『四畳半襖の下張り』わいせつ裁判とは何だったのか?単なる過去か?(7)
2017年2月12日 日常1975年の第11回公判では、素人的には信じられないことが起きた。裁判長(裁判官)と検察官が交代したのである。理由は前任者の転勤。裁判ではよくあることらしい。
1973年の第1回公判から2年を経て、証人も14人中10名が証言を終えていた。
如何に立派な公判記録が残っていたとしても、新しい裁判長ならびに裁判官と検察官がそれまでの公判を完全に理解できるわけではない。
新しい裁判長は林修、裁判官は林五平および森岡安広、補充裁判官は川口宰護。新たな検察官は斎藤正吉である。
第11回公判の証人は東大教授の奥平康弘氏と主婦の水沢和子氏であった。
奥平氏は、米国のいわゆるわいせつ裁判の判例をコンパクトにまとめた。
1960年代に性表現を無制限自由化したヨーロッパ諸国に比べるとアメリカは保守的で1970年代に入ってもわいせつ文書や図画を規制していた。
しかし、日本の判例と大きく異なるのは、アメリカの裁判がその時代時代の社会風潮のようなものを大きく反映し性表現の解放へ着実に近づいていた点である。
勿論、アメリカでは1975年において既に実質的なポルノ解禁が行われており、かのハードコア映画「ディープスロート」は1972年夏の公開である。
FBIがポルノ映画が性犯罪を誘発するものではないと判断したことの影響が大きかったと言われる。大統領の諮問委員会も同様の調査結果を出していた。
アメリカの判例について2つだけ簡単に触れておきたい。
ひとつは1973年の「ミラー事件」である。これは注文もしないのにダイレクトメールが送られてきて、その中にポルノ関係の書物やフィルムの宣伝パンフレットが含まれていたというものだ。
この事件に関しては、最高裁判所で5対4の判決で有罪とされた。多数意見を書いた判事はわいせつ文書の定義を試みた。
1)平均的人間が現在の社会水準を適用した場合、当該文書が全体として好色的な関心をそそるものであること。
2)当該文書が全くいやらしい方法で、州の法律が特に定めるところの性行為を描写したり叙述していること。
3)当該文書を全体としてみた場合「まじめな」文学的、芸術的、政治的な価値を欠如していること。
一番目の定義は日本におけるわいせつの定義と大差ない抽象的なものだ。二番目に関しては、簡単に言えば、各州が判断すべき問題であるということだ。三番目に関しては、シリアスな(まじめな)文書以外は憲法に定める表現の自由の対象にならないということである。
一方、1973年の「パリス事件」とは、ジョージア州のパリス劇場という大人専用の映画館で「大人だけ」、「21歳以上の人しか入れません、21歳以上であるということを証明してもうらうかも知れません」、「裸の体をいやらしいと思う方はどうぞご遠慮ください」ということを看板に書いて無修正映画を上演したという事件である。
ジョージア州の第一審では、これをわいせつであると判断することも規律することもできないという判決を出した。
ところがジョージア州の最高裁判所は、この映画自体をわいせつであると判断して有罪判決を出した。
この事件は合衆国最高裁判所に上提され、裁判官の間でも大きく結論が分かれたものの、多数意見を書いたバーガー長官は、
1)見る権利、読む自由、プライバシーの権利は家庭内でのみ認められる。わいせつ文書が同意した観客や読者の手にだけ渡るかいなかということは問題の決め手ではない。
2)州は、道徳的環境を保持することが許される。ある種の社会環境というものを保護するために、州は一定の行為をなしうるし、わいせつ文書の頒布、販売を、受け手のいかんを問わず規律することができる。
として有罪判決を下したのである。
5人の多数派に対して、反対意見を書いた4人の判事は、わいせつ文書はおよそ国家が規律することはできないと明言した。
この二つの判例は多数意見だけを見れば大いに斎藤検察官を勇気づけるもので、奥平証人に対し再三の尋問を行う。
斎藤正吉検察官
「ミラー事件の判決についてですけれども、先ほど証人は、わいせつ文書を取り締まるかどうかは、それぞれの州の独自の基準で判断すべきだというふうに判決がされているというふうに証言されたと思いますが、そのとおりですか。」
奥平証人
「大ざっぱに言いましたけれども、そういう表現になります。前提としては、先ほど挙げた定義の中で、というわくの中でというふうに私は指摘したと思いますが。」
斎藤正吉検察官
