暑い一日。日差しが痛かった。

午前中、免許更新のために運転免許試験場へ行ってきた。午後からというオプションもあったが、暑くなる前にと思い9時に出発。

試験場は、もう十分に暑かった。また後で書くことになるが、結果として、めでたくゴールド免許をもらった。

さて、インディオとの1ヶ月を思い出し始めて2週間くらいになる。

インディオに対してかなり失礼なことを書いてきたが、西洋文明の中で、インディオはそれほど弱弱しく見える。

しかし、2回ほど、その見方が変わった。

西洋文明は何か人間の大切なものを破壊し、人間の破滅を先延ばししているだけなのではないかと感じたのだ。

NGO会議の途中、私はリオの郊外に再現されたインディオの伝統的集落へ向かった。集会所と茅葺屋根の住居が2つ。臨時の病院が1つ。

全てリユースが可能な材料であり、他の森へ移住した後、建物は土に帰し、それが新たな竹や木を育てる肥料となる。

この環境で、インディオたちは実に逞しく見えた。彼らは元々「裸族」であり性器を露出して暮らしていたが、儀式の時は腰蓑をつけていた。

NGO会場では、彼らは配給されたジーンズを履いている。上半身は裸だが、もうその姿が降伏した残兵のようで情けなかった。

しかし、腰蓑でスクラムを組み踊り、伝統住居の間を走り抜ける彼らは殺気立ち明らかに異質な文化の存在を見せつけた。

私の入り込めない世界に彼らは生きている。

一方でインディオ達は風邪のような文明病に罹ったり、更には、毎食後出されるスィーツで虫歯になる者が続出した。

仮設病院兼歯科医院はいつも多くのインディオで溢れ返っていた。文明の衝突というのはこういうことを言うのではないか。

また、インディオは男尊女卑そのもの。都市で教育を受けたインテリの女性が幾人か含まれていたが、まさに例外的。

私がいつも怖れていたのは、これほど多くの逞しい男性のインディオが1ヶ月もの間集落を空けて大丈夫なのかということだった。

ひょっとすると、その間、集落にはヘリコプターでブラジルの食糧が届けられていたかも知れない。

リーダー達は、文明の利器である電話で集落と頻繁に連絡をとっていたので、集落には些少ならぬ問題が生じていたのではないかと推察する。

さて、インディオと言っても、彼らのような身も心もインディオという人々ばかりを指すわけではない。

ブラジルの日系人も3世くらいから日系人という意識はなく、日系人以外のパートナーと結ばれると、その子孫は身体的にも日系人としてのアイデンティティを失う。


異人種間で結ばれるインディオは多く、その顔かたちからはインディオと判らない参加者もいる。

しかし、彼らは日系人とは違った。彼らがいつも語っていたのは、身体的にはインディオでなくても、心はインディオだということだ。

混血のインディオに対しては、白人社会の中で様々な差別もあるのだろう。また、文明というものの陥穽に気付き、インディオの文化を見直す混血インディオも多い。

何が原動力であれ、そういうインディオの生き残り方というものも尊重しなければならない。インディオは何より先に文化的存在なのだから。

次回は、NGO会議の最後に開催されたインディオのフェスティバルについて書いてみたい。

今日はお休み。また餃子のO将でラーメンセットを食べてきた。店員さんに、一昨日もいらしてましたよねと声をかけられた。

誤字脱字失礼御免

















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