ジャーナリストのシリア、イラクへの渡航を禁止する日本政府 先生様さんへのコメ(2)
2015年11月20日 日常 コメント (7)(先生様さんへのコメントが字数をオーバーしたので、このエントリーの最後にコメント(2)を貼り付けます。悪しからず)
昨日のエントリーに若干の付け足しをしたい。
今回、パスポートを返納させられ、猛烈な抗議の結果、シリアとイラクへの渡航を制限した旅券を返されたのは杉本祐一氏という新潟在住のフリーカメラマンである。
外務省の言い分としては、杉本さんが、外務省の退避勧告に反してシリア渡航を企てている、ということが一つ。
また旅券法19条1項4条に「旅券の名義人の生命、身体、または財産の保護のため渡航を中止させる必要があると認められる場合」はパスポートの強制返納を命じることができるという規定があるというものだ。
旅券法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26HO267.html
しかし、返納命令までの経緯を見ると、旅券名義人の利益を考えてパスポートを返納させたというより、安倍政権が自己保身のために不利な報道を禁止したと考えるのが正しそうだ。
2月6日午前中、杉田和博官房副長官が外務省に官邸へ呼び出しをかけ、同日の午前から午後にかけて外務大臣に諮り外務省内で協議。
同日夕方、外務省三好領事局長が官邸へ行き、杉田官房副長官に説明。官邸の意向を踏まえ、その場で杉本氏への旅券返納命令を決定したという。
シリアやイラクからの退避命令というのはジャーナリストを対象にすべきものだろうか?
また、ジャーナリストが取材に関して身体生命の危険を冒すことは当たり前のことであり、法でジャーナリストを保護するという建前で取材禁止を命令するのは取材の自由を完全に否定するものだ。
取材の自由、知る権利を貫徹するためには、いかなる不利益が政府側に生じようと、政府は自国民を保護しなければならない。自己責任ではないのだ。
自由主義社会は様々なコストを伴う。コストがゼロになるとき、それは全体主義ということだ。
また旅券法の適用についても、外務省が杉本さんに一切、聴聞・弁明の機会を与えず、強制的に旅券を奪ったのは手続法的にも違法ではないかという見方がある。
私は、手続的な違法性はもちろんだが、このようなジャーナリストの出国禁止は違憲であると思う。
自由主義社会とは、政府に都合の悪いことも報道することを認めた上で成り立つ社会である。
安倍政権のメディア規制は、ロシアの盟友プーチンに迫るものであり、日本の報道自由度は世界で60位くらいに転落しているらしい。
北朝鮮や中国と肩を並べる日も近いだろう。そもそも日本が自由主義国家、民主主義国家、いや、国民国家であった事実は存在するのか?
白井聡『「戦後」の墓碑銘~「戦後」の断末魔=安倍政権を歴史の屑籠に叩き込め!』を読んで、日本人自身による真の民主化を推し進め、米国の傀儡を止める時期が来ているのではないかとつくづく思った。
☆先生様さんへのコメント (2)
ご指摘の通り、ではフリージャーナリストによる報道が安倍政権打倒を直ちに導くかといえば、そんなことはありません。
そのような極論を展開しているつもりはありません。
最後のご指摘ですが、取材の自由を認めれば誘拐されて殺害される自由も与えることになる、政府は国民が無謀な渡航で危険を冒すことを制止しその生命を守らねばならない、とのことと理解しています。
それはネット中に氾濫している非常にポピュリスト的な物言いです。
かなり前になりますが、中国政治に関する興味深い文献を読んでいました。
著者の名前も忘れてしまいましたが、要約すると以下のようなことを書いていました。
中国では古代王朝から現在の中国共産党までを通じて、政府は親、国民はその子供であるという親子のような関係を基調にしていると。
日本で言えば、天皇の日本臣民に対する赤子観のようなものになるでしょうか。そんなものがあればの話ですが。
政府と国民の間にそのようなものが存在するとすれば、パスポート剥奪というのは、公権力が一段上に立って、善意から、子供たる国民より危険なおもちゃを取り上げたということになるのでしょう。
そのような捉え方は、日本国民が国民主権というものをまだ理解していないということを意味するのではないかと思います。