「それをもっと端的に言いまして、当該文書がわいせつであるかどうかについての判断は、それぞれの地域の基準で決めるべきだというが、この判決の中にもられておったか、その点はどうですか。」
奥平証人
「地域という言葉を、私、使ったかどうかわかりませんが、州の基準ですね。州の基準に従って判定し、州の立法や州の執行をつかさどるものが、さっき挙げた定義のわくの中で、基準を適用すべきだ、ある程度基準を設定して適用すべきだ、といっているといっていいと思います。」
斎藤正吉検察官
「次に、パリス事件についての判決に関することですけれども、わいせつか否かについては、そのもの自体で判断すると、この判決の中に加味されている趣旨の証言があったように聞いておりますが、そのとおりですか。パリスアダルト劇場でございますね、この事件の中でわいせつ物であるかどうかについては、そのもの自体で判断するということを判文がされておったかどうか。」
奥平証人
「私、そういう言い方、先ほどしましたか。」
斎藤正吉検察官
「私はそのように伺ったんですけれども。」
奥平証人
「ちょっと自分で言ったこと、記憶がありませんが、そういう言い方をしたかどうかわかりませんが、そういう形で判文が構成されている部分ああったかどうか、ちょっと自信がございません。」
斎藤正吉検察官
「では、パリス事件の関係につきまして、わいせつ性の判断に鑑定が必要であるかどうか、これはどうですか。」
奥平証人
「その点では、たまたま原審でその点についての問題を抜きにしておりましたので、当然に被告人といいますか、上告側のほうから論点が出てきて、バーガー等多数意見は、それは必要ないという判断を示していたと思います。」
斎藤正吉検察官
「結局、鑑定の必要性はないという結論だったわけでしょう。」
奥平証人
「バーガーの多数意見はそうだったと思います。」
なかなか鋭い追及である。奥平証人が相当動揺していることが見て取れる。
州の権限が強いアメリカと日本は比較の対象にならないんだよ(これは論告まで維持される見解である)ということが一点。
そして、米国で鑑定の必要がないと判断してるのだから、この裁判にも証人など要らないという脅しが二点目。
そしてこの二点は見事に矛盾しているのである。
次に主婦の水沢和子氏の証言である。早稲田大学フランス文学科卒業、8歳の長男がいる。『四畳半襖の下張り」は不明な単語があるものの大凡理解できたという。
証人に対して斎藤正吉検察官から尋問はなかったが、裁判官が2人質問をしている。
森岡安広裁判官
「(『四畳半襖の下張り』の)3分の2ぐらいの部分が、そういう性行為の描写に費やされているわけですけれども、それが主人公の金阜山人といわれている人の女性観を述べるために、そいう性行為の描写をこれだけの部分についてすることが必要であったとお感じになりましたか。」
水沢証人
「いえ、そういうふうには全然、私とりませんでした。というのは、女性観を述べるために書いたものだとは思わないで、これは性行為を文学者として書きたかったんじゃないかというふうに受け取りました。」
森岡安広裁判官
「そうすると、これのテーマといいますか、それはそういう女性観を述べるというところにあるんじゃなくて、そういう性行為の描写自体、そこにあったというふうに感じられますか。」
水沢証人
「はい、私はむしろ、そのようにとりました。」
林五平裁判官
「お子さんは男のお子さんですか。」
水沢証人
「男です。」
林五平裁判官
「あなたが仕事をおやめになったのはいつごろですか。」
水沢
「10年前です。」
林五平裁判官
「それから簡単に言えば、この本を読んでおもしろかったという点というのは性行為の描写がうまいという点ですか。」
水沢証人
「うまいというのは、そういうものをたくさん読んでいるわけじゃないですから、比較の上でうまいと言えるかどうかわかりませんけれども、そうですね、やはり何か、だれにでもこれだけのものは書けないのじゃないかというように思います。」
林五平裁判官
「それから、これは仮定の質問ですが、お子さんが17,18歳になって、そのころに読んだとしたらという、先ほども出た質問ですが、あなたのお子さんを考えられて、それぐらいになれば、これは十分読みこなせるというふうにお思いでしょうか。」
水沢証人
「さあ、そのへんはちょっと・・・」
林五平裁判官
「内容を理解するかどうかは別としてですね。」
水沢証人
「国語の力の問題ですか。」
林五平裁判官
「そうです。」
水沢証人
