2014長崎市長平和宣言を読み直す(2)
2014年8月17日 日常2009年のオバマ大統領によるプラハ演説は、表面上、非常に画期的なものであった。
http://www.whitehouse.gov/the_press_office/Remarks-By-President-Barack-Obama-In-Prague-As-Delivered
原爆投下に対するアメリカの道義的責任を認め、アメリカが率先して核軍縮に取り組むという積極的な姿勢が明らかにされた。
しかし、核兵器の撤廃には長い時間がかかるので、それまでの期間、アメリカは自分自身のための、そして同盟国のための抑止力を保つとする。
ここで使われる「抑止力」とは、実質的に「核抑止力」を指すものと思われる。
次に、核撤廃の具体的方策として、米露が新戦略兵器削減条約(新START)を開始すると宣言し、その調印がプラハで行われた。これは核保有量の削減を目標とする。
同時に、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を急ぐことを表明。CTBTはアメリカがまだ批准していないため効力が発生していない。
また、核不拡散条約(NPT)を通じて核軍拡を防ぐとした。再生可能エネルギーの利用にも触れているが、原子力発電への依存を温存している。
NPTは、核軍縮、核不拡散、そして原子力の平和利用を促進することを目的としている。
核兵器の所有を放棄した国に原子力発電の技術などを提供するということを骨子とするNPTだが、よく指摘される通り、原子力発電と核兵器の製造はコインの表裏である。
更に、北朝鮮やイランの核疑惑がある以上、核ミサイルを撃墜する防衛ミサイルシステム(DMS)も、コストが少なく性能も証明されているとし、導入を検討している。
DMSはロシアとの間の核軍縮にマイナスの影響を与えており、米露の核削減が進まない大きな理由になっている。
最後に、核セキュリティー・サミットを2010年に開催すると宣言し、このサミットは今年も開催されている。
しかし、核保有国と非核保有国の両者が参加するこのサミットでは、核軍縮を実現する有効な具体的方針は打ち出されていない。
同時に兵器用核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)にも間接的に触れている。
繰り返すが、原子力の平和的利用を行う以上、濃縮ウランやプルトニウムという核兵器の材料が作り出されるのである。
この演説全体のテーマは「核兵器なき世界(a world without nuclear weapons)」を追求することであり、日本政府が使う「核兵器なき世界(a world free of nuclear weapons)」というスローガンと酷似している。
プラハ演説は、日本が現在とっている核軍縮のための政策の雛形となっていると言っても過言ではない。
このプラハ演説に比べて2013年のベルリン演説は、正義を伴う平和(peace with justice)がテーマとなっている。
http://www.whitehouse.gov/the-press-office/2013/06/19/remarks-president-obama-brandenburg-gate-berlin-germany
核弾頭の数を1950年代の最低レベルにまで削減する、(核)抑止力を保ったまま戦術核の数を3分の1まで削減すると述べられており、非常にアピーリングであった。
しかし、包括的核実験禁止条約(CTBT)の締結、新STARTを通じてロシアと交渉するということなど以外、具体的方策は示されなかった。
2013年のドイツと言えば、フクシマを機に脱原発をしており、演説の中で、核の平和利用を促進する核不拡散条約(NPT)を持ち出すことは非常に困難であった。
従って、強調されるのは、アメリカにおける再生可能エネルギーによる発電の飛躍的増加である。
NPTの三本柱の一つである平和的核利用に関わる文言はたった1行であった。
プラハの時はNPTが必要不可欠な手段と明言しているので、NPT抜きでアメリカの核削減の手段を具体的に述べるのはほぼ不可能だったと思う。
ここで、ベルリン演説のテーマである「正義を伴う平和」について言及したい。
これは人種差別、失業、飢餓、教育、公衆衛生などへの世界的取り組みを通じて平和を創造するというものである。
倫理的責任に基づいて、これらの問題へ積極的に取り組むことこそ真の平和、核兵器なき世界を追求することに他ならないという決意表明である。
この考え方は米国の法学者クインシー・ライトによって提唱され、その後、ノルウェーのヨハン・ガルトゥングが体系化した。
即ち、消極的平和を、ただ単に戦争のない状態として退け、貧困、差別など社会的構造から発生する暴力がない状態を積極的平和と定義したのである。
安倍首相が使う「積極的平和主義」とは、個別的自衛権、集団的自衛権の行使こそが平和の追求であるとまとめてよいと思う。
従って、オバマ大統領の「正義を伴う平和」がガルトゥンク等の「積極的平和主義」に酷似している一方、安倍首相の積極的平和主義は、それとは真っ向から対立する概念である。
さて、プラハ演説とベルリン演説の違いは何か。
それは、単なる核なき世界ではなく、平和の創造に必要なあらゆる非軍事的手段を具体的に述べている点である。
一方で、核兵器削減に大胆な数値目標を掲げている。しかし、米国が主軸としてきた核不拡散条約(NPT)を通しての核軍縮に関して述べる機会を奪われ、腰砕けになっている点である。
両スピーチに通底するのは、核軍縮を目指すが、当面、核抑止力を維持しなければならないという現実的対処法である。
外務省は、アメリカが戦術核を3分の1に削減するとしても、同盟国への(核)抑止力は健在だと評価している。
