GW 今日と明日は休み! SEALDs シールズ
2016年5月4日 日常『高橋源一朗×SEALDs 民主主義ってなんだ?』、『SEALDs 民主主義ってこれだ!』、『ひきがね』(写真集)を読んだ。感想を書きたいと思う。
"SEALDs"(自由と民主主義のための学生緊急行動)は、反原発を訴える"TAZ"(一時的自主管理区域)、"SASPL"(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)を経て、安保法制の採択阻止を掲げ結成された。
結成当時の中心人物は奥田愛基(明治学院大生)、牛田悦生(明治学院大生)、柴田万奈(上智大生)で、奥田と牛田は明治学院大の高橋源一朗ゼミの学生であった。柴田は帰国子女。
『民主主義ってなんだ?』は奥田、牛田、柴田と高橋源一朗の対談集である。
学生時代、サンディカリズムのソレルとご存知マルクスに心酔し、古代アテナイの民主主義を民主主義の起源ととらえる高橋教授は典型的な全共闘世代だ。
西欧中心的な世界の見方に何の疑いもなく感化された高橋と、アメリカの先住民族イロコイの民主主義までをスパンに入れている学生達の対談には齟齬が生じる。
実戦に裏打ちされた21世紀の民主主義を考える奥田、牛田、柴田にとって高橋の民主主義観はよき踏み台として機能しているというのが私の感想だ。
SEALDsを高橋に洗脳された学生の運動と考えるのは完全な誤りだ。左、左巻き批判も当てはまらない。心無いツイートを重ねる輩は「蝿」に過ぎない。
一貫して論じられるのは民主主義と立憲主義。立憲主義は民主主義が衆愚政治に陥るのを防ぐ箍(たが)と看做されている。
多数=民主主義(これでは安倍の暴走も民主主義となる)ではなく、何が正しいのかを考え、それを追求するのが民主主義であるという立場をとる。
そしてそれを保障する仕組みが立憲主義ということになる。
『民主主義ってこれだ』を読むと、SEALDsが奥田、牛田、柴田のみが代表し得る組織ではないことがよく分かる。
沢山の学生が非常にうまく分業していて、その総力がSEALDsなのだ。
東京のみではない。関西、沖縄、東北・・・と運動は全国に広がり、また、高校生はt-ns SOWL(ティーンズ・ソウル)を結成し活動を繰り広げている。
TAZ、SASPL、SEALDsとイッシュー毎に組織形態を変えるアメーバ状の運動体である以上、当然、SEALDsの解散もあり得る。
安保法制は採択されてしまった。しかし、それで終わりではない。もう一度、そこからスタートするワンス・アゲインという精神がSEALDsだ。
解散する可能性のもう一つの理由は、SELADsが学生組織でありながら、活動メンバーが専門学校、大学、大学院を卒業して学生ではなくなるということである。
SEALDsがバージョンアップし、社会人の運動になることは十分考えられる。
一方、高校生が組織するt-ns SOWLは、卒業と進学で大学生の、社会人の運動組織へと脱皮するであろう。世代交代は必至だ。
SEALDsの問題点を私なりに考えてみたが、それは、学生組織と銘打っているところにある。何故、学生なのか?
