『四畳半襖の下張り』わいせつ裁判とは何だったのか?単なる過去か?(4)加筆
2017年1月23日 日常1973年9月10日の第一回公判では弁護人と平井令法検察官の激しい応酬が見られた。
検察官はわいせつな行為の具体例を挙げざるを得なかったが、それらは「例」であり、つまり他にもあるということで、皮肉にもわいせつな行為の概念を拡大させてしまった。
次に問題となったのは起訴状にある「共謀」という言葉である。
野坂被告は自宅で江戸人情本の系譜をひく作品を雑誌「面白半分」に掲載したいと佐藤被告(面白半分社代表)に諮ったところ佐藤被告が『四畳半襖の下張り』を提案した。
野坂被告は同意し『四畳半襖の下張り』を掲載した雑誌のゲラが佐藤被告から野坂被告宅へ送られた。その後『四畳半襖の下張り』が掲載された「面白半分」が実際に発行された。
この経緯を平井検察官は「共謀」と呼ぶのである。当然、どの時点で「共謀」が行われたのかという点が問題となる。
平井検察官は次のように釈明する。
「いわゆる編集会議と名付けてよいかどうか、ちょっと疑義があるが、被告人佐藤が被告人野坂に提案して、この提案が了承されたという事実を捉えて「共謀」といっている次第であります」
編集会議以外にも「共謀」があるという意味かと弁護人は問い詰める。これに対し平井検察官は次のように述べる。
「編集会議の概念自身が、私にもちょっと明白ではありませんので、これが会議かあるかどうかということを何とも申し上げられません。要するに、すでに申し上げたように、昭和四十七年上旬頃、被告人佐藤が被告人野坂方に赴き、これの提案をした。そして被告人野坂が、これを承認した。五月下旬頃、被告人佐藤からいわゆる「刷出し」(ゲラ)が被告人野坂宅へ届けられ、その頃被告人野坂がそれを読みそれを掲載することを最終的に承認したという事実を、この「共謀」ということで取り上げているということです」
小谷野弁護人は、「共謀」は先(五月上旬)と後(五月下旬)に分けれるが、どちらを指しているのかと問う。
平井検察官は「共謀としましては、五月上旬頃、五月下旬頃と申し上げているわけです。その内容に付いては、先程詳細に説明した通りであります」と返答。
小谷野弁護人は、共謀があったとすれば五月下旬頃のものだけで十分であり五月上旬頃のものに関しては必要ないと考えるが、それでも五月上旬についてやはり維持するのかと平井検察官に問う。
平井検察官は「維持致します」と返答する。
いい加減な「共謀」概念だが、佐藤被告と野坂被告の両人をしょっぴくには「共謀」が必要なのだろう。
次に問題となるのは「わいせつ」概念と「社会通念」の関係になる。
検察官の釈明書によれば「わいせつ概念は変化しないが、社会通念は時代によって変化することもあると考える」とあり、更に続けて「わいせつの判断基準は社会通念である」と述べる。
明らかな矛盾であるが、第一審判決では、社会通念が変わったとはいえ、その変化は性行為の非公然性を覆すほどのものではないとしている。
簡単に言えば、社会通念はさほど変化していないのでわいせつ概念も変わらないという唯一の論理整合性を保ちうる方便によって逃げたに過ぎない。
ここで平井検察官の1973年9月10日の弁護人求釈明申立書を抜粋する。
6 本件起訴は『四畳半襖の下張り』をわいせつな文書としているが、そもそも
(1)わいせつとは如何なる概念なのか
(2)わいせつが人の判断であるとすれば、これを判断する基準はどこにあるのか、またそれは何人の判断であるのか
(3)わいせつ概念の内容は、所により時代により変化するものであると考えるか
これに対する平井検察官の釈明書から該当箇所を抜粋する。
六、 釈明事項6について
(一)わいせつとは、いたずらに性欲を興奮または刺戟せしめ、かつ、普通人の正常な性的しゅうち心を害し、善良な性的道義観念に反することをいう。
(二)(わいせつの)判断基準は社会通念であり、社会通念がいかなるものであるかを最終的に判断するのは裁判所である。
