何の違いか?

2012年12月5日 日常
まあ、しばしば、原発のことについては書いてきた。「微量」放射線の遺伝への影響をもう少し調べれば、他の話題に関する本を読みたいと思っている。

で、各党の公約を読んでみたのだが、明らかに原発推進なのは維新の会だけである。維新の会の中でも、この点で分かれていると橋本氏は説明するが。

何だかんだ言っても、他の党は、原発なき日本を目指しているとしか思えないのである。

私のプライオリティーは、もちろん原発政策だ。憲法を改正するとか、景気がどうだとか言っていられるのは、フクシマのような事態が再び起きない間だけだ。

起こリ得ないことが起こった、とフクシマを評する人がいる。

しかし、起こりえないことは日常的に原発で起こっており、それは、起こるべくして起こったのだ。

福島で、TPPや憲法改正について訴える政党があれば、それは冗談以外の何物でもない。

そのことは他県の人々も重々承知している。だから他党も口先だけでは反原発で行かなければ集票できない。

とすれば、維新の会に一票を投じる人以外、原発政策で投票すべき政党を選ぶことが難しくなる。

すると、原発政策は、争点にならなくなる。

どの党が本気で反原発を考えているかなんて、どうすれば分かるのか?公約の文言からは不可能だ。

余りにマイナーな万年野党なら何でも言えるが、そんなものが政府の政策に反映されるわけがない。

原発ありきから原発無しに踏み込むことは非常にリスキーであり、原発村との激しいバトルが必要となる。

核不拡散という美辞麗句で日本の反原発への切り替えを妨害している凋落の迷惑者「親方アメリカ」の問題もある。

これからの時代、アメリカの顔色を伺わなければ何もできないと信じているのは、戦後焼跡派世代くらいのものだろう。

ということで塞ぎこんでいる今日この頃。

ところで、前回の日記で、ビーガンになる動機を、殺される動物・魚介類に対する憐れみではないと書いたが、真っ赤な嘘だ。

実は、イカをさばいている時、このイカ、俺が食べなければ、今ころ大洋を自由に泳いでいたはずだ、何で、俺に、このイカの自由を奪う資格があろうか?と自責していたのだ。

だいたい、目が澄んでいる。何も悪いことはしていないイカだ。ゲソと胴体に分離したが、歯のある口というか頭は捨てざるを得ない。

人間に同じことをすれば外道だろう。寒気がする。

それに、たとえば、魚だって、カキだって、ホタテだって、海から引き揚げられると、エラ呼吸だから、結局、窒息死するわけだ。

苦しんでいないと誰が言えよう?

カニも然りだ。海の底から呼吸のできない地上に引き揚げられたのみならず、生きているまま釜へ入れられ、熱地獄にもがきながら死ぬのだ。

そんな惨たらしい死に方を選ばされる罪をカニは一切犯していない!

やはり、ビーガンになる動機は、こういう目に見える残酷さから自由でありたいという原始的本能に過ぎない。

野菜に対しては、そういう苦しみを直感できないという人間の鈍感さがビーガンを生み出しているのだろう。

健康であろうと思うだけなら、ビーガンになる必要はない、と。












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