暖かく、紺碧の空。フキノトウを発見したので、天ぷら用にいくつか摘む。若い芽を摘むようで気の毒だったが、今を逃せば食用にはならない。

最近、韓国を貶すだけのサイトやツイッターが多く、アクセスも多い。

いわゆる嫌韓ブームで、○ouji ○eno(コ○ジ ウ○ノ)って人はfbに毎日何十という書き込みをしている。

何を生業としている人なのか分からないが、時間はたっぷりあるようだ。

で、例の沈没事故に韓国の危機管理はなっていないとか、韓国は三流国家だとか言いたい放題。

度重なる重大ミスを繰り返しているフクシマ第一がある限り、日本の危機管理もなっていないのであり、それほど大きなことを言えた立場ではない。

そういえばイタリア沖で沈没したクルーズ船の船長も、乗客を残して避難していた。その時は危機管理がどうのこうのという批判は出なかったと思う。

ま、それはそうとして、脚気伝染病説に加え、日本の科学史の不思議をもう一つ。

地震が起きる一つの要因にプレートが動いているからというのがあり、プレートテクトニクスと言われる。1960年代の理論だ。

今や、中学校の教科書にもプレートが動いて巨大地震が起きると書いてある。

しかし、日本の地質学がプレートテクトニクスを受け容れたのは何と1980年代初めであった。

日本の大学や研究機関のほとんどが、明治になって、欧米人のお雇い学者から西欧科学というものを直接輸入した。

地質学でいえば、東京帝大のナウマンや北海道開拓使のライマンがそのお雇い学者である。

ナウマンはナウマン象やフォッサマグナの発見で有名だが、日本に赴任したのは若干20歳の時であった。36歳で京大教授になった笹井氏など年齢相応だ。

以後、彼らの地質学が日本を支配し、アジアの植民地へ資源調査役の研究者が流れ、第二次世界大戦中は研究もままならないという状態に陥った。

ガラパゴス化現象のように、日本では、相も変わらず19世紀地質学が続いていた。

学生運動の吹き荒れた1960年代、この旧態依然とした地質学を疑う若手研究者や学生もいたという。

しかし、日本では、1980年代初頭まで19世紀欧米地質学が生き残った。

実に不思議である。自然科学も所詮イデオロギーでしかないのだろうか。またプレートテクトニクスを否定した科学者はどのような余生を送ったのか。

今日は2人。午前中、肩に注射。










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