ご無沙汰しています。ようやく日記を書く時間ができました。
通院、家事、仕事に追われ、高邁な思索に耽る時間は全て殺がれてしまいましたが、下駄履きの生活者として世の中を見ることができるようになりました。
人間一人が考えることのできること、それは非常に限られています。
ましてや研究室に籠もって黙々と、同じような立場の人が書いたものを読んで論文を書くというアカデミズムから生まれるものは大きく偏り、現実との接点を失っていきます。
だからどうなのか?分かりません。ただ、それ以外の視点から世の中を見ることは可能なのではないかと思うだけです。
明日は休み。少しのんびりしたいと思います。
通院、家事、仕事に追われ、高邁な思索に耽る時間は全て殺がれてしまいましたが、下駄履きの生活者として世の中を見ることができるようになりました。
人間一人が考えることのできること、それは非常に限られています。
ましてや研究室に籠もって黙々と、同じような立場の人が書いたものを読んで論文を書くというアカデミズムから生まれるものは大きく偏り、現実との接点を失っていきます。
だからどうなのか?分かりません。ただ、それ以外の視点から世の中を見ることは可能なのではないかと思うだけです。
明日は休み。少しのんびりしたいと思います。
コメント
>アカデミズムから生まれるものは大きく偏り、現実との接点 を失っていきます。
この傾向は、社会科学の分野でとりわけ顕著です。
社会現象は複雑現象なのであるからして、その背景を探る試みは大概、徒労に終わるはずなのですが...どういうわけか現象を定性・定量的に把握したがる人が多い。
ソ連崩壊─その頃私はほんの小さな子供でした─から25年弱経った今でも、この有り様です。
本来、社会科学的な論考は「分からない」ということをスタートラインとしなければならない。すなわち「人間社会を成立せしめている要因は把握できない。よって社会を目的合理的に統御することはできない」と言う認識を、常に有していなければなりません。
このような反合理主義的自由主義はアダム・スミスを源流とし、現代においてはハイエク、ポパー、オークショット、M・ポランニーらによって発展せられたものですが、我が国においては未だメジャーなものとはなっておりません。我が国におけるマルクスとハイエクの知名度の差を考えれば、このことは明らかであります。
結局、戦後の右派は「反・左翼」ということにしか自らのレゾンデートルを見出だせなかった、そのことのツケが未だに学術会を蝕んでいると考えます。
色々と大変でしょうが、日記がまた更新された事を嬉しく思います。
マイペースでというのも難しいのかも知れませんが、
お互い無理のない程度でいきたいですね。
どうやら、地域は違えど私と似た仕事で生計を立てられているようですね。私は浪人生相手の集団指導メインですので、この時期は比較的暇ですが...。
私より大分、ご年配の方と推察いたします。どうぞ、ご自愛ください。
お久しぶりです。マルクス、ハイエク、日本では共に有名ですね。日本人は欧米の思想家が大好きで、彼らをどう理解するか、というところで止ってしまいます。
昔々某大学院にハーバマスをドイツ語で読み、理解しているというだけで尊敬されていた御仁がおりました。
こういう話が過去の遺物になっていることを祈るのみです。
私は、もう老後を考えるのに十分な年齢を重ねてしまいました。今の仕事もそろそろ終わりにしようかと考えているところです。
今後ともよろしくお願いします。
また酷く長い間更新できませんでした。
母の介護も、最近では、少しずつ手を抜くことを覚え、何とか共倒れは避けれるようになりました。
今日も、冷凍食品が半額というので、かなり買いだめてしまいました(笑)