先ほど帰宅。初めての生徒さん。筋は良い。

今頃になって今年の手帳を買いに行ったら、もう処分品しかありませんとのこと。処分品の中になかなか気のきいた手帳があったので購入。300円+24円。

さて、黒子のバスケ事件の被告人渡邊博史氏については昨日書いた。この人は殺人までエスカレートせず、犯罪の内容からも死刑になる可能性はない。

出所後、本当に自殺するかどうか、それも疑問だ。

今日とりあげたいのは、土浦連続通り魔事件の死刑囚金川真大氏だ。犯罪人や死刑囚に「氏」をつけるのは間違っているだろうか。

私は、まだ読売新聞水戸支局取材班『死刑のための殺人―土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録―』(新潮社、2014年3月18日刊)を読んでいないので、書評の孫引きになる。

金川真大氏は事件の5年後29歳で刑を執行され、既に故人となっている。

これまでのケースと違い、結果的に死刑になっても仕方ないと思いながら殺人を犯したわけではない。

彼のケースと黒子のバスケ犯との違いは、彼には社会に対する恨み、復讐心などまるで無かったという点だ。

ただ確実に死にたい、確実に死刑判決を出したいので多数の人を殺したという。

自殺して痛い思いをするより、他人に絞首刑のボタンを押してもらった方が楽だと。もし安楽死のボタンがあれば、犯行には及ばなかったと。

殺人を思い立った直接的理由は「面白いゲームがなくなったから」。

彼は高校卒業後、進学も就職もせず、ゲーム三昧の生活をしていたという。ゲームをするために、かろうじて生存していたと言っても過言ではない。

私は、これまで、殺人の動機として最も不条理なものは、カミュ『異邦人』のなかで主人公が述べる「太陽が眩しかったから」という言葉だと思っていた。

面白いゲームが無かったからとは、更に乾ききって、異様にリアルだ。

この本は金川氏の家族関係に何かを求めているようだ。捜査幹部は「砂漠のような家族だった」と言う。

金川死刑囚は「家族は肉。差し入れのために生かしておいた」と述べた。

死刑が究極の安楽死と考えた金川死刑囚。こういう犯罪が起きると死刑の犯罪抑止効果は全く消えてしまう。

更に怖ろしいのは、この土浦連続通り魔事件が、後の秋葉原無差別殺人の犯人に強い動機を与えたらしいということだ。

何だろう、黒子のバスケ犯がまともに見えてくるほど異様な事件であった。

死刑については、またいつか書きたいと思います。上述の本も読みたいと思っています。




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