休日っていいなぁ。
仕事を終えた後には充実感があるのに、何故に休みたがる?
そりゃあね、やっぱり他人に使われているからでしょう。
かと言って、自営業は忙し過ぎてできないし。
昔は、リオデジャネイロで焼き鳥屋をやろうと思っていたが、日系人の女の子に、ブラジルはそんなに簡単な国ではないと注意された。
白人と付き合うとロクなことはない、病気をうつされるしね、という台詞を耳にした時、私のブラジル観は見事に崩れたのだ。
コパカバーナ、イパネマとビーチは綺麗だが、そりゃ観光客として滞在するぶんには理想郷だ。
しかし、移住するとなると、やはり日系人はマイノリティーだ。
別の日系人の女の子によれば、ブラジル人は、日系人がちょっとでもミスをすると、ここぞというほどバカにするらしい。
学校の先生が、日系人なのに数学の点数が96点なのは一体どうしたのか!と渇をいれるらしい。100点じゃなくちゃ日系人じゃないよ!と。
私も、安ホテルのキーを部屋に残したままオートロックのドアを閉めたことがある。客だというのにフロントの係員からあからさまに馬鹿にされた。
ポルトガル語なのだが、罵られていることは理解できた。担当者がドライバーなどでドアをこじ開け、何をやっているんだ!?という目で見られた。
ちくしょう!「先進国」のホテルにはマスターキーというのがあって、こんなのノープロブレムだよと、ポルトガル語でどれほど言いたかったことか。
日系人と日本人では態度に若干の違いはあるのだろうが、金を持っているかどうかの問題だと思った。
オリンピックの準備は遅々として進んでいないようだし、W杯に反対するデモが起きたりする。
理解を超えた国なんだろうが、また行きたい国は?と問われれば、やはり、ブラジル、リオデジャネイロと答えてしまうのは何故だろう。
仕事を終えた後には充実感があるのに、何故に休みたがる?
そりゃあね、やっぱり他人に使われているからでしょう。
かと言って、自営業は忙し過ぎてできないし。
昔は、リオデジャネイロで焼き鳥屋をやろうと思っていたが、日系人の女の子に、ブラジルはそんなに簡単な国ではないと注意された。
白人と付き合うとロクなことはない、病気をうつされるしね、という台詞を耳にした時、私のブラジル観は見事に崩れたのだ。
コパカバーナ、イパネマとビーチは綺麗だが、そりゃ観光客として滞在するぶんには理想郷だ。
しかし、移住するとなると、やはり日系人はマイノリティーだ。
別の日系人の女の子によれば、ブラジル人は、日系人がちょっとでもミスをすると、ここぞというほどバカにするらしい。
学校の先生が、日系人なのに数学の点数が96点なのは一体どうしたのか!と渇をいれるらしい。100点じゃなくちゃ日系人じゃないよ!と。
私も、安ホテルのキーを部屋に残したままオートロックのドアを閉めたことがある。客だというのにフロントの係員からあからさまに馬鹿にされた。
ポルトガル語なのだが、罵られていることは理解できた。担当者がドライバーなどでドアをこじ開け、何をやっているんだ!?という目で見られた。
ちくしょう!「先進国」のホテルにはマスターキーというのがあって、こんなのノープロブレムだよと、ポルトガル語でどれほど言いたかったことか。
日系人と日本人では態度に若干の違いはあるのだろうが、金を持っているかどうかの問題だと思った。
オリンピックの準備は遅々として進んでいないようだし、W杯に反対するデモが起きたりする。
理解を超えた国なんだろうが、また行きたい国は?と問われれば、やはり、ブラジル、リオデジャネイロと答えてしまうのは何故だろう。
コメント
迫害されたらしいです。
>学校の先生が、日系人なのに数学の点数が96点なのは一体どうしたのか!
