餃子のO将 メモワール
2014年4月25日 日常 コメント (2)25℃。暑い。はい、ここでは大変暑い部類にはいる気温です。
歯医者が次々と新しい虫歯を見つけて治療する。歯の磨き方が悪いのか。今日も、クラウンの外れた元虫歯に新しいクラウンを被せて3350円。
帰り道、ついに十勝でもオープンした餃子のO将に寄ってみる。
私の記憶によれば(つまり、あてにならないということ)、王将は京都で生まれ、バブルではじけ、大阪を本社とする新しい会社としてリスタートしたはず。
その辺の事情はどうでもいいとして、私は京都時代の王将に貧しい学生として出入りしていた。
店舗によって驚くほどの格差があったものの、王将と言えば、○野家の牛丼をライバルとするほど早く安い店だった。
王将に彼女を連れて行けるなら、その彼女は本物だと言われていた。
殊に、私が行きつけとしていた王将は、カウンター席しかなく、目の前で大将が中華鍋を振るって調理し、できたら皿洗いのおっちゃんが運んでくるものと相場は決まっていた。
まず、当時は餃子はたのまなかった。クソまずいというわけではないが、中身が何なのか分からない代物で、金を払ってまで食べるべきではないとされていた。
それを喜んで食べていたのはアメリカからの留学生で、ライスと餃子を注文し、出てきたら、餃子をライスの上に置き、餃子用のタレをかけて、あたかも餃子丼、いや、王将風に言えば、餃子飯にアレンジしていた。
ライスと餃子をかき混ぜてグチャグチャにしてから食べるのは、まさにカルチャーショックだった。胃の中に入れば同じという発想か。
ところで、今日の餃子はどうかというと、はっきり肉が入っていると確認できる味だった。ビーガンをやめるべきかと思うが、美味かった。値段は上がっていた。
大体、私が注文していたのは、醤油ラーメンと焼き飯、あるいは、回鍋肉にライス、ある時はシンプルに天津飯という品々であった。
で、ここの王将は、とても清潔でお洒落な店内。店員の言葉も丁寧で、そう、ちょっと高級っぽい回転寿司屋に似ていた。
何より驚いたのは、セットメニューがあることだった。私は迷わずラーメンセットを注文した。醤油ラーメン、ハーフサイズの焼き飯、餃子6個というものだ。
960円くらいだったが、私は王将というと、腹一杯食べても700円という計算をしていた。当時と比べるとアベノミクスで物価が上がったのかも知れない。
醤油ラーメンは関西より明らかに味が濃かった。十勝の平均的醤油ラーメンと比べても塩辛い。
で、餃子については既に述べたので、焼き飯へいくと、京都時代と変わらぬシンプルさで、こいつは変わっていないやと喜ぶ。
王将というと、大体、こんなセットもの、5分くらいでかきこむものだと思っていたが、周りのお客は、結構、楽しんで味わっている。
それにつけても、王将と言えば思い出すのが、初めて見た土方(どかた)のことだ。
私が回鍋肉を食べていると、目の細い赤銅色をした肌の人が入ってきた。ビール、と注文する。鉢巻をしている。
昼間から飲む人もいるんだと驚いていると、その人は、立て続けに3本のビールを胃に流し込んでいた。ああ、喉が渇いたと水を飲むノリだ。
上半身は、薄い半袖の白いシャツ、腰には手ぬぐいをぶらさげている。二の腕には立派に隆起した筋肉が。決して若くはない。中年を過ぎていた。
私が回鍋肉を平らげる間に3人前の焼き飯とレバニラ炒めなんかを軽く平らげる。
私は唖然として、ひょっとしたら口を開いたまま、彼を見つめていたのかも知れない。
彼は、私の方を眺め、そんなに驚いたかと嘲笑しているようだった。まずい、このアイコンタクトは、と思うやいなや、私は店を出ていた。
多分、近くの道路の補修工事か何かで働いていたのだろう。当時の土方のイメージとしては、つるはし一本で肉体労働をする人というものだった。
今や、よいとまけの歌で、土方という言葉がかなり自由に使えるようになったが、当時は、あからさまな差別用語で、私の父など、勉強をしなければ土方にしかなれないぞ、と脅したものだった。
本物を初めて見て、決して奴隷のように酷使されているわけではないし、まるで特権のように食べたり飲んだりできる自由人なのかと思い改めた。
しかし、私には無理だなと思った。
今日は2人教える。給与の余りの少なさに、月曜、ちゃんと時給を計算して会社にクレームを入れようと思う。誤字脱字失礼御免。
