先日の新幹線焼死事件、テロかと思った人も多いはず。

だったかどうかは別として、今も尚、新幹線はイージーなテロの標的として君臨しており、防止対策は何ら無く、そんなものを立てることもできない。

それは、日本が周りの人間を信頼して成り立っている国家だからであり、よく考えれば、これは「先進国」全般について言えることである。

テロについてよく知っている国家、国民、知らない国家、国民という違いは存在するが、テロに威勢よく反旗を翻した国家と国民はみな知らなくてはならない。

テロの標的になる国家は、前提として、テロリストに狙われる原因を共有していなければならない。

新参者の日本は、イラク戦争あたりから、その原因をわざわざ拾ってきた。この段階で日本人数名の命を犠牲にしたし、今年も、ISに2名の日本人が殺戮された。

何故だろう、その原因、理由、必然性を説明できる日本人はいるだろうか?何故、イラク人を敵に回し、ISに敵対したのか?

うすらバカ安倍が述べるように、日本が自由と民主主義を標榜する国だからか?

その意味なら、日本は中国や北朝鮮に近づいており、どちらも否定するようになっている。

欧米に行ったことのある人なら、日本が、少なくとも欧米並みに、自由からも民主主義からも恩恵を受けていないことに気付くだろう。

このような高遠な思想や価値を理由に戦える国はアメリカと戦勝したヨーロッパ諸国をおいて他にない。

そのような文明を発明し栄えて、自国の外でそれらを徹底的に蹂躪してきたのは彼等だけだからだ。

その彼等の形だけを物真似するのが安保法制だ。

クラシックな国家間戦争に導くものかどうかが問題なのではない。

自衛隊員を含めた日本人が日本の自衛とは無関係に命を落とす事態へ歩を進めることこそ問題なのだ。

国内国外を問わず日本人が標的となり安全を享受できない事態を生み出すことが問題だ。

そして、それは、もう始まったことであり、その事後承認を行ない、その方向へ加速するのが安保法制なのだ。

私は、もう武力が何かを解決する時代は終わったし、武力が永久に何かを解決する手段であったことはないと思う。

また軍事力、軍事技術の発展が、「戦争」をこれまでのクラシックな戦争とは別次元のものに変容させたことも認めなければらなない。

簡単な手段で大きな代償を払わせるテロや大量破壊兵器がその変化を代表している。

一回戦う(アームを使う)前に百回考えろというのが私の信条だが、もし、日本の軍事力の行使で日本人の命が犠牲になるのなら、それは日本を守るためでなくてはならない。

他国や、抽象的価値のためであってはならない。

これは日本人全員に与えられた権利であり、九条の問題を差し置き、日本国憲法を貫く法理である。

そして今のところ日本国憲法は日本国民によって支持されているのであって、改憲勢力は少数派である。

繰り返すが、安保法制はこれから始まるのではなく、既に始まった事態を追認するための火急の法整備である。

自衛隊がフィリピン軍やオーストラリア軍と合同演習を行っているが、これは日本がアメリカ及びこれら二国と共に中国包囲網の一端を積極的に担うという軍事的意思表明である。

ドンキー安倍は、こうする以前に、中国首脳と百回は会談すべきだったし、ようやく実現しようとしている習近平との会談で関係改善に努力してもらいたいが遅過ぎるだろう。

日本政府は、日本人一人の生命が地球全体と等しく重いと信じて行政を担当しなければならないし、国民も、そのような政を行わない内閣は解散させなければならない。

私は憲法は政治の侍女(女性の方、失礼)だと思っているので、憲法の文言ではなく、国民の意思が政治を憲法を動かすと信じる。

内閣不支持率が支持率を上回って久しい。撤回すべきは新国立競技場だけではない。

自民党の造反者が増え、創価学会の反乱が公明党を変え、安倍内閣が自滅し、安保法制の誤りが明らかになることを願って止まない。











コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

日記内を検索