今日は暖かい一日でした。

目覚めると、一時も置かず、加清純子さんの「芸術家の毛皮」を一気に読みました。PDFファイルです。

最後が腰砕けになっているものの、圧倒的かつ大胆なストーリー運びで、今生きている作家の作品と言われれば、そう信じてしまうかも知れない。

圧巻は、姉に対するアンビバレントな愛情。深く愛していればそれだけ憎むという、姉妹間における骨肉の争い。

彼女の実姉は小説家を目指したが、私の知る限り、一冊の詩集を残しただけだ。その姉のプライドを打ち砕く純子の筆致。

絵ならばまだ許せただろうが、小説でまで姉を出し抜こうとする若き純子の残酷さ。

その姉の詩集を借りたが、館内閲覧しか許されず、しかも、コピーは禁止。

私は、メモ用紙に書写した。最初の3篇は全て若くして逝った純子に捧げられる。

加清欄『北風の街』(あかね書房、1955年)

それがハイライトであり、他の作品は読むに値しない。

同じ親から生まれ、同じように育てられながら、どうしても妹には勝てない。世間の目はいつも妹に注がれる。

そういう姉の妹に対する「愛情」は、文面とは逆に、酷く歪み、私の理解を超えるものだ。

生まれながらにして抱えた生き地獄。姉は東京に逃れ、純子は札幌に残った。

姉の恋人を含む実在の男達を冷めた目で弄ぶ悪女振りは寧ろ陳腐かも知れない。

この小説を世間に問えば、数多の人間が傷つき、何より、純子自身の人生を生き難くしたであろう。そう考えることは、彼女の人生の結末を知る者にとってナンセンスなのだが。

これで私は純子の小説を5本読んだわけだが、通底するのは死への憧憬だ。

芸術家は美のためなら命をも惜しまないという決意表明が彼女の小説なのかも知れない。

そして、全ては早過ぎる自死で完結した。

ファナティックで濃密な19年だった。自らの手で己を葬る以外、どう辻褄を合わせるのかと、読むものを自問させる作品群であった。

純子の青春とは何だったのか。お疲れ様。そして合掌。

山花咲野鳥語
http://artemisia.at.webry.info/201301/article_5.html

の聖護院草庵主人さんの御厚情がなければ、これらの作品に出会うことはなかった。ここで改めて感謝したい。そして散逸している他の作品もデジタルで蘇らせていただくことを切望する。

今日は1人教えた。

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