオスト)にもハマっており、わざわざ、そのブルーチーズ版も購入しました。
名称は不正確かも知れませんのでご注意を。
で、全部、ホテルの冷蔵庫に忘れてきました(笑)