曇天。暖かい。

朝から、キャンセルの電話が入り、今日は休日となった。

さて、加清純子さんだが、本来、画家なので、年代別に絵を鑑賞し、それらに何かを語らせるのが筋だと思う。

しかし、現在、目に出来る作品は45点(しかも大半が白黒印刷)に過ぎないし、絵は文章ほど分かりやすくはない。

そこで、現在読むことの出来る漫画、詩、小説を貪り読んできた。

一つの結論は、彼女の人生なりストーリーというのは、片田舎と呼ぶにはよく知られ、都市としてそれなりの大きさがある札幌という場所に限定されていたということである。

東京に憧れ、いずれは東京への進出を狙っていた彼女だが、地方の才女が鬩ぎあう東京で、天才少女画家としてどこまで通用したかは大いに疑問である。

これが場の限界とすれば、死後60年を経て、彼女の時代性がどこにあるのか考えてみたい。

その一つが、処女であることに与えた特別な意味である。

最も崇高なのは処女として死ぬことであり、処女を捧げるのは初恋の相手であるという設定がほぼアプリオリに作品を貫く。

それは先ず、敗戦後の混乱の中で生き死にをかけて「商売女」あるいは「ぱんぱん」(米兵相手の娼婦)に成りさっがた女性に対するあからさまな侮蔑という形をとる。

一方、キス(彼女流に言えば「接吻」)が結婚の約束を意味するような時代に、純子の作中のヒロインは、大胆に且つ簡単にキスを許す。

その意味では純子は非常に先進的であったかも知れないが、しかし、尚、処女であることは、彼女の作品の中で、気高いこと、清純なこと、そして、結婚の前提となっている。

純子は、決して、その枠をはみ出さない。寧ろ、そのタブーを破った者には激しい嫌悪を感じ、不純のレッテルを貼ることは既に述べた通りだ。

その対象に該当するのが、作中の主人公の姉である。ふしだらな人間として糾弾するのみならず、底なしの悪意を善意というオブラートに包み制裁を加える。

このような仕打ちを受けた者がどれほどプライドを傷つけられるか計算し尽くつくした上で。

このあたりが60年という歳月を感じさせるのであるが、それは至極当然と言わねばならないであろう。

純子自身が処女のまま逝ったのかどうか知る由も無いが、小説を鵜呑みにして、数々の男性と肉体関係を結んでいたと断言するには余程の根拠が無ければならない。

勿論、処女性への敬いは、世間体を保つためであり、小説のうわべだけのことだった考えることも、また十分に可能なのであるが。

聖護院草庵主人さんのブログ、

山花咲野鳥語
http://artemisia.at.webry.info/201301/article_5.html

からはまだまだ学ぶべきことが多い。













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