朝から30℃を超え、午後4時を過ぎた今も室内は32℃ある。

午前中に今日の授業はキャンセルということになり、もうそろそろ終わりの夏を楽しもうかという気持ちになる。

Tシャツにショートパンツ、ノー靴下といういでたちで恰もハワイのカイルアビーチにいるような気分にひたる。

ということはなく、たまりにたまった録画を処理しょうとブルーレイにダビングし始めた。

それだけではつまらないと、ユーチューブでツェッペリンのフィジカルグラフィティーを聞きながら作業を続けた。

するとタイトルの小説の映画が録画されていた。観るとなれば1時間半ほどかかる。暇だがそういう気持ちにもなれず。

そういえば、この原作、確か文庫本を買っていたはず。大掃除で綺麗になった本棚を見ると確かにあった。

こっちの方が早そうだと思い、ダビングの合間に読み始めた。山崎ナオコーラの作品は初めてである。

19歳の若者が20歳年上の女性と恋におちいる。その女性は彼の教師にして既婚者。恋の顛末はこの青年が綴る。

これは「越える」ことに関する作品だと思う。

一つは障壁を越えること。性別差、年齢差、世代差、嗜好の差、既婚・未婚の差、美醜に関する既存の価値観などを越えて解かり合おうとするプロセス。

成功するとは限らず、寧ろ失敗しているが、その実直さが新鮮だ。

次に、伝説的に古い男女のロールプレイを軽々と越えてクロスさせること。

最後に近づくにつれて、ゆりは男として、俺は女としてこれまで期待されてきた役割を交替し、ジェンダーに基づく神話を美しく破壊する。

時代設定も軽々と過去へ超えて、39歳のゆりは団塊の世代に設定される。俺も現在の若者像からズレており、どこか古臭い。

こうした越境が、この作品を現実離れしたストーリーに仕立てるが、フィクションの中で人物を泳がせるという小説本来の愉しみを提供することになる。

そこに気付くか気付かないかが、この作品を凡作と秀作に分けてしまうのであろう。






もう一つは、

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