昔、京都は丹波の親戚から、毎年、このシーズンになると栗を送ってきたものだ。

小さな穴があいていて、皮を剥くと、ニョロニョロした虫が出てきた。栗が何日も旅をしているうちに寄生したのだろう。

先週、スーパーで買った茨城産の栗は、ピカピカしていてとても綺麗。もちろん、虫の穴なんてない。

私は栗ご飯の作り方など知らない。そこで、日ごろ、セミ介護のようなことをしている強みから、母親に作ってもらうことにした。

1日1食生活は2週間目くらいに入り、体重は4キロ減った。そして、夜食の時の食欲と言えば、筆舌に尽くしがたし。

まったく美味しい。これが栗の甘さというものであったか!私は感動して、一口一口、ゆっくりと味わったのであった。

古人も、栗とか瓜などの甘いものには目がなく、その自然の甘さに対する感動は、いくつもの歌や作品になっている。

人類が砂糖と脂肪を好きなだけ食べられるようになったのはつい最近のことだ。

すると「栗食い姫」のことを思い出した。美しいのだが、一年中、栗ばかり食べる変人で、親が他人に見せることを憚っていたという話だ。

どこで読んだのだろう?失念。ネットで探していると、徒然草の第四十段「 因幡国」であることが判明。

「因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、ただ、栗をのみ食ひて、更に、米の類を食はざりければ、かかる異様の者、人に見ゆべきにあらずとて、親許さざりけり」

高校の時、この一文に出会って以来、今でも覚えているということは、余程、気になったということだろう。

だいたい、誰が「かたちよし」と最初に言い出したのか?親以外に見ていないはずではないか?すると親か?いや、盗み見たものがいたのか?

どうも、人に会わせたくない理由が他にあったのではないか?

「米の類を食べざり」というのが、そんなに「異様」だろうか?

いやいや、高校生の頃は「栗だけで生きていけるのだろうか?」などと単純な疑問を抱いただけに違いない。

少なくとも一つ決定的に言えるのは、栗食い姫は、栗ご飯を食べたことがなかったか、その時代、栗ご飯というものが無かったということだ。

こんなオチかい?

コメント

ミハーハハ
2012年10月5日13:21

かたちよし、というのはきっと親が周りに吹聴したんでしょうね。
それにしても栗ご飯はおいしいですね。我が家にもなるのですが、イガイガとって鬼皮渋皮むいてって結構大変。おふくろの味、感謝ですね。

lister
2012年10月6日7:31

☆ミハーハハさん

そうですね、余りに可愛い娘で、嫁に行かせたくなかったため、
栗ばかり食べるなんて嘘をついていたかも知れません。

ご自宅に栗の木があるのですか?母も、皮を剥くのが一番大変
なので、今度は手伝うようにと申しておりました。

栗ご飯、おふくろの味、感謝です。

nophoto
Aliro
2012年11月1日6:08

That’s an expert answer to an interesting qeusiton

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