歯医者が次々と新しい虫歯を見つけて治療する。歯の磨き方が悪いのか。今日も、クラウンの外れた元虫歯に新しいクラウンを被せて3350円。
帰り道、ついに十勝でもオープンした餃子のO将に寄ってみる。
私の記憶によれば(つまり、あてにならないということ)、王将は京都で生まれ、バブルではじけ、大阪を本社とする新しい会社としてリスタートしたはず。
その辺の事情はどうでもいいとして、私は京都時代の王将に貧しい学生として出入りしていた。
店舗によって驚くほどの格差があったものの、王将と言えば、○野家の牛丼をライバルとするほど早く安い店だった。
王将に彼女を連れて行けるなら、その彼女は本物だと言われていた。
殊に、私が行きつけとしていた王将は、カウンター席しかなく、目の前で大将が中華鍋を振るって調理し、できたら皿洗いのおっちゃんが運んでくるものと相場は決まっていた。
まず、当時は餃子はたのまなかった。クソまずいというわけではないが、中身が何なのか分からない代物で、金を払ってまで食べるべきではないとされていた。
それを喜んで食べていたのはアメリカからの留学生で、ライスと餃子を注文し、出てきたら、餃子をライスの上に置き、餃子用のタレをかけて、あたかも餃子丼、いや、王将風に言えば、餃子飯にアレンジしていた。
ライスと餃子をかき混ぜてグチャグチャにしてから食べるのは、まさにカルチャーショックだった。胃の中に入れば同じという発想か。
ところで、今日の餃子はどうかというと、はっきり肉が入っていると確認できる味だった。ビーガンをやめるべきかと思うが、美味かった。値段は上がっていた。
大体、私が注文していたのは、醤油ラーメンと焼き飯、あるいは、回鍋肉にライス、ある時はシンプルに天津飯という品々であった。
で、ここの王将は、とても清潔でお洒落な店内。店員の言葉も丁寧で、そう、ちょっと高級っぽい回転寿司屋に似ていた。
何より驚いたのは、セットメニューがあることだった。私は迷わずラーメンセットを注文した。醤油ラーメン、ハーフサイズの焼き飯、餃子6個というものだ。
960円くらいだったが、私は王将というと、腹一杯食べても700円という計算をしていた。当時と比べるとアベノミクスで物価が上がったのかも知れない。
醤油ラーメンは関西より明らかに味が濃かった。十勝の平均的醤油ラーメンと比べても塩辛い。
で、餃子については既に述べたので、焼き飯へいくと、京都時代と変わらぬシンプルさで、こいつは変わっていないやと喜ぶ。
王将というと、大体、こんなセットもの、5分くらいでかきこむものだと思っていたが、周りのお客は、結構、楽しんで味わっている。
それにつけても、王将と言えば思い出すのが、初めて見た土方(どかた)のことだ。
私が回鍋肉を食べていると、目の細い赤銅色をした肌の人が入ってきた。ビール、と注文する。鉢巻をしている。
昼間から飲む人もいるんだと驚いていると、その人は、立て続けに3本のビールを胃に流し込んでいた。ああ、喉が渇いたと水を飲むノリだ。
上半身は、薄い半袖の白いシャツ、腰には手ぬぐいをぶらさげている。二の腕には立派に隆起した筋肉が。決して若くはない。中年を過ぎていた。
私が回鍋肉を平らげる間に3人前の焼き飯とレバニラ炒めなんかを軽く平らげる。
私は唖然として、ひょっとしたら口を開いたまま、彼を見つめていたのかも知れない。
彼は、私の方を眺め、そんなに驚いたかと嘲笑しているようだった。まずい、このアイコンタクトは、と思うやいなや、私は店を出ていた。
多分、近くの道路の補修工事か何かで働いていたのだろう。当時の土方のイメージとしては、つるはし一本で肉体労働をする人というものだった。
今や、よいとまけの歌で、土方という言葉がかなり自由に使えるようになったが、当時は、あからさまな差別用語で、私の父など、勉強をしなければ土方にしかなれないぞ、と脅したものだった。
本物を初めて見て、決して奴隷のように酷使されているわけではないし、まるで特権のように食べたり飲んだりできる自由人なのかと思い改めた。
しかし、私には無理だなと思った。
今日は2人教える。給与の余りの少なさに、月曜、ちゃんと時給を計算して会社にクレームを入れようと思う。誤字脱字失礼御免。
コメント
すっかり途絶えてしまっています。
不気味な感じがします。
そうですね。報道では、京都O将時代の社長の御曹司と殺された社長に対立があったみたいですが、確かなことは分かりません。あれはプロの仕業だとは思いますが。