赤い蜘蛛

2013年10月10日 日常
晴天。暑い。Tシャツ一枚です。

昨日、「過去」のことを色々書きましたが、突然、ドストエフスキーのことを思い出しました。

まだ全集を落札してはいないのですが、昔読んだ彼の作品の言葉は海馬に突き刺さり、記憶に残っています。

ドストエフスキーが好きな言葉に「赤い蜘蛛」があります。色々な作品で使われます。

『悪霊』の中では「過去」のメタファーです。

マトリューシャという12歳の少女を陵辱し自死に追いやったスタヴローギンが、この罪の記憶を思い出す契機となるのが赤い蜘蛛です。

「・・・目の前にちっぽけな赤いくもがはっきりと浮かんだ。とたんに私はやはり入り日の斜めの光が降りそそいでいたあのとき、ゼラニウムの葉の上にいたくもを思い出した」(『悪霊』より)

以後、スタヴローギンはこの記憶に悩みます。恐らく、彼自身が自死するまで。

そう言われれば、過去というのは、落日の斜陽の中で巣を這い回っている赤い蜘蛛みたいなものか、うまいな、と思います。

キャンディーがどうのこうの、ラッピングペーパーがどうのこうのと逡巡するより余程マシです。

そして、ドストエフスキーの次の言葉にドキッとさせられます。

「人生の後半は、普通、人生前半で蓄積された習慣のみで成り立つ」

何とリアリストなんだと驚きます。でも「普通」と限定が入っているので、普通じゃなけりゃいいんだ、と逃げます。

そして「悩むのも才能だ」という彼の言葉に慰められるのです。ドストエフスキーの掌の上。

今日は、午前中に色々計画があったのですが、母親が急に「薬が切れた」というので、病院に連れて行きました。

これでリズムが狂い、何もしていません。明日は未来について考えるとするか。

本日、生徒が2人お待ちです。







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