「ちょっと無理なんじゃないかというように思いますが。」
次回は第12回公判について書きたい。
1973年の第1回公判から2年を経て、証人も14人中10名が証言を終えていた。
如何に立派な公判記録が残っていたとしても、新しい裁判長ならびに裁判官と検察官がそれまでの公判を完全に理解できるわけではない。
新しい裁判長は林修、裁判官は林五平および森岡安広、補充裁判官は川口宰護。新たな検察官は斎藤正吉である。
第11回公判の証人は東大教授の奥平康弘氏と主婦の水沢和子氏であった。
奥平氏は、米国のいわゆるわいせつ裁判の判例をコンパクトにまとめた。
1960年代に性表現を無制限自由化したヨーロッパ諸国に比べるとアメリカは保守的で1970年代に入ってもわいせつ文書や図画を規制していた。
しかし、日本の判例と大きく異なるのは、アメリカの裁判がその時代時代の社会風潮のようなものを大きく反映し性表現の解放へ着実に近づいていた点である。
勿論、アメリカでは1975年において既に実質的なポルノ解禁が行われており、かのハードコア映画「ディープスロート」は1972年夏の公開である。
FBIがポルノ映画が性犯罪を誘発するものではないと判断したことの影響が大きかったと言われる。大統領の諮問委員会も同様の調査結果を出していた。
アメリカの判例について2つだけ簡単に触れておきたい。
ひとつは1973年の「ミラー事件」である。これは注文もしないのにダイレクトメールが送られてきて、その中にポルノ関係の書物やフィルムの宣伝パンフレットが含まれていたというものだ。
この事件に関しては、最高裁判所で5対4の判決で有罪とされた。多数意見を書いた判事はわいせつ文書の定義を試みた。
1)平均的人間が現在の社会水準を適用した場合、当該文書が全体として好色的な関心をそそるものであること。
2)当該文書が全くいやらしい方法で、州の法律が特に定めるところの性行為を描写したり叙述していること。
3)当該文書を全体としてみた場合「まじめな」文学的、芸術的、政治的な価値を欠如していること。
一番目の定義は日本におけるわいせつの定義と大差ない抽象的なものだ。二番目に関しては、簡単に言えば、各州が判断すべき問題であるということだ。三番目に関しては、シリアスな(まじめな)文書以外は憲法に定める表現の自由の対象にならないということである。
一方、1973年の「パリス事件」とは、ジョージア州のパリス劇場という大人専用の映画館で「大人だけ」、「21歳以上の人しか入れません、21歳以上であるということを証明してもうらうかも知れません」、「裸の体をいやらしいと思う方はどうぞご遠慮ください」ということを看板に書いて無修正映画を上演したという事件である。
ジョージア州の第一審では、これをわいせつであると判断することも規律することもできないという判決を出した。
ところがジョージア州の最高裁判所は、この映画自体をわいせつであると判断して有罪判決を出した。
この事件は合衆国最高裁判所に上提され、裁判官の間でも大きく結論が分かれたものの、多数意見を書いたバーガー長官は、
1)見る権利、読む自由、プライバシーの権利は家庭内でのみ認められる。わいせつ文書が同意した観客や読者の手にだけ渡るかいなかということは問題の決め手ではない。
2)州は、道徳的環境を保持することが許される。ある種の社会環境というものを保護するために、州は一定の行為をなしうるし、わいせつ文書の頒布、販売を、受け手のいかんを問わず規律することができる。
として有罪判決を下したのである。
5人の多数派に対して、反対意見を書いた4人の判事は、わいせつ文書はおよそ国家が規律することはできないと明言した。
この二つの判例は多数意見だけを見れば大いに斎藤検察官を勇気づけるもので、奥平証人に対し再三の尋問を行う。
斎藤正吉検察官
「ミラー事件の判決についてですけれども、先ほど証人は、わいせつ文書を取り締まるかどうかは、それぞれの州の独自の基準で判断すべきだというふうに判決がされているというふうに証言されたと思いますが、そのとおりですか。」
奥平証人
「大ざっぱに言いましたけれども、そういう表現になります。前提としては、先ほど挙げた定義の中で、というわくの中でというふうに私は指摘したと思いますが。」
斎藤正吉検察官
「それをもっと端的に言いまして、当該文書がわいせつであるかどうかについての判断は、それぞれの地域の基準で決めるべきだというが、この判決の中にもられておったか、その点はどうですか。」
奥平証人