>と渇をいれるらしい。100点じゃなくちゃ日系人じゃないよ!と。
何という浅はかな民族的偏見なのでしょうか。
私の高校時代の数学の成績はひどかったのです。
したがって数学の苦手な日本人・日系人なんていくらでもいます。
学校の教師にあるまじき知的怠惰さだと思います。
大戦中は負け組、勝ち組に分かれて日系人同士の抗争もあったとか。
一般に日系人は熱心に勉強するそうで、日系人を殺さなければ大学に入れない(ブラジリアンジョークです)といわれるほどです。
また、日系人は商売も上手で、金勘定が得意、というか、非日系ブラジル人がどんぶり勘定なんだと思いますが、僻みがあるようです。
ただ、日系人でもドロップアウトする人はいますし、混血が進んで、誰が日系人なのか分からないという状況にもなってきています。
ブラジルだけではなくて一般的に南米は混血も進んでいるので人種的な差別はそれほどないという印象です。特に肌の色の違いには抵抗がないように思いますが。
第二次大戦後は、日本の勝利を信じて疑わなかったいわゆる「勝ち組」と敗戦国日本にはもう帰らないと決めた「負け組み」との間で血なまぐさい抗争もあったようですね。
現地に残ってそこで生きていくと決めた人々は、日本人学校を捨て現地の学校で子どもたちを教育し彼らは将来現地で生きていくために懸命に勉強したのでしょう。今では医師や教師や弁護士(そういえばフジモリさんという政治家もいましたね)などの社会的地位を築いていますものね。。
そして、今日では入管法が改正されたこともあり大勢の日系南米人が来日し定住しています。
さて、我々日本人はこれからどのようにこの人たち、日系人だけではなく中国やフィリピン、ベトナム、ネパールetc.etc.…の就労目的で来日す人々と付き合うことになるのでしょうね?
コメントをいただきありがとうございます。
私も、ブラジルには人種差別がないと信じていたのですが、上へ行くほど白人、下へ行くほど黒人という社会構造に揺らぎは無いですね。
先住民族のサポートで何度かブラジルへ行きましたが、混血系の人が「先住民族だけがブラック、あとはみなホワイトだよ」と言ってましたけど違いますね。
伯父がブラジルで神父をしていましたが、教会も然り。トップはみな白人。日系人も含む富裕層はメイドを雇っていますが、ほぼ黒人です。
南米の富裕層というのはごく少数なので、ピュアな白人の人口が少なくても、彼らが支配層であることに何ら不思議はありません。
白人の血が流れていても、どちらかの親が日系人なら、彼らは日本人と呼ばれます。この辺の区別というか差別は北米より根深いものがあります。
そういう土壌で這い上がるために、日本人は、先ず、教育を優先しました。日系人は最初に学校を建てると揶揄されます。
90数%カトリックのブラジルで、最初に建てるべきは教会だからです。これも差別の原因となりました。信心深くない、金のことばかり考えると。
考えてみると、医師や教師(少ないと思います。収入が低いですので)や弁護士は富裕層に雇われる存在ですよね。高々その程度です。
フジモリ氏がペルーの大統領になり、過激派を鎮圧する手柄をたてた割には、随分と汚い手で引き摺り下ろされましたよね。
ペルー人には「日本人を大統領にしてやったんだから、日本旅行をさせろ」などと言われました。フジモリ氏はペールー人と看做されていなかったようです。
勝ち組、負け組みの話は有名ですが、日本が貧しかった当時、日系移民は、本国日本に送金するために、あるいは、一山あてて本国に凱旋するために働いていたと聞きます。
日本が高度成長した後、ブラジルの日系人は、デカセギ(ブラジルポルトガル語の単語になっています)で日本へ渡り、一儲けしてブラジルに凱旋するという逆のパターンになってしまいました。
日本で小金を稼げば、ブラジルでは二階建ての家が買えるそうで、こういう日本帰りの日系人は、他のブラジル人から嫉妬されることになります。
さて、バブルがはじけ、ブラジルが急速に成長している今、デカセギの意味も変わってきました。
日本経済が落ち込めば落ち込むほど、日本の企業は、日本人より安い賃金で働く日系ブラジル人の労働者を求めるという構造に変化はありません。