私は、真実は寧ろ、中東におけるアメリカの軍事・外交戦略までも猿真似を始めた幼稚な安部政権に国民が注意を喚起しているというところではないでしょうか。
湯川さん、後藤さんの事件で明らかになったことは、日本はアメリカと同様、テロリストからの要求には一切応じず、誘拐が起きても何ら救助努力を行なわないということです。
ISは身代金を要求していたのです。ISとのコンタクト先は後藤さんの妻がISから脅迫メールを受け取った時のメルアドという明確なものが存在しました。
日本政府は無力で何の救出手段も持たなかったというのは明らかな誤りです。
ISのターゲットを益々日本へ向けさせた一因が中東歴訪中の安倍による妄言だったとすれば(まさにその通りだったと思います)、安倍政権は邦人の救出に全力をあげねばならなかったと考えます。
その時、問題となるべきだった事柄は、身代金を払うことによってISの財源を強化すことになるという至極全うなことだったはずです。
この場合、緊急避難で、止むを得ない決断と考えるのが妥当です。実際、身代金で拘束された自国民を救助した「成熟した」国家もあるわけです。
安倍政権には国民国家としての成熟など最初から存在しません。最近まで、日本人の生命は地球より重いというごくまともな認識があったのですが。
もし杉本さんが、湯川さん、後藤さんに続くケースとなった場合、安倍政権としては再び中東情勢に関する無知と邦人犠牲者にたいする無策が露呈されることを恐れていたと考えるのは非常に理にかなった見方だと思います。
無論、そのような蓋然性、可能性が高いのではないかということを主張する事情が多数存在するということに留まるわけですが。
今回のエントリーに真摯なご批判をいただいた先生様、シモベの一人、Hさん、風神REDさんに感謝いたします。
昨日のエントリーに若干の付け足しをしたい。
今回、パスポートを返納させられ、猛烈な抗議の結果、シリアとイラクへの渡航を制限した旅券を返されたのは杉本祐一氏という新潟在住のフリーカメラマンである。
外務省の言い分としては、杉本さんが、外務省の退避勧告に反してシリア渡航を企てている、ということが一つ。
また旅券法19条1項4条に「旅券の名義人の生命、身体、または財産の保護のため渡航を中止させる必要があると認められる場合」はパスポートの強制返納を命じることができるという規定があるというものだ。
旅券法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26HO267.html
しかし、返納命令までの経緯を見ると、旅券名義人の利益を考えてパスポートを返納させたというより、安倍政権が自己保身のために不利な報道を禁止したと考えるのが正しそうだ。
2月6日午前中、杉田和博官房副長官が外務省に官邸へ呼び出しをかけ、同日の午前から午後にかけて外務大臣に諮り外務省内で協議。
同日夕方、外務省三好領事局長が官邸へ行き、杉田官房副長官に説明。官邸の意向を踏まえ、その場で杉本氏への旅券返納命令を決定したという。
シリアやイラクからの退避命令というのはジャーナリストを対象にすべきものだろうか?
また、ジャーナリストが取材に関して身体生命の危険を冒すことは当たり前のことであり、法でジャーナリストを保護するという建前で取材禁止を命令するのは取材の自由を完全に否定するものだ。
取材の自由、知る権利を貫徹するためには、いかなる不利益が政府側に生じようと、政府は自国民を保護しなければならない。自己責任ではないのだ。
自由主義社会は様々なコストを伴う。コストがゼロになるとき、それは全体主義ということだ。
また旅券法の適用についても、外務省が杉本さんに一切、聴聞・弁明の機会を与えず、強制的に旅券を奪ったのは手続法的にも違法ではないかという見方がある。
私は、手続的な違法性はもちろんだが、このようなジャーナリストの出国禁止は違憲であると思う。
自由主義社会とは、政府に都合の悪いことも報道することを認めた上で成り立つ社会である。
安倍政権のメディア規制は、ロシアの盟友プーチンに迫るものであり、日本の報道自由度は世界で60位くらいに転落しているらしい。
北朝鮮や中国と肩を並べる日も近いだろう。そもそも日本が自由主義国家、民主主義国家、いや、国民国家であった事実は存在するのか?
