ドストエフスキー流お金の借り方
2014年1月5日 日常 コメント (6)昨日は仕事始めだった。5日間も休んでいたので、リズムがつかめず、とても苦労した。そして疲れた。
今日は1人教えるだけなので比較的に楽だ。ま、正月に読んだドストエフスキーの書簡集について書く余裕もある。
彼の書簡というのは90%、お金の無心についてしか書かれていない。長編の着想を得たから前払いを頼むと編集者や出版社に書き綴ったものがほとんど。
今回読んだのは妻アンナへ宛てたものだけである。これも金の話ばかり。河出書房版の全集なので、アンナからの返事は収められていない。
ついでだが、やはり不景気なのか、正月のオークションは全く活気がなく、実は、新潮社のドストエフスキー全集も格安で落札してしまった。ほとんど競らずに。
さて、ドストエフスキーという名は長すぎるので、ドス氏と呼ぶことにする。まだ年表を読んでいないので、多少間違いがあるかも知れませんのでご勘弁を。
このドス氏、ルーレット狂だったことは有名な話。原稿料はほとんどルーレットで使ってしまったのではないか。
最後に自分の家を持つことができたのは、これ一重に妻アンナの努力によるものである。
このドス氏、とんでもない奴で、新婚旅行の途中、妻アンナを一人残し、カジノへ出掛け、お金をすっては、妻アンナに金を無心する手紙を書く。
それが一度や二度ではない。自分の時計や結婚指輪を質に入れたりするのは当然。
遂には、アンナの装飾品であるイヤリングまで質に入れさせ、小切手を滞在先のホテル(実際は郵便局)まで送れと頼む始末。
で、アンナのもとに帰るための旅費だといって借りたお金は、結局ルーレットで消える。それで、またアンナに金の無心をする。この繰り返しである。
ではドス氏はどのような手紙をアンナへ送ったのか。
負け1回目。
「・・・冒険をやってすってしまった。さて、アーニャ(アンナ夫人のこと)、わたしのぎりぎり決着という観察を述べると、もし冷静な分別を失わなかったら、つまり大理石像のように冷酷になり、非人間的に用心深くやったら、たしかにいささかの疑いもなく、幾らでも勝つことができるのだ・・・来たときよりもっと素寒貧で帰るのだからね。アーニャ、この手紙は決してだれにも見せないと約束しておくれ。こんないまわしい状態が人の口の端に乗るのはいやだ。『詩人だ、だから、結局、詩人なのだ』とね・・・」
負け2回目
「・・・昨日はすっかり、最後の1コペイカ、最後の1グルテンまで負けてしまったので、大至急お前に手紙を出して、帰りの旅費を送ってもらおうと決心したほどだ。しかし、時計のことを思い出した・・・鎖も一緒で65グルテンしかよこさないのだ。43ターレル、換言すれば、ほとんど四分の一の値段なのだ。しかし、私は売ってしまった・・・ところで、どうだろう、わたしはとにかくそのお金で負けを取り返したので、これから時計を受け戻しに行くところだ・・・(その後、また負ける)」
負け3回目
「公園の中を歩き回って、最後にルレットへ出かけたが、すっかり負けてしまった。手がふるえて、考えがまとまらないのだ。しかも、負けつづけながら、なんだかほとんどそれを喜ぶような気持ちで、かまうものか、かまうものか、と独りごちていた。・・・少しも早く金を送ってくれ。そして、これはみんなお前に自分一人で始末してもらいたい。かみさんには話しちゃいけない。つまり、相談してはいけない。・・・銀行へ行ったら、20インペリアール出して、すぐにその金をさっそくホンブルクのだれそれに、つまりわたしに・・・さよなら、近き再会の日まで。お前を抱擁する。どうか苦しまないで、くよくよしないで。それにこれは本質的にみて、決してそれほど重大なことじゃないのだからね。だれだって、どんなに仕合せな人だって、長い一生の間には、まだまだこれどころじゃない、ひどい失敗を経験するものだよ。ところがわたしはあの金でばかげた考えから解放されたのだから、かえって安い代金ですんだのかもしれないほどだ。なに、なるようにしかなりはしない。お前を固く抱擁して、数限りなく接吻する。全身ことごとくお前のものであり、お前を崇拝する夫」
負け4回目