(三)わいせつ概念は変化しないが、社会通念は時代によって変化することもあると考える。
以下、この点に関する小谷野弁護人と平井検察官のやりとりを掲載する。
小谷野弁護人は、社会通念というものが変わることによって、わいせつの中身そのものが変わるというなら、わいせつという概念そのものが変わるということになるのではないか、平井検察官はいかなるわいせつ概念を指しているのか、と問う。
平井検察官は「釈明書「六の(一)」でいうわいせつということであり、そのわいせつ概念の中に、そういうものが社会通念の変化ということで変わり得るわけですが、わいせつ概念自体は変化はないという趣旨である」と返答。
続いて小谷野弁護人は、わいせつと認定する基準を示せと迫る。
平井検察官は「基準については「六の(二)」で釈明していると考える。」と返答。
小谷野弁護人は釈明事項「六の(一)」に変化はないかと問う。
平井検察官は「わいせつ概念の内容は釈明事項「六の(一)」にある通りです。」と答弁。
小谷野弁護人は「これは(わいせつ概念)は変化しないというのか。」と質問する。
これに対し平井検察官は「さようであります」と答える。
わいせつ関する社会通念が変化してもわいせつ概念に変化はないというわけだが、これは思うに、性描写の在り方というのは時代によって変わり、その受容性も変わるが、その表現が、いたずらに性欲を興奮または刺戟し、普通人の性的しゅうち心を害し、善良な性的道義観念に反する限り、わいせつと判断するということだ。
週刊誌では裸のグラビアが氾濫し、テレビでは公然とセックスシーンを放映するが、そういう時代においても、より過激な性描写が、わいせつの上述三要件を満たすことはあるというわけだ。
次に争点となったのは『四畳半襖の下張り』が永井荷風の作になるものであり文芸的価値があるのに、わいせつと判断するのか(弁護団の求釈明7)ということだ。
小谷野弁護人は平井検察官に『四畳半襖の下張り』の作者が永井荷風であると認めるかと問う。
平井検察官は「本件に付いては、この作者は誰であるかということは関連のない事柄ですので、釈明の必要がないと考える。」と返答。
大前裁判長は平井検察官に、この作品が永井荷風の作と認めるのか認めないのか答弁することを要求する。
平井検察官は「認めるとも認めないとも申し上げられません」と返答。
最後に、『四畳半襖の下張り』は擬古文で書かれているが、文体の特殊性というものがわいせつ性に影響を及ぼすかどうか弁護団は平井検察官に返答を求める。
平井検察官は「今までに釈明してまいりましたわいせつの概念に基づきまして、本件文書を検討しても、本件文書のいわゆる文体の特殊性は、十分にわいせつとされるものであるという趣旨です。」と答弁。
三宅弁護人は、第一に「わいせつ概念というものは文章の特殊性と関係がないと申されるのか」、第二に、この文章には特殊性がないというのか、あるいは、特殊な文体であってもわいせつ概念に関係がないというのかと問う。
平井検察官は「第一点に付いては、勿論関係がある場合もあるであろうと考える。第二点に付いては、ある程度の特殊性はあるだろうと考えるが、この程度の特殊性では本件の文書においては特殊性があるから、本件の文書がわいせつでないというようなことはないと考える」と答弁した。
擬古文とはいえ、まったく読めないというほどに難解ではないという見解は最後まで維持される。第一審判決もこの主張を取り入れている。
ここまで、弁護人と検察官の丁々発止のやりとりを見ていただいたわけだが、第二回公判以降、検察官は貝のように口を閉ざし、ほぼ沈黙を守る。
第五回公判からは証人の証言が大半を占めることになるが、検察官は、しかしながら、発言の数は微々たるものであるが、証言のちょっとした矛盾や言い回しを鋭く突くのである。
本来は、各証人の証言について詳しく触れるべきなのだが時間が許さない。今後は、証人と検察官のやりとりを中心にこの裁判を眺めてみたい。
