どの局のテレビを観ても、東北大震災の話題ばかり。
確かに何周年というのは大事かも知れないが、こういう記憶の呼び出しは震災を風化させるのではないか。
あの時新生児だった子が今は4歳とか、そういう当たり前のことを言って何になるのだろう。
そう、確かに、時間は暴力であり、容赦なく不可逆的な過去と現在の関係性について判決を下す。
だが、時間と震災の間には微塵もの関連もない。1年経っても2年経っても、起きたことは起きたという事実に違いはない。
記憶は減衰する。そうだろうか?何故色褪せると決め付けるのだろう?記憶はアスファルトの事故現場に供えられた仏花のようにますます色めく。
ただ記憶の持ち主の死をもって消え去るだけだ。
震災を過去の鋳型に流し込む愚かな記念行事には屁でもかけておけばよい。
あの日から、いや、それ以前から、私が生まれたときから、震災と事故の胎動が始まっていた。
そして、今、未来、私の最期までサステインは続く。
忘れやすく傲慢な人間の前で、自然の猛威は神秘の巨大さを余るところなく披瀝し、その結末にみな跪いた。
飼い慣らしていないテクノロジーは矮小なコミュニティーで発達した根拠のない楽観主義、いや、思考停止を嘲笑う。
それも束の間、4年も経ったのだからと、もう一度、震災以前と何ら変わらない思考停止の状態へ舵をとる人々が増殖する。
一方で、震災は、再び、その悲劇と分かちがたく結び付いた人々の心という地下処分場で、いよいよ発熱しながら遠い未来の破滅を予言する。
あの日、私の発した言葉は「畜生!ドジりやがって!」に尽きた。
様々なプランを持って生活を一新しようと考えていた私は、そして、多くの同様の人々がネットに釘付けとなった。
原発の爆発の動画を何度も何度も見直し、F1の北西で高まる放射線量に戦慄したのだった。放射線物質はこんな辺鄙な北の片田舎にまで達した。
天災だけならこんなことはなかった。
いずれにしても、今、自分に何ができるのかよく考え、行動することのみが、どのような状況においても求められることなのだ。それが難しい。
同じくらい、現在まで続くあの震災を忘却の彼方へ葬り去ることも困難なのだ。
確かに何周年というのは大事かも知れないが、こういう記憶の呼び出しは震災を風化させるのではないか。
あの時新生児だった子が今は4歳とか、そういう当たり前のことを言って何になるのだろう。
そう、確かに、時間は暴力であり、容赦なく不可逆的な過去と現在の関係性について判決を下す。
だが、時間と震災の間には微塵もの関連もない。1年経っても2年経っても、起きたことは起きたという事実に違いはない。
記憶は減衰する。そうだろうか?何故色褪せると決め付けるのだろう?記憶はアスファルトの事故現場に供えられた仏花のようにますます色めく。
ただ記憶の持ち主の死をもって消え去るだけだ。
震災を過去の鋳型に流し込む愚かな記念行事には屁でもかけておけばよい。
あの日から、いや、それ以前から、私が生まれたときから、震災と事故の胎動が始まっていた。
そして、今、未来、私の最期までサステインは続く。
忘れやすく傲慢な人間の前で、自然の猛威は神秘の巨大さを余るところなく披瀝し、その結末にみな跪いた。
飼い慣らしていないテクノロジーは矮小なコミュニティーで発達した根拠のない楽観主義、いや、思考停止を嘲笑う。
それも束の間、4年も経ったのだからと、もう一度、震災以前と何ら変わらない思考停止の状態へ舵をとる人々が増殖する。
一方で、震災は、再び、その悲劇と分かちがたく結び付いた人々の心という地下処分場で、いよいよ発熱しながら遠い未来の破滅を予言する。
あの日、私の発した言葉は「畜生!ドジりやがって!」に尽きた。
様々なプランを持って生活を一新しようと考えていた私は、そして、多くの同様の人々がネットに釘付けとなった。
原発の爆発の動画を何度も何度も見直し、F1の北西で高まる放射線量に戦慄したのだった。放射線物質はこんな辺鄙な北の片田舎にまで達した。
天災だけならこんなことはなかった。