「・・・わたしは自分の仕事、つまりこの勝負について、少し詳しく説明する。わたしはもうこれで二十度も、ルレット台に近寄るたびに、こういう実験をしたものだ。もし冷静に、落ちついて、はっきり胸算用しながら勝負をしたら、負けるなんてことは絶対にあり得ない!誓っていうが、そんなことは絶対にないのだ!人は盲目な偶然に従っているのだが、私には計算がある。だからわたしのほうにより多く勝算があるわけだ・・・わたしはルレット場に行った。わたしのポケットに合計二十グルデンしかないのだ(万一のためにとっておいたのだ)。ところが、わたしは十グルテンだけ冒険を試みた。わたしはまる一時間、冷静を保って計算を守ろうと、ほとんど超自然的な努力をした。その結果、金貨で三十フリードリッヒスドル勝ったのだ・・・そして、すっかり、それこそすっかり、最後の一コペイカまで負けてしまった。つまり、煙草代のニグルテンだけ残った始末だ。・・・もしお前がその日のうちに、つまり今日(水曜に)(小切手を)発送してくれたら、あす木曜日に届く。もし木曜日に発送したら、金曜日に届く。もし木曜日に届いたら、土曜日にはわたしはドレスデンに帰る。もし金曜日に届けば、日曜日になる。それは間違いない。間違いないとも。・・・・・・健康は上々だ。お前の心配してくれる神経の弱りは、ただ生理的、機械的なものだ!だって、こんなのは精神的なショックじゃないからね。それに、わたしの自然性がそれを要求するのだ。わたしの体はそんなふうにできているのだ。わたしは神経質で、それなしにはとてもじっとしていられないのだ!・・・」
負け5回目
「かわいいアーニャ、私の友、私の妻、どうかわたしをゆるしておくれ、卑劣漢よばわりをしないでおくれ!わたしは罪を犯してしまった。お前の送ってくれた金をすっかり、それこそすっかり、最後の一クレイツェルまで負けてしまった。・・・この手紙がつき次第、十インペリアール送っておくれ・・・わたしの天使、もしひょっとわたしがその金までばくちで負けてしまいはせぬか、など考えないでおくれ。もうそれほどまでわたしを侮辱しないでほしい!どうかわたしのことをそれほど低劣に考えないでもらいたい。なにしろわたしだって人間なんだからね!・・・」
負け6回目
「かわいいアーニャ、わたしは犬畜生にも劣る人間だ!昨日、晩の十時頃までは完全な勝で、千三百フランも儲けていたのだ。ところが、今日は一コペイカもない。みんな!みんなすってしまったのだ!・・・わたしを犬畜生といって悪口してもいいが、しかし、わたしを愛しておくれ。・・・」
負け?回目
「かわいいわたしの天使ニューチャ、わたしはすっかり負けてしまった。ここへついてからたった三十分の間に、すっかり負けてしまった。・・・わたしは指環を質に入れに行った。・・・できるだけたくさん送っておくれ。それは勝負のためじゃない(わたしはお前に誓いたいのだが、その勇気がない。だって、百度も千度もうそをついたんだもの)・・・これからは昼夜兼行で仕事をする。去年の九月ジュネーブに着いた時は、もっとひどい有様だったんだからね。」
負け?回目
「・・・いずれにしても二十フランでは、ホテルの払いもできず、お前のところへ帰ることもできないから、わたしは八時に賭博場に行って --- すっかり負けてしまったのだ!・・・アーニャ、これがわたしにとって、最後の、決定的な教訓だ。なんというおそろしい教訓だろう!・・・指環まで質に入れたので、さし迫って百フランの金がいる、・・・わたしはもう賭博はしない、その百フランを受け取ったら、すぐお前のところへと帰って行くと、最後の真剣な誓いを立てた・・・さて、わたしの喜ばしい天使、かけがえのない、永久にいとしいアーニャ、これからわたしがいおうとするかんじんのことを聞いておくれ!わたしの天使、第一に、もし今度あの忌まわしい、下劣な出来事がなかったら、あの二百二十フランの浪費ということがなかったら、いまわたしを訪れた驚くほど素晴らしい着想も、浮かんで来なかったかもしれない。この着想は、わたしたち一同を完全に救ってくれるのだ!そうなんだ、アーニャ、わたしは信じている、---神様は限りないお恵みによって、放埓で下劣な、けちくさい賭博者のわたしに分別を授けてくだすって、わたしを賭博から救ってくだすったのかもしれない・・・わたしは長編が完結するまで、完全な孤独裏に生活するつもりだ。