しかし、ブラジルでの雇用機会と賃金が増えれば、日系ブラジル人が日本で働くインセンティブは下がるでしょう。
確かに、日系人かどうかに関係なく、中国、フィリピン、ベトナム、ネパール等からの労働者が日本に移住する例は増えています。
そのような現象に関しては、20年くらい前から内なる国際化というタームで研究されてきましたし、十分な研究蓄積もあります。
彼らが、日本企業から歓迎される一方、ヨーロッパ諸国と同様に、日本の若年層が外国人労働者に就職機会を奪われたと不満を持つこともあるでしょう。
彼らに対する差別は既に生まれていますね。その点も大きな問題です。
一方、今、問題になっているのは、日本人若年者が外国人労働者となって海外で働くケースが増えているという点です。
彼らは、日本企業に雇われるのではなく、現地の企業で現地人と同じ賃金で働いています。新日系移民とでも言うのでしょうか。
日本経済が落ち込めば落ち込むほど、周辺諸国の経済成長が進めば進むほど、こういう新日系移民が増えることでしょう。
彼らは、それらの国でどう迎えられているのか、興味のあるところです。南米の日系人研究から学ぶところ大です。
日本人と個性の点ですが、ここで書かせてください。せっかくの楽しい電話の会話に石を投げるつもりはありません。
どうもhanaさんが言われているのは日本の「国民性」であり、日本人一人ひとりの「個性」ではないように思われます。
日本はガラパゴス化しており、他の国から見ると「個性的」(変わっている)ということなんでしょうが、その裏で、若き日本人がどれほど没個性の国で苛まれていることか。
私も教育産業の底辺で働いていますが、没個性というのは集団支配の効率という点が非常に高いと思います。
これは、貧しい国、独裁の国、宗教の国に共通していると思います。
できるだけ安いコストでたくさんの人間を管理しようとすれば、刑務所と軍隊に行き着き、それら2つは日本が「近代化」の中で学んだたった二つの集団管理の方法だったのではと思います。学校に適用すべきではありません。
学生服とか、同じ自転車とか、野球部員の髪型などというのは瑣末な問題であり、幼稚園から大学までの教育の貧しさは画一化の洗脳に収斂されるのではないでしょうか。
同じ1つの正解を見つけることだけを教える教育。近々、高校入試がマークシートになるらしいです。
数学ならいいでしょう。しかし、国語は、文法や漢字だけを学ぶ教科ではなく、文章を読んで、考え、自分なりの解釈を書く、述べる教科ですよね。
英語もそうです。言葉ですから、自分なりの答があって然るべきです。英作文は特にそうです。何通りもの答が有り得ます。
テストの経済効率性を求めればマークシートになるということなのでしょうか。大学のセンター試験は廃止すべきという声が高まっているのに。
と、私は私なりに悩んでいるのです。
文化的多様性は生物の多様性と同じく、危機の時に、あらゆる常識外れの答を出して生き延びていく上で大変重要だからです。特に今。
長文のコメントを二つもありがとうございます。
後の「個性」についてですが
私の書き方が下手でちゃんと伝わってなかったようですね。
私が言いたかったのは
日本人って個性を気にする、そのくせ皆と同じでないと安心できない←これは仰るように当然「国民性」として私の考えを述べたものですね。
そして、
コメント欄に書いた
「日本基準ってやはり特殊だと思います。まさに個性的です」の個性的は現状を揶揄したつもりだったのですけれど、表現が拙かったですね。ネガティブな意味での個性を言いたかったのですが。
この現状というのは、以前のKYにも書きましが個性を出しては仲間として認めてもらえなかったり人と違うことができなかったりということです。
日本でいわゆるグローバル化に伴う外国人労働者の受け入れは難しいことは理解できます。そんなの不可能!と言い切る人もいます。でも、だからと言って現実にこれだけの外国人労働者が来日し定住化している中で拒否反応を起こしているだけでは日本の将来は明るくありません。彼らをどのように扱うか、法律・教育・労働etc.も重要ですが、当然ながら我々自身の意識改革が何より大切で困難なことだと思います。
コメントを頂けてうれしかったです。
これからもたくさん意見を聞かせて下さいね。