白井聡『「戦後」の墓碑銘~「戦後」の断末魔=安倍政権を歴史の屑籠に叩き込め!』を読んで、日本人自身による真の民主化を推し進め、米国の傀儡を止める時期が来ているのではないかとつくづく思った。
☆先生様さんへのコメント (2)
ご指摘の通り、ではフリージャーナリストによる報道が安倍政権打倒を直ちに導くかといえば、そんなことはありません。
そのような極論を展開しているつもりはありません。
最後のご指摘ですが、取材の自由を認めれば誘拐されて殺害される自由も与えることになる、政府は国民が無謀な渡航で危険を冒すことを制止しその生命を守らねばならない、とのことと理解しています。
それはネット中に氾濫している非常にポピュリスト的な物言いです。
かなり前になりますが、中国政治に関する興味深い文献を読んでいました。
著者の名前も忘れてしまいましたが、要約すると以下のようなことを書いていました。
中国では古代王朝から現在の中国共産党までを通じて、政府は親、国民はその子供であるという親子のような関係を基調にしていると。
日本で言えば、天皇の日本臣民に対する赤子観のようなものになるでしょうか。そんなものがあればの話ですが。
政府と国民の間にそのようなものが存在するとすれば、パスポート剥奪というのは、公権力が一段上に立って、善意から、子供たる国民より危険なおもちゃを取り上げたということになるのでしょう。
そのような捉え方は、日本国民が国民主権というものをまだ理解していないということを意味するのではないかと思います。
私は、真実は寧ろ、中東におけるアメリカの軍事・外交戦略までも猿真似を始めた幼稚な安部政権に国民が注意を喚起しているというところではないでしょうか。
湯川さん、後藤さんの事件で明らかになったことは、日本はアメリカと同様、テロリストからの要求には一切応じず、誘拐が起きても何ら救助努力を行なわないということです。
ISは身代金を要求していたのです。ISとのコンタクト先は後藤さんの妻がISから脅迫メールを受け取った時のメルアドという明確なものが存在しました。
日本政府は無力で何の救出手段も持たなかったというのは明らかな誤りです。
ISのターゲットを益々日本へ向けさせた一因が中東歴訪中の安倍による妄言だったとすれば(まさにその通りだったと思います)、安倍政権は邦人の救出に全力をあげねばならなかったと考えます。
その時、問題となるべきだった事柄は、身代金を払うことによってISの財源を強化すことになるという至極全うなことだったはずです。
この場合、緊急避難で、止むを得ない決断と考えるのが妥当です。実際、身代金で拘束された自国民を救助した「成熟した」国家もあるわけです。
安倍政権には国民国家としての成熟など最初から存在しません。最近まで、日本人の生命は地球より重いというごくまともな認識があったのですが。
もし杉本さんが、湯川さん、後藤さんに続くケースとなった場合、安倍政権としては再び中東情勢に関する無知と邦人犠牲者にたいする無策が露呈されることを恐れていたと考えるのは非常に理にかなった見方だと思います。
無論、そのような蓋然性、可能性が高いのではないかということを主張する事情が多数存在するということに留まるわけですが。
今回のエントリーに真摯なご批判をいただいた先生様、シモベの一人、Hさん、風神REDさんに感謝いたします。
コメント
私はこの対応は強引且つ違法性もあると思います。ただしそれは必ずしも間違ってもいないとも思います。
国防力に限界のある日本は、ISにはやはり可能な限り関わらない、目に留まらないようにすべきと考えます。もちろん既にあちらの視界には入ってますが、それでも可能な限り刺激を避けるべき接触を避けるべきかと。
万一、この方が拘束されれば救出への活動(軍事的行動or解放交渉等)はどれ程本人が事前に拒否しようと国家として避けられないことです。そしてそのような機会が増える度ISの関係者は「日本人」と「日本」を意識するようになる。真偽は不明ですが、彼らの機関誌では10月にも日本人を殺害したとか喧伝してますしね。機会が増す事で結果、彼らからの自発的な行動が増えては問題です。