孤独と安静は、完結のためにはぜひとも必要だ。秋までに長編は完結し、わたしは切れ目なしに原稿を送る。・・・ところでさっきは、わたしの頭にちらついてはいたのだけれど、今度ははっきりした素晴らしい着想が、最終的な形で浮かんで来なかったのだ!それが頭に浮かんだのは、もう九時か、またその頃のことで、わたしがすっかり負けてしまって、並木道をぶらつき始めた時なのだ(それはヴィスバーデンの時と同じことだ。わたしはやはり賭博に負けた後で、『罪と罰』を着想して、カトコフと関係をつけることを考えついたのだ。運命というのか、それとも神様のおぼしめしか)。・・・・
これ以後も(一説に父が夢に現れたことで賭博を止めたというのがありますが、その後も賭博は続けています)、同じようなことを繰り返しています。
『罪と罰』、『白痴』までが賭博の負けで着想したというのは驚きです。『賭博者』という作品が出来たのは十分理解できますが(笑)
ドストエフスキーというのは自分を追い込まなければ作品が書けなかったのですね。
それにしても、アンナは偉い!どんなに負けても尊敬するドス氏を信じ続け、送金したわけですからね。
賭博から作品ができるかぁ。凄いな。私、金で苦労しなかった作家は信じないのです。
おわり
今日は1人教えるだけなので比較的に楽だ。ま、正月に読んだドストエフスキーの書簡集について書く余裕もある。
彼の書簡というのは90%、お金の無心についてしか書かれていない。長編の着想を得たから前払いを頼むと編集者や出版社に書き綴ったものがほとんど。
今回読んだのは妻アンナへ宛てたものだけである。これも金の話ばかり。河出書房版の全集なので、アンナからの返事は収められていない。
ついでだが、やはり不景気なのか、正月のオークションは全く活気がなく、実は、新潮社のドストエフスキー全集も格安で落札してしまった。ほとんど競らずに。
さて、ドストエフスキーという名は長すぎるので、ドス氏と呼ぶことにする。まだ年表を読んでいないので、多少間違いがあるかも知れませんのでご勘弁を。
このドス氏、ルーレット狂だったことは有名な話。原稿料はほとんどルーレットで使ってしまったのではないか。
最後に自分の家を持つことができたのは、これ一重に妻アンナの努力によるものである。
このドス氏、とんでもない奴で、新婚旅行の途中、妻アンナを一人残し、カジノへ出掛け、お金をすっては、妻アンナに金を無心する手紙を書く。
それが一度や二度ではない。自分の時計や結婚指輪を質に入れたりするのは当然。
遂には、アンナの装飾品であるイヤリングまで質に入れさせ、小切手を滞在先のホテル(実際は郵便局)まで送れと頼む始末。
で、アンナのもとに帰るための旅費だといって借りたお金は、結局ルーレットで消える。それで、またアンナに金の無心をする。この繰り返しである。
ではドス氏はどのような手紙をアンナへ送ったのか。
負け1回目。
「・・・冒険をやってすってしまった。さて、アーニャ(アンナ夫人のこと)、わたしのぎりぎり決着という観察を述べると、もし冷静な分別を失わなかったら、つまり大理石像のように冷酷になり、非人間的に用心深くやったら、たしかにいささかの疑いもなく、幾らでも勝つことができるのだ・・・来たときよりもっと素寒貧で帰るのだからね。アーニャ、この手紙は決してだれにも見せないと約束しておくれ。こんないまわしい状態が人の口の端に乗るのはいやだ。『詩人だ、だから、結局、詩人なのだ』とね・・・」
負け2回目
「・・・昨日はすっかり、最後の1コペイカ、最後の1グルテンまで負けてしまったので、大至急お前に手紙を出して、帰りの旅費を送ってもらおうと決心したほどだ。しかし、時計のことを思い出した・・・鎖も一緒で65グルテンしかよこさないのだ。43ターレル、換言すれば、ほとんど四分の一の値段なのだ。しかし、私は売ってしまった・・・ところで、どうだろう、わたしはとにかくそのお金で負けを取り返したので、これから時計を受け戻しに行くところだ・・・(その後、また負ける)」
負け3回目
