『四畳半襖の下張り』わいせつ裁判とは何だったのか?単なる過去か?(6)
2017年2月5日 日常これまでは丸谷才一編『四畳半襖の下張り裁判・全記録』(1977年、朝日新聞社)を基に四畳半襖の下張り裁判について書いてきた。
しかし、野坂昭如『四畳半襖の下張り裁判』(1976年、株式会社面白半分)を読むと、丸谷氏の記録に記載されていないことが多く述べられているので、ここに記しておきたい。
第一回公判で平井令法検察官が裁判長からの要求に抗することができず、性交以外の性行為の一例として「性器に対する接吻」と述べたことには触れた。
法廷記録からはそれだけのことしか分からないが、野坂氏はその時の平井令法検察官の表情や仕草について詳しく描写している。
「・・・いくらたずねても、表情豊かな検察官は、瞑目し上眼づかいににらみ、腕を組み、ついに半ばそっぽをむいて「性器への接吻のような行為」とおっしゃった・・・」
第二回公判の被告冒頭陳述で、平井令法検察官のだんまり作戦に苛立った野坂氏は次のように述べ、同検察官を「令法さん」(野坂氏は「れいほう」と読んだが「りょうぶ」が正しい)と呼んだ。
「・・・儀式では困るし、検察官がその司祭であってはならない、人間の言葉で、そして、いかに検察官が一つの立場を代表するとはいえ、生身の人間として、考え表現していただきたい。検察官の呼称を使えば、なにやらこちらも儀式にまきこまれかねませんから、あえてお名前で呼ばせていただきます。さて令法さん・・・」
この後、平井令法検察官の態度にも若干の変化が表れる。後に書きたい。
さて、第四回公判では平井令法検察官が証拠物を提出した。わいせつ罪で起訴する以上、何が起訴するに至ったわいせつ文書なのか提示しなければならないのである。
それは外でもない『四畳半襖の下張り』を朗読することであるが、この時、平井令法検察官は「傍聴人の良俗を損なうおそれあり、朗読に際しては傍聴人に退廷を命ぜられたい」と発言した。
この動議は裁判官合議のあげく却下された。
「・・・令法氏、心外を絵に描いた如き表情をもって、朗読しはじめた。もしリハーサルをしなかったとすれば、なかなかの才能といっていい、五ヶ所読み間違いなさったが、すぐよどみなく訂正し、前段からいよいよ佳境に入りかけた時、つまり「おのれが女房お袖、袖子とて」うんぬんに至り・・・」
ここまでは性描写を含まぬ人畜無害の前段である。それ以降は性描写そのものといってよい内容である。
恐らく平井令法検察官は傍聴人を羞恥嫌悪の情に陥れてはならないと気遣ったのであろう(?)「まだ読まなければならないでしょうか、以下は要旨をもってかえたいと思いますが」と裁判長に申し立てた。
裁判官は合議の結果、この動議を認めた。
「・・・令法氏は、大満足の態で、「以下男女性交の詳細かつ露骨な描写がなされております」と要約なさった・・・」
のである。結局「証拠」の一番大切な部分を平井令法検察官は示さなかったのだ。証拠不在で裁判は続行されることになった。
野坂氏の「令法さん」発言の後、平井令法検察官は実にフランクになり、裁判官その他職員の態度も同様だったという。
「・・・エレベーターで乗り合わせた検察官平井令法氏、まことに福福しい表情で、(野坂氏に対し)「よ、今日は」と挨拶なさった。」
「・・・出会い頭に裁判官氏とぶつかる。「あ、失礼」先方に一足早く会釈され、ぼくもあわてて謝ったのだが・・・」
「・・・廷吏氏までが、「どうも御苦労様です」と、わが出廷をねぎらいなさる・・・」
のような雰囲気であったとか。
井上やすし氏の識見豊かな証言に対しては、平井令法検察官も「さすがに文句のつけようがないらしく、苦笑いなさるばかり・・・」
吉行淳之介氏の証言の最中は「・・・傍聴席に笑声が絶えず、・・・裁判長、今回は黙認」
という雰囲気だったらしい。
また吉行淳之介氏と井上ひさし氏は証言の中で、平井令法検察官がためらって要約した『四畳半襖の下張り』の原文を朗読した。
「面白半分」では裁判特集を組み、それを平井令法検察官に献上しようとしたら「「もう読みました」とのこと・・・」
平井令法検察官は「面白半分」の最も熱心な読者だったかも知れない。裁判の動向を気にしているのだ。
石川淳氏の証言では「・・・アノ平井令法検察官も、後学のためにメモをおとりになった」そうである。
また「・・・平井氏も時に額に手を当て、押しかくしつつも、つい笑みくずれる頬のゆるみ、
ぼく(野坂氏)はしかと眼にとめた」らしい。
殺人事件などとは違い、どこにも被害者がいないこの裁判では攻める方も守る方も和気藹々の雰囲気だったという。
こういったことは裁判記録からは推し量ることのできない裁判の真実であり、非常に興味深い。