個人の自由は尊重されるべきもので在るのは事実だと思います。が、それが公共への不利益につながりかねないのなら、個人の自由の最大化を行うべきではないのではないか?と思います。
公共の利益のために必要に応じて個人の自由権の制限も行うべきではないかと思います。ならその境界は何処なのか?と言う別の話にも発展してしまいそうですが・・・。
政府の利益不利益にかかわらず、この制限は間違いではないと思います。
日本と違って。
そういったジャーナリストの方々は、行動力以外に詳細なネットワークとあらかじめ政府の妨害にあう事を前提に行動されています。
杉本祐一氏の場合、事前にツィッターでシリアに行く事をオープンにしたり、正直に内戦中のシリア政府にビザ申請したりと、いささか旅行気分が混じっているのではないかなという気がしました。
事実、本気でシリアに入りたい日本人ジャーナリストは、杉本祐一氏がパスポートを没収された2月以降も何人も渡航しています。つまり、本気で行く気なら、トルコでビザ申請するなり手段はいくらでもあるという事になります。
もっとも、渡航したうちの一人、Y氏は7月にシリアのアレッポで拘束されてしまいましたが。
私的には、拘束され、ガーディアンやニューヨークタイムズやAFPで報じられたにもかかわらず、菅氏に「日本人の拘束は確認されていない」と黙殺されているY氏のほうが、余程、問題じゃないかと思ったり。
このケースにおいて、杉本氏へのパスポート返納命令を「安倍政権の自己保身のためのもの」と見なすのは少々無理のある解釈かと思われます。
米国主導による一連の「対テロ戦争」開始以降も、大手五紙をはじめとする様々なメディアが、イラクやアフガンへと特派員を派遣しています。朝日新聞等政権に批判的なメディアも、例外ではありません。ただし大手メディアが特派員を危険地帯に派遣する際には、外務省その他の政府機関との綿密な協議が行われております。社内での危機管理体勢及び政府機関との連絡方法等についてです。そういうわけですので、杉本氏の、フリーランスという立場を考慮すると、氏への政府の対処を直ちに「言論弾圧」「体制側の自己保身」と見なすのは少々、無理があるかと。
さらに現状、海外メディアからの情報の遮断が行われていない、という点にも注意を払う必要あり、と考えます。日本国民は、BB Cやアルジャジーラ等の報道に、いくらでも接することが出来るわけであります。各人がそれを積極的に行うか否かは別として、です。かような状況下において、フリージャーナリストの動向が政権に与える影響が多大なものになるとは、どうしても考えにくいのであります。
最後に、最も重要な論点、「裏返しの自己責任論」ということについて触れておかねばなりません。
海外で拘束された邦人の安全確保につき、政府が可能な限りの措置を講じる義務を有するのは当然であります。この点を「自己責任」の一言で片付けてしまっては、我が国の国民国家としての成熟度が疑われます。このことに異論を挟むつもりはありません。しかし現状、危険地帯におけるジャーナリストの拉致及び殺害は頻繁に行われており、我が国はそれに対して殆ど対抗手段を有していない、という点を見逃すべきではありません。すなわち、現状、何の後ろ楯も有していない一ジャーナリストに危険地帯への渡航許可を与えるということは、次のことを意味せざるを得ない。
「行きたければご自由にどうぞ。しかし貴方の身になにかあったとて、我が国は何も出来ませんよ。一応形式的に、救出のための手段は講じますが。基本的に、テロリストに拘束されたが最期、殺害されても仕方ないものとお考えください」
と。
