『四畳半襖の下張り』わいせつ裁判とは何だったのか?単なる過去か?(8) 訂正
2017年2月18日 日常1975年11月27日、第12回公判が開かれた。今回で証人の証言は終わり、次回は論告求刑である。
証人として証言したのは、詩人の田村隆一氏と有吉佐和子氏である。田村証人に対しては斉藤正吉検察官が尋問したが、それは次のような証人の発言についてである。
中村弁護人
「・・・(『四畳半襖の下張り』の)文章の大半の部分が閨房(セックス)の描写ということになっておりますが、その点についてはどういうふうに。」
田村証人
「たいへんよろしいんじゃないでしょうか。非常によく描写されていると思いますね。」
中村弁護人
「その種の文章については、ひとつの評価のしかたとして、わいせつということがいわれるわけですが、証人の場合はそれをお読みになって、わいせつという感じをお持ちになりましたか。」
田村証人
「全然もちませんでした。」
中村弁護人
「・・・どいういうわけでわいせつでないと。」
田村証人
「非常に品が良かったと思います。やはり品が悪かったら内容が、たとえば何というか、わいせつとは反対のものを描いても、ぼくはわいせつだと思います。たとえば国家社会を論じても、それが言語世界として、品の悪い表現だったら、ぼくはわいせつだと思います。」
中村弁護人
「・・・わいせつかどうかの基準というのは文章の場合、それは品がいいかどうかということできまるということですか。」
田村証人
「そうです。もっとも、品の一般的基準というものはありませんがね。・・・」
この発言に対し、斉藤正吉検察官噛みついた。
斉藤正吉検察官
「先ほど証人のお話の中で、品が悪ければ内容がわいせつと反対のものであっても、わいせつだと思われるものがあるということをおっしゃったと思います。そしてそれがこと国家社会を論じた場合でも、やはりわいせつなものになるだとうということだったと思いわれますが、国家社会をどのように論じた場合にわいせつだというふうになるのか、その点、具体的にご説明願えますか。」
田村証人
「つまり、論ずるというのは、私の言葉が足りないのでテーマにして文学、散文を書いた場合ですから、だから題材によって、たとえば性を扱っているからこれが下品なものであって、ないしは社会正義を扱っているから格調の高いものだというふうに文学の言語表現の世界では単純にはいえないと、きわめて常識的なことを申し上げたまでです。もちろん性を扱ってそれを下品に表現したら、それはそれこそわいせつそのものですね。」
田村証人の発言は、あまりに詩的で、上品が下品かを見分けるためには体験を積まねばならぬ、経験を積めば自ずとその区別ができるようになるというものだ。
検察官にとっては絶好のツッコミどころとなること必定であった。国家社会をわいせつに論ずるとはどういうことなのか具体例を挙げて欲しかった。
続いて、有吉佐和子証人である。この証言は、検察官に、『四畳半襖の下張り』に対する冷ややかな態度とみなされることになる。
中村弁護人
「・・・(『四畳半襖の下張り』を)一読しての感想というものは、どういうものでありましたか。」
有吉証人
「・・・読んだあとの感想としては、(永井荷風が)つまらない男だなという印象をもちました。」
「・・・ああいう種類の性描写を熱心に書く男の作家、あるいは作品に対して、私が抱いているのと同じですが、男の人って可哀想だという気持です。」
「・・・やはり読む側の私が、まだ健康であり、十分若さもあり、まあ、私はああいうのは年寄りの読み物だと思っておりますから、こういうところでちょっというのはきまりが悪いけど、やはりああいうのは法廷で論じたり、それから文字で読んだりするよりも、実践のほうが楽しいはずだから、それを一生懸命ます目を埋めて書くというのは、すでに機能が衰えている作家であろうというふうに想像いたしまして、これもまたあわれをさそわれた原因でございます。」
実に卓見である。そんな老人の回春剤に目くじらをたててわいせつだと告訴するのは馬鹿げているということだろう。
興味深いのは、有吉証人が『山彦ものがたり』という劇で実際に交わされる会話に対する子供の反応をテープで再現した点である。
その劇には次のようなセリフがある。湯あみをしていた天女が漁師に羽衣を返して欲しいと迫る場面である。
漁師「とても返せなくなりましたよ」
天女「どうして」
漁師「私と結婚してください。そのあとなら返してあげます」
天女「結婚て何のこと」
漁師「え、あの、結局、結婚というのは、男と女が寝ることですよ」
天女「寝るって、どうするの」
漁師「寝るというのは、こうやって横になることです」
天女「横になるの。これで私たち結婚したの」
漁師「いや、一緒に寝るんですよ」
天女「どうやって」
漁師「どうって、つまり上になったり下になったりしてですね」
天女「そんなこと、羽衣がないとできないわ」
斉藤正吉検察官は、テープの再生に対して「いまだ開示を受けておりませんので異議があります。」と発言した。しかし、結局、休憩後、「再生については然るべく」と認めた。
有吉証人によれば、当初、この場面に対しては父兄からクレームがついたが、実際の子供たちの反応は、「ほんとうにあかるい、健康な笑い声」だったという。
有吉証人は次のようにまとめる。
「・・・性の解放というものが子供たちにもたらしているいい面として、この観客の反応、
ほとんど前のほうは子供が多いので、子供の笑い声をお聞きになったと思いますが、子供に対しては性の解放は喜ぶべき現象という意味で、つまり、戦前ならばこいうことはあり得なかった。その点、私は、いまの子供たちは健康で幸福だということを申し上げたくて、そういう時代に『四畳半襖の下張り』が販売されていることについては、昔ではない、子供たちでさえ、このぐらい解放されているということを申し上げたかったんです」