「地域という言葉を、私、使ったかどうかわかりませんが、州の基準ですね。州の基準に従って判定し、州の立法や州の執行をつかさどるものが、さっき挙げた定義のわくの中で、基準を適用すべきだ、ある程度基準を設定して適用すべきだ、といっているといっていいと思います。」
斎藤正吉検察官
「次に、パリス事件についての判決に関することですけれども、わいせつか否かについては、そのもの自体で判断すると、この判決の中に加味されている趣旨の証言があったように聞いておりますが、そのとおりですか。パリスアダルト劇場でございますね、この事件の中でわいせつ物であるかどうかについては、そのもの自体で判断するということを判文がされておったかどうか。」
奥平証人
「私、そういう言い方、先ほどしましたか。」
斎藤正吉検察官
「私はそのように伺ったんですけれども。」
奥平証人
「ちょっと自分で言ったこと、記憶がありませんが、そういう言い方をしたかどうかわかりませんが、そういう形で判文が構成されている部分ああったかどうか、ちょっと自信がございません。」
斎藤正吉検察官
「では、パリス事件の関係につきまして、わいせつ性の判断に鑑定が必要であるかどうか、これはどうですか。」
奥平証人
「その点では、たまたま原審でその点についての問題を抜きにしておりましたので、当然に被告人といいますか、上告側のほうから論点が出てきて、バーガー等多数意見は、それは必要ないという判断を示していたと思います。」
斎藤正吉検察官
「結局、鑑定の必要性はないという結論だったわけでしょう。」
奥平証人
「バーガーの多数意見はそうだったと思います。」
なかなか鋭い追及である。奥平証人が相当動揺していることが見て取れる。
州の権限が強いアメリカと日本は比較の対象にならないんだよ(これは論告まで維持される見解である)ということが一点。
そして、米国で鑑定の必要がないと判断してるのだから、この裁判にも証人など要らないという脅しが二点目。
そしてこの二点は見事に矛盾しているのである。
次に主婦の水沢和子氏の証言である。早稲田大学フランス文学科卒業、8歳の長男がいる。『四畳半襖の下張り」は不明な単語があるものの大凡理解できたという。
証人に対して斎藤正吉検察官から尋問はなかったが、裁判官が2人質問をしている。
森岡安広裁判官
「(『四畳半襖の下張り』の)3分の2ぐらいの部分が、そういう性行為の描写に費やされているわけですけれども、それが主人公の金阜山人といわれている人の女性観を述べるために、そいう性行為の描写をこれだけの部分についてすることが必要であったとお感じになりましたか。」
水沢証人
「いえ、そういうふうには全然、私とりませんでした。というのは、女性観を述べるために書いたものだとは思わないで、これは性行為を文学者として書きたかったんじゃないかというふうに受け取りました。」
森岡安広裁判官
「そうすると、これのテーマといいますか、それはそういう女性観を述べるというところにあるんじゃなくて、そういう性行為の描写自体、そこにあったというふうに感じられますか。」
水沢証人
「はい、私はむしろ、そのようにとりました。」
林五平裁判官
「お子さんは男のお子さんですか。」
水沢証人
「男です。」
林五平裁判官
「あなたが仕事をおやめになったのはいつごろですか。」
水沢
「10年前です。」
林五平裁判官
「それから簡単に言えば、この本を読んでおもしろかったという点というのは性行為の描写がうまいという点ですか。」
水沢証人
「うまいというのは、そういうものをたくさん読んでいるわけじゃないですから、比較の上でうまいと言えるかどうかわかりませんけれども、そうですね、やはり何か、だれにでもこれだけのものは書けないのじゃないかというように思います。」
林五平裁判官
「それから、これは仮定の質問ですが、お子さんが17,18歳になって、そのころに読んだとしたらという、先ほども出た質問ですが、あなたのお子さんを考えられて、それぐらいになれば、これは十分読みこなせるというふうにお思いでしょうか。」
水沢証人
「さあ、そのへんはちょっと・・・」
林五平裁判官
「内容を理解するかどうかは別としてですね。」
水沢証人
「国語の力の問題ですか。」
林五平裁判官
「そうです。」
水沢証人
「ちょっと無理なんじゃないかというように思いますが。」
次回は第12回公判について書きたい。
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