「公園の中を歩き回って、最後にルレットへ出かけたが、すっかり負けてしまった。手がふるえて、考えがまとまらないのだ。しかも、負けつづけながら、なんだかほとんどそれを喜ぶような気持ちで、かまうものか、かまうものか、と独りごちていた。・・・少しも早く金を送ってくれ。そして、これはみんなお前に自分一人で始末してもらいたい。かみさんには話しちゃいけない。つまり、相談してはいけない。・・・銀行へ行ったら、20インペリアール出して、すぐにその金をさっそくホンブルクのだれそれに、つまりわたしに・・・さよなら、近き再会の日まで。お前を抱擁する。どうか苦しまないで、くよくよしないで。それにこれは本質的にみて、決してそれほど重大なことじゃないのだからね。だれだって、どんなに仕合せな人だって、長い一生の間には、まだまだこれどころじゃない、ひどい失敗を経験するものだよ。ところがわたしはあの金でばかげた考えから解放されたのだから、かえって安い代金ですんだのかもしれないほどだ。なに、なるようにしかなりはしない。お前を固く抱擁して、数限りなく接吻する。全身ことごとくお前のものであり、お前を崇拝する夫」
負け4回目
「・・・わたしは自分の仕事、つまりこの勝負について、少し詳しく説明する。わたしはもうこれで二十度も、ルレット台に近寄るたびに、こういう実験をしたものだ。もし冷静に、落ちついて、はっきり胸算用しながら勝負をしたら、負けるなんてことは絶対にあり得ない!誓っていうが、そんなことは絶対にないのだ!人は盲目な偶然に従っているのだが、私には計算がある。だからわたしのほうにより多く勝算があるわけだ・・・わたしはルレット場に行った。わたしのポケットに合計二十グルデンしかないのだ(万一のためにとっておいたのだ)。ところが、わたしは十グルテンだけ冒険を試みた。わたしはまる一時間、冷静を保って計算を守ろうと、ほとんど超自然的な努力をした。その結果、金貨で三十フリードリッヒスドル勝ったのだ・・・そして、すっかり、それこそすっかり、最後の一コペイカまで負けてしまった。つまり、煙草代のニグルテンだけ残った始末だ。・・・もしお前がその日のうちに、つまり今日(水曜に)(小切手を)発送してくれたら、あす木曜日に届く。もし木曜日に発送したら、金曜日に届く。もし木曜日に届いたら、土曜日にはわたしはドレスデンに帰る。もし金曜日に届けば、日曜日になる。それは間違いない。間違いないとも。・・・・・・健康は上々だ。お前の心配してくれる神経の弱りは、ただ生理的、機械的なものだ!だって、こんなのは精神的なショックじゃないからね。それに、わたしの自然性がそれを要求するのだ。わたしの体はそんなふうにできているのだ。わたしは神経質で、それなしにはとてもじっとしていられないのだ!・・・」
負け5回目
「かわいいアーニャ、私の友、私の妻、どうかわたしをゆるしておくれ、卑劣漢よばわりをしないでおくれ!わたしは罪を犯してしまった。お前の送ってくれた金をすっかり、それこそすっかり、最後の一クレイツェルまで負けてしまった。・・・この手紙がつき次第、十インペリアール送っておくれ・・・わたしの天使、もしひょっとわたしがその金までばくちで負けてしまいはせぬか、など考えないでおくれ。もうそれほどまでわたしを侮辱しないでほしい!どうかわたしのことをそれほど低劣に考えないでもらいたい。なにしろわたしだって人間なんだからね!・・・」
負け6回目
「かわいいアーニャ、わたしは犬畜生にも劣る人間だ!昨日、晩の十時頃までは完全な勝で、千三百フランも儲けていたのだ。ところが、今日は一コペイカもない。みんな!みんなすってしまったのだ!・・・わたしを犬畜生といって悪口してもいいが、しかし、わたしを愛しておくれ。・・・」
負け?回目
「かわいいわたしの天使ニューチャ、わたしはすっかり負けてしまった。ここへついてからたった三十分の間に、すっかり負けてしまった。・・・わたしは指環を質に入れに行った。・・・できるだけたくさん送っておくれ。それは勝負のためじゃない(わたしはお前に誓いたいのだが、その勇気がない。だって、百度も千度もうそをついたんだもの)・・・これからは昼夜兼行で仕事をする。去年の九月ジュネーブに着いた時は、もっとひどい有様だったんだからね。」
負け?回目