次回からは、また被告、証人、弁護人と検察官の間のやりとりを中心にこの裁判を見ていきたい。
しかし、野坂昭如『四畳半襖の下張り裁判』(1976年、株式会社面白半分)を読むと、丸谷氏の記録に記載されていないことが多く述べられているので、ここに記しておきたい。
第一回公判で平井令法検察官が裁判長からの要求に抗することができず、性交以外の性行為の一例として「性器に対する接吻」と述べたことには触れた。
法廷記録からはそれだけのことしか分からないが、野坂氏はその時の平井令法検察官の表情や仕草について詳しく描写している。
「・・・いくらたずねても、表情豊かな検察官は、瞑目し上眼づかいににらみ、腕を組み、ついに半ばそっぽをむいて「性器への接吻のような行為」とおっしゃった・・・」
第二回公判の被告冒頭陳述で、平井令法検察官のだんまり作戦に苛立った野坂氏は次のように述べ、同検察官を「令法さん」(野坂氏は「れいほう」と読んだが「りょうぶ」が正しい)と呼んだ。
「・・・儀式では困るし、検察官がその司祭であってはならない、人間の言葉で、そして、いかに検察官が一つの立場を代表するとはいえ、生身の人間として、考え表現していただきたい。検察官の呼称を使えば、なにやらこちらも儀式にまきこまれかねませんから、あえてお名前で呼ばせていただきます。さて令法さん・・・」
この後、平井令法検察官の態度にも若干の変化が表れる。後に書きたい。
さて、第四回公判では平井令法検察官が証拠物を提出した。わいせつ罪で起訴する以上、何が起訴するに至ったわいせつ文書なのか提示しなければならないのである。
それは外でもない『四畳半襖の下張り』を朗読することであるが、この時、平井令法検察官は「傍聴人の良俗を損なうおそれあり、朗読に際しては傍聴人に退廷を命ぜられたい」と発言した。
この動議は裁判官合議のあげく却下された。
「・・・令法氏、心外を絵に描いた如き表情をもって、朗読しはじめた。もしリハーサルをしなかったとすれば、なかなかの才能といっていい、五ヶ所読み間違いなさったが、すぐよどみなく訂正し、前段からいよいよ佳境に入りかけた時、つまり「おのれが女房お袖、袖子とて」うんぬんに至り・・・」
ここまでは性描写を含まぬ人畜無害の前段である。それ以降は性描写そのものといってよい内容である。
恐らく平井令法検察官は傍聴人を羞恥嫌悪の情に陥れてはならないと気遣ったのであろう(?)「まだ読まなければならないでしょうか、以下は要旨をもってかえたいと思いますが」と裁判長に申し立てた。
裁判官は合議の結果、この動議を認めた。
「・・・令法氏は、大満足の態で、「以下男女性交の詳細かつ露骨な描写がなされております」と要約なさった・・・」
のである。結局「証拠」の一番大切な部分を平井令法検察官は示さなかったのだ。証拠不在で裁判は続行されることになった。
野坂氏の「令法さん」発言の後、平井令法検察官は実にフランクになり、裁判官その他職員の態度も同様だったという。
「・・・エレベーターで乗り合わせた検察官平井令法氏、まことに福福しい表情で、(野坂氏に対し)「よ、今日は」と挨拶なさった。」
「・・・出会い頭に裁判官氏とぶつかる。「あ、失礼」先方に一足早く会釈され、ぼくもあわてて謝ったのだが・・・」
「・・・廷吏氏までが、「どうも御苦労様です」と、わが出廷をねぎらいなさる・・・」
のような雰囲気であったとか。
井上やすし氏の識見豊かな証言に対しては、平井令法検察官も「さすがに文句のつけようがないらしく、苦笑いなさるばかり・・・」
吉行淳之介氏の証言の最中は「・・・傍聴席に笑声が絶えず、・・・裁判長、今回は黙認」
という雰囲気だったらしい。
また吉行淳之介氏と井上ひさし氏は証言の中で、平井令法検察官がためらって要約した『四畳半襖の下張り』の原文を朗読した。
「面白半分」では裁判特集を組み、それを平井令法検察官に献上しようとしたら「「もう読みました」とのこと・・・」
平井令法検察官は「面白半分」の最も熱心な読者だったかも知れない。裁判の動向を気にしているのだ。
石川淳氏の証言では「・・・アノ平井令法検察官も、後学のためにメモをおとりになった」そうである。
また「・・・平井氏も時に額に手を当て、押しかくしつつも、つい笑みくずれる頬のゆるみ、
ぼく(野坂氏)はしかと眼にとめた」らしい。
殺人事件などとは違い、どこにも被害者がいないこの裁判では攻める方も守る方も和気藹々の雰囲気だったという。
こういったことは裁判記録からは推し量ることのできない裁判の真実であり、非常に興味深い。
次回からは、また被告、証人、弁護人と検察官の間のやりとりを中心にこの裁判を見ていきたい。
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