楽しい時間は過ぎるのが早い
2014年1月3日 日常 コメント (2)いよいよだ。明日からは、また土日も無く働く毎日だ。
正月休みはどうだったか?と尋ねられれば、よく休んだし、よく読んだし、よく観たし、何ら悔いはない。
今日の朝、毎年恒例、どうしようもない奴とお互い認めている親友に電話する。今年も最低の生活をしている。未だに結婚もしていない(他人のことは言えないが)。
1時間くらいバカ話をした。年に1回のイベントだ。ま、お互いに無事を確認し、めでたしめでたしだ。
さて、ドストエフスキー書簡集については明日書くこととして、山口果林『安部公房とわたし』だが、山口さんが安部公房の単なる「愛人」ではなく、真実は「内縁の妻」であったことを明かす存在証明への巡礼である。
安部公房を悦ばせる情夫だったのではなく、安部公房の後期の作品は山口さんとのコラボで生まれたとまで言いたげだ。
表紙を含めた収録写真には様々な意味があり、安部公房にしか見せない山口さんの表情(愛くるしい)、山口さんにしか見せない安部公房の視線が印象的だ。
グラス片手のヘアヌードは、暗室なしでも現像・焼き増しができるキットを持っていた安部公房が撮ったものに間違いない。実に美しい。
「安部とはまだ週2回の関係がありますの」と山口を責めた正妻へのリベンジであり、安部公房と山口果林は身も心も一体だったのだと訴える。
どうやら正妻に財布の紐を握られていた安部公房に、好きな車、好きなカメラ、等々を買って与えたのは山口果林である。
大作家もパートナーの前では、ただの男である。
安部が癌を患ってからは、介護の役まで果たしている。そんな濃密な関係が、安部が、山口のマンションのベッドから転げ落ち、頭を打って脳に損傷を受け、それが致命傷になる瞬間まで続く。
しかし、内縁の妻の立場は弱かった。安部の命に関わることは、本能的に安部の娘(医師)と正妻に任せてしまう。
山口が安部公房の死を知ったのはテレビ報道からであった。今なら、内縁の妻の立場はもっと強いのだろう。しかし、当時は、それが現実であった。
残されたのは少しの遺品、少しの遺骨。山口は、粉状に粉砕した安部公房の遺骨を水着に入れ、泳ぎながら、タイの海に散骨したという。
この本、私が手に入れたのは第五刷である。売れたのだ。そして、誰もが、もう一度、安部公房の作品に目を通したいと思ったに違いない。
多分、安部公房の絶頂期に、お子ちゃまだった私も、この本で明らかにされた創作秘話を知った上で安部公房を読んでみたいと思った。
同時に、安部公房スタジオが公演した舞台作品のほとんどが、今となっては見ることのできないものであることを悔やむのである。
明日から仕事。
正月休みはどうだったか?と尋ねられれば、よく休んだし、よく読んだし、よく観たし、何ら悔いはない。
今日の朝、毎年恒例、どうしようもない奴とお互い認めている親友に電話する。今年も最低の生活をしている。未だに結婚もしていない(他人のことは言えないが)。
1時間くらいバカ話をした。年に1回のイベントだ。ま、お互いに無事を確認し、めでたしめでたしだ。
さて、ドストエフスキー書簡集については明日書くこととして、山口果林『安部公房とわたし』だが、山口さんが安部公房の単なる「愛人」ではなく、真実は「内縁の妻」であったことを明かす存在証明への巡礼である。
安部公房を悦ばせる情夫だったのではなく、安部公房の後期の作品は山口さんとのコラボで生まれたとまで言いたげだ。
表紙を含めた収録写真には様々な意味があり、安部公房にしか見せない山口さんの表情(愛くるしい)、山口さんにしか見せない安部公房の視線が印象的だ。
グラス片手のヘアヌードは、暗室なしでも現像・焼き増しができるキットを持っていた安部公房が撮ったものに間違いない。実に美しい。
「安部とはまだ週2回の関係がありますの」と山口を責めた正妻へのリベンジであり、安部公房と山口果林は身も心も一体だったのだと訴える。
どうやら正妻に財布の紐を握られていた安部公房に、好きな車、好きなカメラ、等々を買って与えたのは山口果林である。
大作家もパートナーの前では、ただの男である。
安部が癌を患ってからは、介護の役まで果たしている。そんな濃密な関係が、安部が、山口のマンションのベッドから転げ落ち、頭を打って脳に損傷を受け、それが致命傷になる瞬間まで続く。
しかし、内縁の妻の立場は弱かった。安部の命に関わることは、本能的に安部の娘(医師)と正妻に任せてしまう。
山口が安部公房の死を知ったのはテレビ報道からであった。今なら、内縁の妻の立場はもっと強いのだろう。しかし、当時は、それが現実であった。
残されたのは少しの遺品、少しの遺骨。山口は、粉状に粉砕した安部公房の遺骨を水着に入れ、泳ぎながら、タイの海に散骨したという。
この本、私が手に入れたのは第五刷である。売れたのだ。そして、誰もが、もう一度、安部公房の作品に目を通したいと思ったに違いない。
多分、安部公房の絶頂期に、お子ちゃまだった私も、この本で明らかにされた創作秘話を知った上で安部公房を読んでみたいと思った。
同時に、安部公房スタジオが公演した舞台作品のほとんどが、今となっては見ることのできないものであることを悔やむのである。
明日から仕事。
コメント
今頃コメントに気が付きました。すみません
いつも楽しく読まさせていただいております。
自分の方は時々しか更新しませんが
今年もよろしくお願い致します。
新年おめでとうございます。
私も毎回楽しく拝読しています。
こちらも時々さぼりますが、また1年、よろしくお願いします。