「・・・いずれにしても二十フランでは、ホテルの払いもできず、お前のところへ帰ることもできないから、わたしは八時に賭博場に行って --- すっかり負けてしまったのだ!・・・アーニャ、これがわたしにとって、最後の、決定的な教訓だ。なんというおそろしい教訓だろう!・・・指環まで質に入れたので、さし迫って百フランの金がいる、・・・わたしはもう賭博はしない、その百フランを受け取ったら、すぐお前のところへと帰って行くと、最後の真剣な誓いを立てた・・・さて、わたしの喜ばしい天使、かけがえのない、永久にいとしいアーニャ、これからわたしがいおうとするかんじんのことを聞いておくれ!わたしの天使、第一に、もし今度あの忌まわしい、下劣な出来事がなかったら、あの二百二十フランの浪費ということがなかったら、いまわたしを訪れた驚くほど素晴らしい着想も、浮かんで来なかったかもしれない。この着想は、わたしたち一同を完全に救ってくれるのだ!そうなんだ、アーニャ、わたしは信じている、---神様は限りないお恵みによって、放埓で下劣な、けちくさい賭博者のわたしに分別を授けてくだすって、わたしを賭博から救ってくだすったのかもしれない・・・わたしは長編が完結するまで、完全な孤独裏に生活するつもりだ。孤独と安静は、完結のためにはぜひとも必要だ。秋までに長編は完結し、わたしは切れ目なしに原稿を送る。・・・ところでさっきは、わたしの頭にちらついてはいたのだけれど、今度ははっきりした素晴らしい着想が、最終的な形で浮かんで来なかったのだ!それが頭に浮かんだのは、もう九時か、またその頃のことで、わたしがすっかり負けてしまって、並木道をぶらつき始めた時なのだ(それはヴィスバーデンの時と同じことだ。わたしはやはり賭博に負けた後で、『罪と罰』を着想して、カトコフと関係をつけることを考えついたのだ。運命というのか、それとも神様のおぼしめしか)。・・・・
これ以後も(一説に父が夢に現れたことで賭博を止めたというのがありますが、その後も賭博は続けています)、同じようなことを繰り返しています。
『罪と罰』、『白痴』までが賭博の負けで着想したというのは驚きです。『賭博者』という作品が出来たのは十分理解できますが(笑)
ドストエフスキーというのは自分を追い込まなければ作品が書けなかったのですね。
それにしても、アンナは偉い!どんなに負けても尊敬するドス氏を信じ続け、送金したわけですからね。
賭博から作品ができるかぁ。凄いな。私、金で苦労しなかった作家は信じないのです。
おわり
コメント
長編作家を支えているのはギャンブル「狂」、ですかね。
ありがとうございます。よかった。
長編作家とギャンブル狂には関連がありそうですね。そして若い妻かパートナーかな。
>金で苦労しなかった作家は信じないのです。
一票!
以前はこれに不治の病をつけていましたが(笑)
というのも、息子のひとりが中学生の頃に物書きになりたい!と言い出したので
貧乏と不治の病を並べたら諦めたようです(笑)
「安部公房とわたし」も読まれたのですね。
私の学生時代と彼の人気とはほぼ一致するのですが、その頃はどうも興味が湧かなくて「砂の女」のセンセーショナル映画化とカンヌ映画祭で受賞した記憶しかありません。私のこれを機会に彼の作品を読んでみたいと思いました。
あ!
借金のコツは
断れそうにない人を選ぶ、
だそうです^^
日本の作家は吉本興業に似ていますね。年間に億を稼ぐ芸人が数名、あとはその日暮らしの貧乏芸人。村上春樹と、忘れられた芥川賞受賞作家たちのような。厳しいですね。底辺を支える作家は、確かに貧乏と不治の病。
日本初のサラリーマン作家であられた夏目漱石とか、公務員作家であられた森鴎外などは、どうも綺麗事を書いているようで、共感できません。
『安部公房とわたし』は、hanaさんに促されるように読みました(笑)多分、私が購入した最初の安部公房作品は『死に急ぐ鯨たち』(1986年)だったと思います。山口果林さんを読んだ後は『箱男』あたりから後を読みたくなります。
確かに、年下の新妻なら借金を断り難いですね。淀川長冶さんは「金は貸さん。金はあげるものだ。その価値のある人には」(こんな内容でした)とおっしゃっておりました。これも名言ですよね。
私はドストエフスキーの負けの言い訳を読んでいて、笑いが止りませんでした。