曇り。やや涼しい。グリーンを散歩させ、ブラッシング。唯一、私の心を許せる人、グリーンとのコミュニケーションを楽しむ。

あれは私が幼稚園に通っていたころだから4~5歳あたりだったと思う。町のあちらこちらにゴミ捨て場があり、遊び場となっていた。

そこには漫画やヌードグラビアの載った週刊誌や今なら発禁の何を隠すこともない婦人雑誌、そして医学雑誌などが山積みになっていた。

まだ勃起も射精もできない幼児だったが、女性の裸が載っている本に興味を抱き、そのような箇所を引きちぎって菓子箱に入れ、物置に隠していた。

特に印象深かったのは、医学雑誌で、脇などにも乳房ができる多乳症の女性の写真、梅毒で鼻の落ちた女性の写真、そして、健康優良児の裸体の写真だった。

健康優良児は中学生あたりの児童、当時の私がお姉ちゃんと呼ぶ年齢くらいの女子だったが、全裸で腕を広げてポーズをとって写っていた。

陰毛の高さに太い黒帯が左右横向きに印刷されていたのでヘアは見えないが、乳房は顕になっていた。

やばい、健康優良児に選ばれると裸体を晒さねばならないのかとショックだった。だいたい、学友が見るだろう。どうやって生きていけばよいのか。

当時、日本人の頭は軍事国家から抜け出ていなかったのだろう。一方で、戦争は終わりだ、裸の何が悪い、というメッセージも感じた。

今日、こうした誘惑や堕落に陥らないために成人向け雑誌のコーナーやR指定の映画があるのだろうが、私は、やすやすとそういうガードを超えていた。

ある日、幼稚園で一緒ではあるが年下の男の子が歩いていた。私は「彼」に声を掛け、道から少し離れた土手の上に登った。

草が生えていて、私たちは寝転んだ。

私は、その子に「おちんちん見てもいい?」と訊ねた。男の子は「いいよ」と頷いた。

その子のショートパンツを下げると、小さく、筍のように尖ったおちんちんが現れ、私は触ってみた。ある種の興奮があった。

しかし、何と呼べばよいか知らなかった。自分と同じものがある・・・私はとても安らぎを覚えた。

父親のものが自分のものと大きく異なり、心配だったのだ。その子の股間には、毛も生えておらず、亀頭も見えない皮かむりの可愛いおちんちんがあった。

それからしばらくして小学生となった私はクラスメートと一緒に下校するようになり、毎日、彼女と家で一緒に紅茶などを飲んだ記憶がある。

私はその子の家へ遊びに行くようにもなった。

当時の私は、クラスメートの女の子の性器には全く興味がなく、お尻こそが裸体のハイライトだった。

大人の感覚で言えば、お尻を見ることは性器を見ることに等しかった。

男の子も女の子も臀部を隠すことに専念し、性器や胸を晒すことは恥ずかしくも何とも感じなかった。

だから、私は彼女のお尻を一度見たかった。お尻を許すということは、カラダを許すことに他ならなかった。

私は「お尻を見せてくれない?そうしたらぼくのお尻も見せてあげるから」と口説き、彼女は「いいよ」と言ってくれた。

親に見つからないよう、ぼくたちは押入れに入った。少しだけ扉を開け、光が入るようにした。

彼女のパンツを下げると、ずっと見たいと思っていた形の良いお尻が現れ、ぼくは触ってみた。

左右に少し広げると紫色の肛門が見えて、ぼくはピークを迎えた。

とうとう見たかったものを見たという興奮が全身に走り、大変なことをしてしまったと怯えた。

お尻だけに留まらず、肛門を見たことは自分でも衝撃だった。それは大人の感覚でいえばヴァギナであり、絶対に見ちゃいけないランク1位だったのだ。

何だか疼くような感情が湧いてきて、彼女のことが大事に思えて。知っちゃいけない秘密を知ったのだから。

交際は深まり、誕生会に招かれた。彼女6歳の誕生日。

しかし「私は早生まれだよ」という彼女の言葉に「ぼくの方が先だ」といちゃもんをつけ喧嘩別れした。

早生まれという言葉の意味が分からなかった。順番からいけば私の方が誕生日は先だったのだから。

お誕生会を飛び出して自転車を飛ばした。泣きながら。後でその子のお父さんが食べ残しの料理やケーキを家まで持ってきてくれた。