いずれにしても、今、自分に何ができるのかよく考え、行動することのみが、どのような状況においても求められることなのだ。それが難しい。
同じくらい、現在まで続くあの震災を忘却の彼方へ葬り去ることも困難なのだ。
コメント
原発については、語らずにおきます。突き詰めて行ゆけば「我々の制御可能な範囲内にないテクノロジーと、我々はどう向き合うべきか」「進歩の意義と是非」という問題にぶち当たってしまいますから。
まず、「教訓」と「感情」を分けて考える必要があるかと思います。
「○○していれば、救えた命があった」
といった類いのことを忘れてしまうのは、歴史にも経験にも学べぬ愚者です。「教訓」は、永く心に刻み込んでおかねばなりません。
一方後者の「感情」については、「忘却」は救済であります。我々の精神は、悲しみや喪失感といった負の感情をいつまでも抱えておれるほど頑丈に出来てはいません。忘却は、必要なのです。起こってしまった事実についての記憶は薄れることがなくとも、それに付随する感情はいつかは忘れられるか、さもなくば限りなく薄められるかしなければなりません。
忘却は、意識的なものと無意識的なもの、ふたつに分けられます。後者は語るに及ばず。前者についていえば、我々も常日頃行っていることであります。仕事や人間関係でちょっとした問題を起こしてしまったときなど。
起こった出来事は、かけがえのない人の死、しかもそれが東日本大震災という広汎な社会的影響をもたらしたもの、となると、「意識的な忘却」も困難となりましょう。当時のことを想起させる材料は身の回りに、無数に転がっているわけですから。
「年」「月」といった時間の分節がわれわれの恣意によるものであり、各地で行われている記念行事がそれに基づくもので、ひとりひとりの被災者の生の実存から乖離したものであったとしても、「忘却を促す」効果くらいは期待できると思うのです。「もうあれから○年経ちました。貴方も悲しむばかりでなく、前向きに生きてください」と。無論これは、逆に当時の記憶とそれに付随する感情を強化してしまうおそれもある、諸刃の剣でもありますが。
いつも学ぶべきこと大です。
いくつか私の頭にも浮かぶことがあり書かせていただきます。
先ず、原発の問題も考えましょうよ。制御不可能なテクノロジーとどう向き合うべきなのか、技術の「進歩」とは何かといった問題を避ける思考からは何も生まれません。
それに、F1が「科学技術」の問題だったのかどうかよく考える必要があります。
次に、記憶の主体について先生様さんと私ではおよそ異なる人々のことを思い浮かべていると思います。同じかも知れませんが結論が違うのです。
私は、東日本大震災(いや、東北大震災だと思いますよ)により命を奪われた約2万人の方々ではなく、その遺族の方々でもなく、故郷を追われた22万人のうち、立ち入り禁止地区に故郷がある10数万人の避難民のことを考えています。
いや、もう既にその兆候は現れていますが、放射能による「障害」を背負って生きねばならない新しい世代に私たちはどう向き合っていけば良いのか、いやいや、私たち自身に原発事故の影響が出た場合、どう対処すれば良いのか、そこまで考えねばならないと思います。
ですから3.11の記憶は減衰しないのです。阪神淡路大震災とは根本的に異なります。
先生様さんの仰ることは良い意味でも悪い意味でも歴史主義ですね。しかし、時を経ても変わらない人間社会の側面に光を当てるのもまた歴史なのであり、教訓を導くことは可能なのです。
さて、人間社会を語る際に感情を除くことは可能なのか。もちろん、先生様さんがそこまで感情を否定されているとは思いませんが、感情もまた理性の産物であることを忘れてはいけないのです。
自然科学に社会「科学」や人文学までが侵食される今日ですが、自然を相手にした思索すら大きく人間の感情の産物であると私は考えています。
常に前向きに考えること、未来を考えること、その重要性については私も先生様さんに共感します。