誤字脱字失礼御免。
http://www.whitehouse.gov/the_press_office/Remarks-By-President-Barack-Obama-In-Prague-As-Delivered
原爆投下に対するアメリカの道義的責任を認め、アメリカが率先して核軍縮に取り組むという積極的な姿勢が明らかにされた。
しかし、核兵器の撤廃には長い時間がかかるので、それまでの期間、アメリカは自分自身のための、そして同盟国のための抑止力を保つとする。
ここで使われる「抑止力」とは、実質的に「核抑止力」を指すものと思われる。
次に、核撤廃の具体的方策として、米露が新戦略兵器削減条約(新START)を開始すると宣言し、その調印がプラハで行われた。これは核保有量の削減を目標とする。
同時に、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を急ぐことを表明。CTBTはアメリカがまだ批准していないため効力が発生していない。
また、核不拡散条約(NPT)を通じて核軍拡を防ぐとした。再生可能エネルギーの利用にも触れているが、原子力発電への依存を温存している。
NPTは、核軍縮、核不拡散、そして原子力の平和利用を促進することを目的としている。
核兵器の所有を放棄した国に原子力発電の技術などを提供するということを骨子とするNPTだが、よく指摘される通り、原子力発電と核兵器の製造はコインの表裏である。
更に、北朝鮮やイランの核疑惑がある以上、核ミサイルを撃墜する防衛ミサイルシステム(DMS)も、コストが少なく性能も証明されているとし、導入を検討している。
DMSはロシアとの間の核軍縮にマイナスの影響を与えており、米露の核削減が進まない大きな理由になっている。
最後に、核セキュリティー・サミットを2010年に開催すると宣言し、このサミットは今年も開催されている。
しかし、核保有国と非核保有国の両者が参加するこのサミットでは、核軍縮を実現する有効な具体的方針は打ち出されていない。
同時に兵器用核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)にも間接的に触れている。
繰り返すが、原子力の平和的利用を行う以上、濃縮ウランやプルトニウムという核兵器の材料が作り出されるのである。
この演説全体のテーマは「核兵器なき世界(a world without nuclear weapons)」を追求することであり、日本政府が使う「核兵器なき世界(a world free of nuclear weapons)」というスローガンと酷似している。
プラハ演説は、日本が現在とっている核軍縮のための政策の雛形となっていると言っても過言ではない。
このプラハ演説に比べて2013年のベルリン演説は、正義を伴う平和(peace with justice)がテーマとなっている。
http://www.whitehouse.gov/the-press-office/2013/06/19/remarks-president-obama-brandenburg-gate-berlin-germany
核弾頭の数を1950年代の最低レベルにまで削減する、(核)抑止力を保ったまま戦術核の数を3分の1まで削減すると述べられており、非常にアピーリングであった。
しかし、包括的核実験禁止条約(CTBT)の締結、新STARTを通じてロシアと交渉するということなど以外、具体的方策は示されなかった。
2013年のドイツと言えば、フクシマを機に脱原発をしており、演説の中で、核の平和利用を促進する核不拡散条約(NPT)を持ち出すことは非常に困難であった。
従って、強調されるのは、アメリカにおける再生可能エネルギーによる発電の飛躍的増加である。
NPTの三本柱の一つである平和的核利用に関わる文言はたった1行であった。
プラハの時はNPTが必要不可欠な手段と明言しているので、NPT抜きでアメリカの核削減の手段を具体的に述べるのはほぼ不可能だったと思う。
ここで、ベルリン演説のテーマである「正義を伴う平和」について言及したい。
これは人種差別、失業、飢餓、教育、公衆衛生などへの世界的取り組みを通じて平和を創造するというものである。
倫理的責任に基づいて、これらの問題へ積極的に取り組むことこそ真の平和、核兵器なき世界を追求することに他ならないという決意表明である。
この考え方は米国の法学者クインシー・ライトによって提唱され、その後、ノルウェーのヨハン・ガルトゥングが体系化した。
即ち、消極的平和を、ただ単に戦争のない状態として退け、貧困、差別など社会的構造から発生する暴力がない状態を積極的平和と定義したのである。
安倍首相が使う「積極的平和主義」とは、個別的自衛権、集団的自衛権の行使こそが平和の追求であるとまとめてよいと思う。
従って、オバマ大統領の「正義を伴う平和」がガルトゥンク等の「積極的平和主義」に酷似している一方、安倍首相の積極的平和主義は、それとは真っ向から対立する概念である。
さて、プラハ演説とベルリン演説の違いは何か。
それは、単なる核なき世界ではなく、平和の創造に必要なあらゆる非軍事的手段を具体的に述べている点である。
一方で、核兵器削減に大胆な数値目標を掲げている。しかし、米国が主軸としてきた核不拡散条約(NPT)を通しての核軍縮に関して述べる機会を奪われ、腰砕けになっている点である。
両スピーチに通底するのは、核軍縮を目指すが、当面、核抑止力を維持しなければならないという現実的対処法である。
外務省は、アメリカが戦術核を3分の1に削減するとしても、同盟国への(核)抑止力は健在だと評価している。
誤字脱字失礼御免。
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