18歳の女子高生が、同じく18歳の男子学友に殺してくれと頼み、願いが叶えられたというニュースが話題になっている。事実なら嘱託殺人というらしい。

他人が介在する自殺ほど醜いものはない。三島由紀夫が美しい最期を遂げたと思う人は少数だろう。

かくいう私は中学生の頃から結核で18歳までに死にたいと願っていた。

それまでに小説でも書いて、死後脚光を浴びるというのは何とかっこいい!

この目的のために私は東京の女子高生が主宰する文芸誌に何通も詩を送り、それらは幸運にも掲載された。

その文芸誌を傍らに、毎日、カーテンを閉じ、窓も完全に閉めて、肺結核になりたいなりたいと願い悶々としていた。

しかし育ち盛りの私はきっちりと栄養満点の食事をとり、ただの青っちょろいデブになってしまったのだ。

あの頃はとんがっていた。ものすごい美学の追求を他人に求め、ちょっとでも堕落しようものなら許さなかった。

教師や大人全般の不完全性を罵り、そうなる前に美しい死を遂げようと願っていたのであった。夭逝は人生の華であり自分を高める理想であった。

自死についても幾度となく考えたが、他人に殺してもらおうとは思わなかった。

自分には生きる価値がないと18歳の女子高生は考えていたようだが、そのように思ったことはなかった。

自分の人生に価値が無いと思うのなら、大多数の大人のように徹底的な堕落をし、毎日労働力を売り、無名の市井の人として死ぬことを願えばよかったのだ。

生きながら死んでいるのがほとんどの大人ではないか。そう気付くまでに長い時間は必要なかった。

明日は一人教える。




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