これはいわば裏返しの自己責任論とでも言うべきものであり、明らかに危険が予想されるケースにおいては、たとえジャーナリストに対してであっても渡航制限をかけざるを得ない。何となれば、我が国は危険地帯の邦人に対して何らの責任も負うことが出来ない、即ち「危険地帯への渡航許可を与える=安全確保についての責任を渡航者当人に丸投げする」ことに他ならない、ということであります。
ここでは初めまして。
最初に述べておかねばならないのは、私はシモベの一人、Hさんに賛意を表するものであるということです。以前のDNをお読みいただけばこのことは明確です。
但し、それは、「公共の福祉のためには個人の権利が犠牲となっても仕方がない」という部分ではなく、日本は中東問題に関係を持たず、十分な距離をとるべきだという部分にです。
特にISの敵意を醸成するべきではありません。しかし、これは、安倍の軽口で、そうすべきだった、と過去形になってしまいました。
中東歴訪で、わざわざイスラエルへ立ち寄り、同国へ対する支援を約束し、さらにISと戦う諸国へ多大な日本円をばら撒いた時から日本はISの格好の標的になってしまいました。
はっきり申しましょう。日本はイスラエルとも中東諸国とも歴史的問題を共有していません。この問題に関して日本はアウトサイダーなのです。
中東問題とは米国と西欧という思考的に老衰した国家が何ら解決策を見出すことなしに力の対決を繰り返している問題です。
極言しますと、日本とイスラエルとは、国交を結ぶ必要すらありません。
しかし、安倍によって、日本は米国と西欧の負の歴史を引き受けてしまったのです。もはや引き返すことはできません。
従って、今更、ISの日本に対する敵意を逸らす手立てはありません。これが結論です。
次に、ジャーナリストの使命を「個人」のレベルに貶めるのには反対です。彼らは諸国民の耳となり目となって隠された現実を伝えるのであり、報道というのは公益だと思うのです。
ベトナム戦争の時に戦場報道がなかったなら、誤った戦争へ反対する民意は生まれなかったでしょう。
また、もし、日本外務省がイラク政府に圧力をかけ日本人がイラクの入国ビザを取れないようにしなければ、本当にサマワが戦闘地域ではなかったのか否かが明らかになったと思います。
報道は公益、政府による報道制限は「国益」、つまり実質上、時の政権の「私益」に他ならないと思います。
しかしながら最初に述べた通り、安倍が暴走してこれ以上ISを刺激しないことを願う点では貴殿と意見を同じくするものです。
なるほど、報道の「自由」がジャーナリストの「危険からの自由」を保障されているわけではない、という点には賛同します。
しかし、そこでいう「危険からの自由」と「政府の干渉からの自由」というのは区別されねばならないと思います。私が言うのは後者の「自由」です。
杉本さんに対する入国制限(シリアだけではなくイラクも含みます)は報道の自由云々以前に「渡航の自由」を制限するものです。この段階で問題です。
杉本さんは昨年もトルコ経由でシリア入りを試みておりトルコ軍によって妨害されています。
今回、杉本さんが、内戦中のシリア政府にビザ申請を行なったとは不可解です。
またツイッターでは何日にシリア取材計画を明らかにしたのですか?私は存じ上げません。
私の得ている情報を時系列で整理すれば、
1月25日 朝日新聞(新潟版)でシリア取材のプランを公表する。
2月2日 警察が杉本さんのシリア取材計画を把握する。
2月4日 新潟日報でシリア取材の日程等が報道される。
2月5日 新潟日報の報道をうけて外務省(旅券課、海外邦人安全課)が杉本さんのシリア取材計画を初めて事実認識。
2月6日 午前中、杉田官房副長官が外務省に対して官邸に説明に来るように要請。
同日、午前中から午後にかけてのどこかの時間帯で、外務大臣に諮り省内で協議。
同日夕方、外務省三好領事局長が官邸に行き、杉田官房副長官に説明。官邸の
意向を踏まえ、その場で旅券返納命令を決定。
新聞報道(未確認)では、出発日は27日であることが明らかになっていたそうですが、杉本さん本人は渡航日までが報道されるとは思ってもいなかったとのことです。
