朝から雨。蓄積疲労のためか、何もできない。体中が痛い。

昨日、肩に注射をして、鎮痛剤をもらった。1錠飲むと熟睡できた。変な夢を見た。

過去に関係のある夢だった。現在というのは過去の投影なのだろうか。つまり、ラッピングペーパーを剥がすと、そこに見えるのはひとつの過去なのか。

それとも、人生にはたくさんのラッピングペーパーがあり、キャンディーを包んでは、またその上から包装し直すのか。

だとしたら、着膨れして、現在の姿は、最初の過去とは比べ様もなく大きくなっている。

キャンディーがラグビーボール大になっていて、どんどん包装紙を剥がしていくと、ちっぽけな過去が顔を出す。

それとも、過去と人生は無関係で、包装紙を剥がすと、そこには何も無いのだろうか。おいしそうなキャンディーなんて無いのだろうか。

しきりに人生のやり直しをしている夢を見る。

人生、夢を見ながらここまで来てしまったような気がする。30歳までは遊んで暮らした。その余韻が、ここにきて消えそうになっている。

人生は一つのキャンディーなのか。それとも、別のキャンディーにラッピングペーパーをかけることは可能なのか。

つまり、過去というのは現在と違う味のキャンディーで、人間は、もう一つの、いや、もう二つのキャンディーを作ってやり直せるのか。

岡崎聡子さんは、今回、かなりの苦境にあるらしい。前回は不起訴処分となったが、今度は、そうもいかない雰囲気という。

どうして「成功」した人生と「失敗」した人生という二つの違う味のキャンディーがあるのだろう。

人間は平等に作られているというアイディアは、革命の宣言や学者の著作の中にしか生きていないのだろうか。

いや、それは、人生の結末にまでは及ばない、つまり、生まれたままの裸の姿、甘い果汁入りキャンディーにしか言及し得ないものなのだろうか。

こんなことを考え始めるのが老化というものだろう。私は過去から自由でいたいと願い、アンチエイジングなどをしているが、そんなもの川の激流に逆らう杭でしかない。

友人とスカイプしていて、lister、老いは、人生で最高の時期なんだよ。素直に受け止めて赤ん坊に戻ればいいのさと言われた。

だがね、まだ成し遂げていないことが一杯なんだよ!というと、それを忘れるために老化があるのさ、と。

なるほど、ラッピングは止めろということか。キャンディーはキャンディーであり、ラッピングペーパーで包んで飾る必要などないのか。

そう悟るまで、いや、老化して全てを忘れるまで、私はもがき続けるだろう。他人の若さに対する嫉妬が枯渇するまであと何年必要なのか。

今日は1人教えて終わり。








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