7月に叔父が亡くなったことについては書いたと思う。で、今、喪中はがきの注文ということを考えている。

叔父は、母の妹の配偶者である。ネットで喪中はがきの注意点をチェックしていて驚いた。喪中はがきは、通常、自分を中心に、2親等以内と書いてある。

であれば、私が喪中はがきを送るのは差し出がましいことになる。

しかし、あるサイトには、このような関係の人でも、親しい付き合いがあった場合、あるいは、とても年賀状を書けない心境にあれば、喪中欠礼をすることもあると書いてあり、ようやく決心した次第。

私と叔父の関係はクリアーだが、では、母と叔父の関係はどうなのか?母より1歳年上だったので、母にとっては義兄でいいのだろうか?多分。

次が、誰に出すか?という疑問である。叔父の親類にまで出すのか、不幸を知らない人に限って出すのか?

質問サイトによれば、通常、年賀状を出す間柄なら、誰にでも出す、とあった。分かりやすい。

10月末から、遅くても、12月初めには出すのがマナーということだから、もう喪中はがきを注文してもよい時期だ。

それにしてもだ、喪中はがきをもらうことほど嫌なこともない。やはり、新年は、おめでとう!と祝いたいし、友人知人の近況を知りたい。

さて、話題は変わって、今、PCを起動させる度に1ページという読書をしている。読んでいるのは、社会学の重鎮デュルケームの『自殺論』である。

最初は、ヨーロッパ、しかもフランス中心だし、日本を含めた諸地域の自殺を考えるには狭すぎると思っていたが、自殺論がそこから始まったなら、やはり読むべきだろうと考え直した。

自殺。これほどよく使う日常語もない。「ああ、もう自殺したい!」なんてよく聞くフレーズである。

デュルケームは、そのような「自殺」という言葉の定義を注意深く行っている。

「死が、当人自身によってなされた積極的、消極的行為から直接、間接に生じる結果であり、しかも、当人がその結果の生じうることを予知していた場合を、すべて自殺と名づける」と。

「死という結果をまねく前に中止されるものが、自殺未遂である」と続ける。

1897年の著書だが、マルセル・モース氏が調査した2万6千人の自殺ケースを基にして書かれたものである。

2万6千件と言えばすごい数字だが、今日の日本における年間自殺者数の1年分を下回る。

ともあれ、まだ読み始めたばかりの書である。感想は後日。

今日は2人を教える。1日1食生活は順調に進んでおり、毎日、夜食の献立を考えるのが楽しみである。私は確実にベジタリアンになりつつある。

コメント

loving-c.
loving-c.
2012年10月12日12:43

私も昨年叔父(父の末弟)を亡くしましたが、
父に「お前は喪に服する必要はない」と言われたので、
服喪せず、喪中欠礼の葉書も出しませんでした。

それから、(脈略ありませんが)、
デュルケムの『自殺論』、持っているものの積読になっています。
アノミー(無規範状態)という、
犯罪学における重要概念を初めて用いた画期的な書物なので、
読まなければならないのですが、
なかなか読むに至りません・

lister
2012年10月13日9:10

☆loving-c.さん

私も、母に、喪中はがきは出す必要はないと言われましたが、こういう
ことは気持ちなので、昨日、注文してしまいました。

何せキリスト教徒なので、一般の喪中はがきと文面が大きく違うため、
パターン化された文面を使えず、フリー文章で注文しました。横書きで
す。

そもそも、キリスト教徒が喪中のはがきを出すべきかという問題もありま
すが(笑)

ええ、『自殺論』の中には「アノミー的自殺」という章があります。犯罪
学の重要概念なんですね。注意して読みたいと重います。読み進めると、
結構面白いですよ。

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