これは当事者のSEALDsメンバーも後悔しているであろう。学生である必然性は何もない。
また、SEALDsのデモや集会に参加している経済的・時間的余裕のない若者にも参加の道を開くことが必要だ。ネット署名などはその一手段であろう。
この2冊を読んで、デモや集会の参加者が実によく学び、考えていることが分かった。
民主主義は選挙のみを政治的意思表示の手段と制限しているわけではない。
また、言葉の羅列である憲法さえあれば立憲主義が保障されるというのが誤りであるのは安倍の暴走を見れば明らかである。
さて、30代、40代、50代の日経新聞読者層は、この若者達の運動を見て何を思うのか。全く情けない限りである。
『ひきがね』は、今の国民はデモや集会への参加に非常に高いハードルを感じているということを明らかにする。警察による理不尽な取締りも大きな原因だ。
表現の自由がどれほどの犠牲を払って基本的権利となったか日本の警察は理解していない。彼らの頭の中は19世紀のままなのだ。
しかし、そのハードルを超えてデモに参加した人々の表情は美しい。時に怒りを爆発させるが、それは憎しみにつながるのではなく相互愛を追い求める。
今日はここまで。
"SEALDs"(自由と民主主義のための学生緊急行動)は、反原発を訴える"TAZ"(一時的自主管理区域)、"SASPL"(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)を経て、安保法制の採択阻止を掲げ結成された。
結成当時の中心人物は奥田愛基(明治学院大生)、牛田悦生(明治学院大生)、柴田万奈(上智大生)で、奥田と牛田は明治学院大の高橋源一朗ゼミの学生であった。柴田は帰国子女。
『民主主義ってなんだ?』は奥田、牛田、柴田と高橋源一朗の対談集である。
学生時代、サンディカリズムのソレルとご存知マルクスに心酔し、古代アテナイの民主主義を民主主義の起源ととらえる高橋教授は典型的な全共闘世代だ。
西欧中心的な世界の見方に何の疑いもなく感化された高橋と、アメリカの先住民族イロコイの民主主義までをスパンに入れている学生達の対談には齟齬が生じる。
実戦に裏打ちされた21世紀の民主主義を考える奥田、牛田、柴田にとって高橋の民主主義観はよき踏み台として機能しているというのが私の感想だ。
SEALDsを高橋に洗脳された学生の運動と考えるのは完全な誤りだ。左、左巻き批判も当てはまらない。心無いツイートを重ねる輩は「蝿」に過ぎない。
一貫して論じられるのは民主主義と立憲主義。立憲主義は民主主義が衆愚政治に陥るのを防ぐ箍(たが)と看做されている。
多数=民主主義(これでは安倍の暴走も民主主義となる)ではなく、何が正しいのかを考え、それを追求するのが民主主義であるという立場をとる。
そしてそれを保障する仕組みが立憲主義ということになる。
『民主主義ってこれだ』を読むと、SEALDsが奥田、牛田、柴田のみが代表し得る組織ではないことがよく分かる。
沢山の学生が非常にうまく分業していて、その総力がSEALDsなのだ。
東京のみではない。関西、沖縄、東北・・・と運動は全国に広がり、また、高校生はt-ns SOWL(ティーンズ・ソウル)を結成し活動を繰り広げている。
TAZ、SASPL、SEALDsとイッシュー毎に組織形態を変えるアメーバ状の運動体である以上、当然、SEALDsの解散もあり得る。
安保法制は採択されてしまった。しかし、それで終わりではない。もう一度、そこからスタートするワンス・アゲインという精神がSEALDsだ。
解散する可能性のもう一つの理由は、SELADsが学生組織でありながら、活動メンバーが専門学校、大学、大学院を卒業して学生ではなくなるということである。
SEALDsがバージョンアップし、社会人の運動になることは十分考えられる。
一方、高校生が組織するt-ns SOWLは、卒業と進学で大学生の、社会人の運動組織へと脱皮するであろう。世代交代は必至だ。
SEALDsの問題点を私なりに考えてみたが、それは、学生組織と銘打っているところにある。何故、学生なのか?
これは当事者のSEALDsメンバーも後悔しているであろう。学生である必然性は何もない。
また、SEALDsのデモや集会に参加している経済的・時間的余裕のない若者にも参加の道を開くことが必要だ。ネット署名などはその一手段であろう。
この2冊を読んで、デモや集会の参加者が実によく学び、考えていることが分かった。
民主主義は選挙のみを政治的意思表示の手段と制限しているわけではない。
また、言葉の羅列である憲法さえあれば立憲主義が保障されるというのが誤りであるのは安倍の暴走を見れば明らかである。
さて、30代、40代、50代の日経新聞読者層は、この若者達の運動を見て何を思うのか。全く情けない限りである。
『ひきがね』は、今の国民はデモや集会への参加に非常に高いハードルを感じているということを明らかにする。警察による理不尽な取締りも大きな原因だ。
表現の自由がどれほどの犠牲を払って基本的権利となったか日本の警察は理解していない。彼らの頭の中は19世紀のままなのだ。
しかし、そのハードルを超えてデモに参加した人々の表情は美しい。時に怒りを爆発させるが、それは憎しみにつながるのではなく相互愛を追い求める。
今日はここまで。
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