検察官はわいせつな行為の具体例を挙げざるを得なかったが、それらは「例」であり、つまり他にもあるということで、皮肉にもわいせつな行為の概念を拡大させてしまった。
次に問題となったのは起訴状にある「共謀」という言葉である。
野坂被告は自宅で江戸人情本の系譜をひく作品を雑誌「面白半分」に掲載したいと佐藤被告(面白半分社代表)に諮ったところ佐藤被告が『四畳半襖の下張り』を提案した。
野坂被告は同意し『四畳半襖の下張り』を掲載した雑誌のゲラが佐藤被告から野坂被告宅へ送られた。その後『四畳半襖の下張り』が掲載された「面白半分」が実際に発行された。
この経緯を平井検察官は「共謀」と呼ぶのである。当然、どの時点で「共謀」が行われたのかという点が問題となる。
平井検察官は次のように釈明する。
「いわゆる編集会議と名付けてよいかどうか、ちょっと疑義があるが、被告人佐藤が被告人野坂に提案して、この提案が了承されたという事実を捉えて「共謀」といっている次第であります」
編集会議以外にも「共謀」があるという意味かと弁護人は問い詰める。これに対し平井検察官は次のように述べる。
「編集会議の概念自身が、私にもちょっと明白ではありませんので、これが会議かあるかどうかということを何とも申し上げられません。要するに、すでに申し上げたように、昭和四十七年上旬頃、被告人佐藤が被告人野坂方に赴き、これの提案をした。そして被告人野坂が、これを承認した。五月下旬頃、被告人佐藤からいわゆる「刷出し」(ゲラ)が被告人野坂宅へ届けられ、その頃被告人野坂がそれを読みそれを掲載することを最終的に承認したという事実を、この「共謀」ということで取り上げているということです」
小谷野弁護人は、「共謀」は先(五月上旬)と後(五月下旬)に分けれるが、どちらを指しているのかと問う。
平井検察官は「共謀としましては、五月上旬頃、五月下旬頃と申し上げているわけです。その内容に付いては、先程詳細に説明した通りであります」と返答。
小谷野弁護人は、共謀があったとすれば五月下旬頃のものだけで十分であり五月上旬頃のものに関しては必要ないと考えるが、それでも五月上旬についてやはり維持するのかと平井検察官に問う。
平井検察官は「維持致します」と返答する。
いい加減な「共謀」概念だが、佐藤被告と野坂被告の両人をしょっぴくには「共謀」が必要なのだろう。
次に問題となるのは「わいせつ」概念と「社会通念」の関係になる。
検察官の釈明書によれば「わいせつ概念は変化しないが、社会通念は時代によって変化することもあると考える」とあり、更に続けて「わいせつの判断基準は社会通念である」と述べる。
明らかな矛盾であるが、第一審判決では、社会通念が変わったとはいえ、その変化は性行為の非公然性を覆すほどのものではないとしている。
簡単に言えば、社会通念はさほど変化していないのでわいせつ概念も変わらないという唯一の論理整合性を保ちうる方便によって逃げたに過ぎない。
ここで平井検察官の1973年9月10日の弁護人求釈明申立書を抜粋する。
6 本件起訴は『四畳半襖の下張り』をわいせつな文書としているが、そもそも
(1)わいせつとは如何なる概念なのか
(2)わいせつが人の判断であるとすれば、これを判断する基準はどこにあるのか、またそれは何人の判断であるのか
(3)わいせつ概念の内容は、所により時代により変化するものであると考えるか
これに対する平井検察官の釈明書から該当箇所を抜粋する。
六、 釈明事項6について
(一)わいせつとは、いたずらに性欲を興奮または刺戟せしめ、かつ、普通人の正常な性的しゅうち心を害し、善良な性的道義観念に反することをいう。
(二)(わいせつの)判断基準は社会通念であり、社会通念がいかなるものであるかを最終的に判断するのは裁判所である。
(三)わいせつ概念は変化しないが、社会通念は時代によって変化することもあると考える。