そうするうちに私は父の転勤でよその町に移り、彼女のこともすっかり忘れていた。

中学の時だったか、一度だけ、彼女に対面した。すごく恥ずかしくて、そっとのぞいたその顔はソバカスだらけ。あの時とは似ても似つかった。

児童ポルノは児童の人権を守ることを目的としている。しかし、その取り締まりの対象は大人である。

私は、児童の時、児童の裸体に溺れていた。同級の女の子がヌード写真集を出したりすれば、先ずは同級生が興味を抱くだろう。

こうした小児間の性を何と呼ぶべきか知らない。しかし、それは確かにある。それは正常なことではないか。

それも含めて、そうした誘惑に駆られないよう児童を保護するのだろうか。小児「性」はいけないことなのだろうか。

児童ポルノを「批判する」という意味が認められて、映画「ヴィオレッタ」は上映の運びになったが、裸の写真を公開されて被害を被るのは大人だって同じだ。

成人であっても裸体や性行為を世間に晒すことは冒険であり、無断で自分のヌードが出回るポルノ・リベンジで被害を被る大人も多い。

アダルト映画で成功する人は成功する。巨額の金を手にして、たくましく生きる女優はいる。男優はタダ働きだ。

その一方、アダルト映画には、見るからに薬物をやりながら演技している女優や男優が出演しており、実際、薬物依存で引退して、悲惨な人生を送ったり亡くなったりすることがある。

しかし、それはポルノ業界に限ったことではない。特にアダルトDVDは○クザの資金源になっているとの指摘もあるが、芸能界全体が彼らの資金源だろう。

大人として自分を制御できるはずだ、判断能力があるなどとして成人と児童を分けるが、そんなに単純なものだろうか。

また、裸体や性行為が性欲を刺激することは国家権力で裁くべき行為だろうか?猥褻罪を設けるほど猥褻なことはないように思われる。

児童ポルノ(解釈で際限なく広がる)を厳罰化すれば、既に現れているように「児童ポルノ」は地下に潜り、高額な金銭取り引きの対象となる。

児童の裸体も大人の性交渉も見放題であれば、アクセスが自由になり、それらの希少性が薄れる。

そこから生まれるリスクは、大人子供を問わず、性描写か否かを問わず、どのような世界にも存在するものであり、一般の犯罪同様オープンに制御すべきだろう。

児童ポルノに極端な注意が向けられる一方、新しい動きもある。オークションでは、女子高生と書けば問題となるが、女子中学生だと問題にならない。

そして、幼い性に対する興味関心の対象は、女子大生や女子高生が過去のものとなり、今や中学生、小学生が主役だ。

フェミニストには申し訳ないが、全て女子中学生、女子小学生である。

彼女らは、決してヌードにはならない。最大限露出してビキニだ。性交渉は含まない。一般にイメージDVDという。

中学生を中心とする美少女ブームが本格化し、12、13歳の美少女タレントなどありふれている。

オークションでは、彼女らのDVDが2000円前後で出品され、ちゃんと落札される。この不景気に。

しかし、性器若しくはその「周辺」(全身がそれらの周辺にある)、若しくは胸部、臀部を強調すれば罰則というのであれば、それらも十分、児童ポルノとして認定できる。

年齢のためか、それらの作品を観ると、私は非常にリラックスしてしまい、癒し効果抜群である。

また、中高年にとっては、最近の日本人は発育が良く、スタイルも欧米化し(笑)長い手に長い脚、顔が小さい。また、綺麗な子は本当に綺麗だ。

合法のうちに早く売って、彼女達の足元にも及ばないが、稼ぎたいと思う。

最後に、欧米並みを目指すのなら、成人映画にボカシやモザイクを入れない、あらゆる検閲を廃止するというのが先だろう。

パゾリーニの「ソドムの市」にボカシを入れるとは何というセンスだろう。私は遂にイーベイでノーカット版を落札した。

全裸の美少女美少年が舞い踊る。あるべきものがあるべきところにある。それだけのことだった。

誤字脱字失礼御免。














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