もし「旅行気分」があったとすればビザの申請先にではなく、彼が、クルド人勢力がISから奪回したコバニを取材しようと計画していた点に見出されます。
1~2月初めの時点では、コバニでは報道関係者のためのプレスツアーが行なわれるほど安全が確保されていたとのことです。
図らずも、杉本さんがISの制圧している地域での取材を予定していなかったことが明らかになります。
「旅行者気分」かも知れませんが、ジャーナリストが取材の安全性を確保するのは当然のことです。
さて、「本気でシリアへ入りたい」日本人ジャーナリストはトルコでビザを取れば良いとのことですが、トルコはシリアへの入国ビザを発給する立場にありません。
一般に言われている「許可証」だと思われますが、昨年の場合、杉本さんはトルコ軍の妨害によりシリアへ入れなかったと述べています。
少なくとも杉本さんにとっては「許可証」の入手が難しいのでしょう。
トルコの許可証を得てバーベルハワからシリアに入れない場合は、フィクサーを見つけて密入獄するしかありません。大金がかかります。
また発見されればISによる誘拐の危険のみならず、トルコ軍に射殺される危険性もあります。
従って杉本さんは、コバニへ入ることも視野に入れつつ、実際は現地の情勢をみてから最も安全な方法で入国することを考えていたようです。
消息が途絶えているジャーナリストの安田純平に関しては情報が錯綜しているようですね。現地勢力の戦闘に巻き込まれて死亡しているのかも知れません。
ISの誘拐という可能性については、ISが安田さんを誘拐したと公表すれば明らかとなり、その時は、日本政府も何らかの対応を迫られるでしょう。
たとえ見殺しにしたくても。
「入獄」は「入国」の誤りです。失礼しました。
いつもコメントをいただきありがとうございます。
確かに「政府の保身」のために旅券を取り上げたということを完全に証明するのは不可能です。飽くまでもその蓋然性が高いという推定です。
最初に、その点を確認しておきたいと思います。
では何故パスポートを返還させたのか。何故イラク、シリアへの渡航を禁止したパスポートしか返さなかったのか。
先生様さんは、杉本氏がフリージャーナリストで大手メディアの職員ではないということを一つの理由として挙げていますが、どうでしょうか。
大マスメディアの記者もテロの犠牲になっており、この点でフリージャーナリストとの差異は存在しません。
危険地帯に赴くフリージャーナリストの数が大手メディアの記者の数より多ければ、それだけフリージャーナリストが犠牲となる確率が高くなりますが、それはフリーか否かという属性の問題ではありません。
もし大手サラリーマン記者が有利になるとすれば、それはフリーの記者より政府に働きかける力が強いので、職場が大きなプレッシャーグループになるからでしょう。
しかしその場合でも、最終的には誘拐された記者に対して彼の彼女の政府が何をしてくれるか、何ができるかということが最終的な運命を決する鍵となります。
日本政府にはそのつもりも能力もないということが湯川さん、後藤さんのケースで明らかになったわけです。
また、テロリスト、就中ISに関する海外メディア発の報道が豊富で飽和状態にあり、日本のフリージャーナリストが寄与する余地がないとの御主張に移ります。
情報ソースは多様なほど真実に迫ることができると思います。
例えばトルコ軍に守られた欧米メディアがISに関して報道する内容は平板でどれも変わり映えしません。
アルジャジーラはカバーしていませんが、アルジャジーラが多くの日本人の目に留まるのはNHKを通じてではないでしょうか。
これはBBCやCNNなども同じだと思います。それらの西側マスメディアの情報を日本のメディアが買って彼らの価値観や視点を拡散するわけです。
日本人の目で取材し、出版を通じて、また写真の展覧会や講演を日本語で行なう日本のフリージャーナリストは日本人にとって重要な情報源でしょう。