久志芙沙子さんについて考える 6 もう一つの筆禍事件
2015年5月4日 日常沖縄県民による新参「日本人」に対する蔑視は、沖縄に対する抑圧と劣等意識の裏返しであり、弱さゆえの所産である。
更に、この差別は、沖縄本島の住民による離島出身者に対する差別、あるいは、首里の人間の那覇の住民に対する差別意識、或いは、沖縄本島の住民の中に存在する被差別民の存在・・・とマトリョーシカのように入れ子人形のような構造をなしている(いた)ことには十分な注意を払うことが必要だ。
この点に関しては、久志が筆禍事件以降に公にしているインタビュー記事やエッセイで何度か触れている。
さて、今回は久志の筆禍事件が起きる6年前に、もう一つの筆禍事件があったことについて書いてみたい。
広津和郎という東京出身の作家が1926年(大正15年)に「中央公論」に発表した「さまよへる琉球人」と、それに対する沖縄青年同盟の抗議、そして広津の謝罪がそれだ。
「さまよへる琉球人」は私小説で実際のモデルもいるようだが、東京在住の琉球人が詐欺紛いの行為を主人公の「私」に対してはたらき、被抑圧民族である流求人は内地で多少無責任なことをしても当然だという意識を持っていると述べる。
「広津和郎君に抗議す」と題された抗議文は、広津が沖縄の窮状に同情的であり、その点は評価すると始める。また、小説家には創作の自由があることも認める。
しかし「さまよへる琉球人」とタイトルを琉球人に限定する必要はないのではないか、作中の詐欺紛いの行為は内地人も犯すものであり「さまよへる内地人」としても一向に問題はないはずだと指摘する。
そして、少なからずの琉球人が「内地」に職を求めねばならない現状を考えると「さまよへる琉球人」が植え付ける沖縄県人のイメージは誤解を招き実際の脅威となる可能性が大であると結ぶのである。
原文を読まれるのが早道だとは思うが、「滅びゆく琉球女の手記」に在京沖縄学生会が叩きつけた抗議とはおよそ異なる内容である。
この中にはアイヌ民族も朝鮮人も登場しないのみならず、広津の作品に肯定的評価すら与えている。
広津もまた「沖縄青年同盟諸君に答う」と題した回答文で、同作品が沖縄県人に意図しなかった脅威を与えるものであれば謝罪するし、今後出す全集などに、この作品は再録しないことを誓うのである。
つづきは明日書きます。
更に、この差別は、沖縄本島の住民による離島出身者に対する差別、あるいは、首里の人間の那覇の住民に対する差別意識、或いは、沖縄本島の住民の中に存在する被差別民の存在・・・とマトリョーシカのように入れ子人形のような構造をなしている(いた)ことには十分な注意を払うことが必要だ。
この点に関しては、久志が筆禍事件以降に公にしているインタビュー記事やエッセイで何度か触れている。
さて、今回は久志の筆禍事件が起きる6年前に、もう一つの筆禍事件があったことについて書いてみたい。
広津和郎という東京出身の作家が1926年(大正15年)に「中央公論」に発表した「さまよへる琉球人」と、それに対する沖縄青年同盟の抗議、そして広津の謝罪がそれだ。
「さまよへる琉球人」は私小説で実際のモデルもいるようだが、東京在住の琉球人が詐欺紛いの行為を主人公の「私」に対してはたらき、被抑圧民族である流求人は内地で多少無責任なことをしても当然だという意識を持っていると述べる。
「広津和郎君に抗議す」と題された抗議文は、広津が沖縄の窮状に同情的であり、その点は評価すると始める。また、小説家には創作の自由があることも認める。
しかし「さまよへる琉球人」とタイトルを琉球人に限定する必要はないのではないか、作中の詐欺紛いの行為は内地人も犯すものであり「さまよへる内地人」としても一向に問題はないはずだと指摘する。
そして、少なからずの琉球人が「内地」に職を求めねばならない現状を考えると「さまよへる琉球人」が植え付ける沖縄県人のイメージは誤解を招き実際の脅威となる可能性が大であると結ぶのである。
原文を読まれるのが早道だとは思うが、「滅びゆく琉球女の手記」に在京沖縄学生会が叩きつけた抗議とはおよそ異なる内容である。
この中にはアイヌ民族も朝鮮人も登場しないのみならず、広津の作品に肯定的評価すら与えている。
広津もまた「沖縄青年同盟諸君に答う」と題した回答文で、同作品が沖縄県人に意図しなかった脅威を与えるものであれば謝罪するし、今後出す全集などに、この作品は再録しないことを誓うのである。
つづきは明日書きます。
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