以下、この点に関する小谷野弁護人と平井検察官のやりとりを掲載する。
小谷野弁護人は、社会通念というものが変わることによって、わいせつの中身そのものが変わるというなら、わいせつという概念そのものが変わるということになるのではないか、平井検察官はいかなるわいせつ概念を指しているのか、と問う。
平井検察官は「釈明書「六の(一)」でいうわいせつということであり、そのわいせつ概念の中に、そういうものが社会通念の変化ということで変わり得るわけですが、わいせつ概念自体は変化はないという趣旨である」と返答。
続いて小谷野弁護人は、わいせつと認定する基準を示せと迫る。
平井検察官は「基準については「六の(二)」で釈明していると考える。」と返答。
小谷野弁護人は釈明事項「六の(一)」に変化はないかと問う。
平井検察官は「わいせつ概念の内容は釈明事項「六の(一)」にある通りです。」と答弁。
小谷野弁護人は「これは(わいせつ概念)は変化しないというのか。」と質問する。
これに対し平井検察官は「さようであります」と答える。
わいせつ関する社会通念が変化してもわいせつ概念に変化はないというわけだが、これは思うに、性描写の在り方というのは時代によって変わり、その受容性も変わるが、その表現が、いたずらに性欲を興奮または刺戟し、普通人の性的しゅうち心を害し、善良な性的道義観念に反する限り、わいせつと判断するということだ。
週刊誌では裸のグラビアが氾濫し、テレビでは公然とセックスシーンを放映するが、そういう時代においても、より過激な性描写が、わいせつの上述三要件を満たすことはあるというわけだ。
次に争点となったのは『四畳半襖の下張り』が永井荷風の作になるものであり文芸的価値があるのに、わいせつと判断するのか(弁護団の求釈明7)ということだ。
小谷野弁護人は平井検察官に『四畳半襖の下張り』の作者が永井荷風であると認めるかと問う。
平井検察官は「本件に付いては、この作者は誰であるかということは関連のない事柄ですので、釈明の必要がないと考える。」と返答。
大前裁判長は平井検察官に、この作品が永井荷風の作と認めるのか認めないのか答弁することを要求する。
平井検察官は「認めるとも認めないとも申し上げられません」と返答。
最後に、『四畳半襖の下張り』は擬古文で書かれているが、文体の特殊性というものがわいせつ性に影響を及ぼすかどうか弁護団は平井検察官に返答を求める。
平井検察官は「今までに釈明してまいりましたわいせつの概念に基づきまして、本件文書を検討しても、本件文書のいわゆる文体の特殊性は、十分にわいせつとされるものであるという趣旨です。」と答弁。
三宅弁護人は、第一に「わいせつ概念というものは文章の特殊性と関係がないと申されるのか」、第二に、この文章には特殊性がないというのか、あるいは、特殊な文体であってもわいせつ概念に関係がないというのかと問う。
平井検察官は「第一点に付いては、勿論関係がある場合もあるであろうと考える。第二点に付いては、ある程度の特殊性はあるだろうと考えるが、この程度の特殊性では本件の文書においては特殊性があるから、本件の文書がわいせつでないというようなことはないと考える」と答弁した。
擬古文とはいえ、まったく読めないというほどに難解ではないという見解は最後まで維持される。第一審判決もこの主張を取り入れている。
ここまで、弁護人と検察官の丁々発止のやりとりを見ていただいたわけだが、第二回公判以降、検察官は貝のように口を閉ざし、ほぼ沈黙を守る。
第五回公判からは証人の証言が大半を占めることになるが、検察官は、しかしながら、発言の数は微々たるものであるが、証言のちょっとした矛盾や言い回しを鋭く突くのである。
本来は、各証人の証言について詳しく触れるべきなのだが時間が許さない。今後は、証人と検察官のやりとりを中心にこの裁判を眺めてみたい。
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