子供ですらこのくらい進んでいるのが1975年の日本であるという主張である。
この証言に対して斎藤正吉検察官は次のような尋問を行った。
斎藤正吉検察官
「先ほどの日生劇場における『山彦ものがたり』の上演の関係ですけれども、親と子が観客となっているんだという話ですね。」
有吉証人
「はい。」
斎藤正吉検察官
「子供さんというのは、年齢層からいたしますと、どのぐらいの・・・」
有吉証人
「三歳ぐらいから。もう誰も、退屈して通路を走り回るようなお子さんはひとりもいませんでした。一番下で三歳ぐらい。それからもちろん、小学校、中学校、高校、幼稚園で団体でいらしたところもございます。」
斎藤正吉検察官
「そうすると、いろいろな、バラエティーにとんだ年齢層だと伺ってよろしいわけですか。」
有吉証人
「はい。」
つまり、子供とはいっても、随分と広い年齢層にわたるわけでしょう?当然、高学年になれば、セックスの知識くらいはあるんじゃないですか?という印象を導き出すための誘導尋問だろう。
尚、日生劇場における『山彦ものがたり』の上演とそれに対する反応に対しては、新任の林修裁判長が大変な興味を示し、有吉佐和子証人との間に次のようなやりとりがあった。
林修裁判長
「先ほどのテープですが、実際舞台で演技をして、そういう表現がなされているわけですが、証人が演出されたということでお聞きしたいんですが、こうやって寝るとか、上になるとか下になるというのは、どういう表現にさせているんですか。」
有吉証人
「「横になって寝るんですよ」といって、漁師が横になって寝ます。そうすると天女が、「ああ横になるのね」といって、漁師の頭と自分の頭をくっつけて、足は反対側にのばして、「これで私たちは結婚したのか」と聞くわけです。そうるすと「そうじゃない」「ではどうやるのか」と、歌舞伎で四つ目という体位があるんですが、両手、両足を床について、これを交互にやって、上下に体を向ける四つ目という一か所でやる運動があります。それをやって見せながら、上になったり下になったりするんだと。で、そのまねを天女がやってみます。あれはかなり肉体的な訓練がないとできないんですけれども、四つんばいになったのが、そのまま手と足の位置をかえるだけで、上を向いたり下を向いたりというような体型になるんです。・・・」(恥ずかしながら私は理解できなかった)
林修裁判長
「それからそのテープですが、証人自身はその観客席にすわって、観客の反応をお聞きになったんですか。」
有吉証人
「はい。私は自分の演出した芝居は必ず観客席で、ことにできが良かったときなんかは毎日見ます。」
林修裁判長
「その八月二十四日の夜のテープ録音当時はどうですか。」
有吉証人
「見ています。」
林修裁判長
「どこで。」
有吉証人
「観客席です。」
いかがわしい劇ではなかったのかという疑いと、テープで聞いた子供の反応が信じられないという驚嘆から出た裁判長の言葉であろう。お可哀想な限りである。
次回は第一審における論告について考えてみたい。
証人として証言したのは、詩人の田村隆一氏と有吉佐和子氏である。田村証人に対しては斉藤正吉検察官が尋問したが、それは次のような証人の発言についてである。
中村弁護人
「・・・(『四畳半襖の下張り』の)文章の大半の部分が閨房(セックス)の描写ということになっておりますが、その点についてはどういうふうに。」
田村証人
「たいへんよろしいんじゃないでしょうか。非常によく描写されていると思いますね。」
中村弁護人
「その種の文章については、ひとつの評価のしかたとして、わいせつということがいわれるわけですが、証人の場合はそれをお読みになって、わいせつという感じをお持ちになりましたか。」
田村証人
「全然もちませんでした。」
中村弁護人
「・・・どいういうわけでわいせつでないと。」
田村証人
「非常に品が良かったと思います。やはり品が悪かったら内容が、たとえば何というか、わいせつとは反対のものを描いても、ぼくはわいせつだと思います。たとえば国家社会を論じても、それが言語世界として、品の悪い表現だったら、ぼくはわいせつだと思います。」
中村弁護人
「・・・わいせつかどうかの基準というのは文章の場合、それは品がいいかどうかということできまるということですか。」
田村証人
「そうです。もっとも、品の一般的基準というものはありませんがね。・・・」
この発言に対し、斉藤正吉検察官噛みついた。
斉藤正吉検察官
「先ほど証人のお話の中で、品が悪ければ内容がわいせつと反対のものであっても、わいせつだと思われるものがあるということをおっしゃったと思います。そしてそれがこと国家社会を論じた場合でも、やはりわいせつなものになるだとうということだったと思いわれますが、国家社会をどのように論じた場合にわいせつだというふうになるのか、その点、具体的にご説明願えますか。」
田村証人
「つまり、論ずるというのは、私の言葉が足りないのでテーマにして文学、散文を書いた場合ですから、だから題材によって、たとえば性を扱っているからこれが下品なものであって、ないしは社会正義を扱っているから格調の高いものだというふうに文学の言語表現の世界では単純にはいえないと、きわめて常識的なことを申し上げたまでです。もちろん性を扱ってそれを下品に表現したら、それはそれこそわいせつそのものですね。」
田村証人の発言は、あまりに詩的で、上品が下品かを見分けるためには体験を積まねばならぬ、経験を積めば自ずとその区別ができるようになるというものだ。
検察官にとっては絶好のツッコミどころとなること必定であった。国家社会をわいせつに論ずるとはどういうことなのか具体例を挙げて欲しかった。
続いて、有吉佐和子証人である。この証言は、検察官に、『四畳半襖の下張り』に対する冷ややかな態度とみなされることになる。
中村弁護人
「・・・(『四畳半襖の下張り』を)一読しての感想というものは、どういうものでありましたか。」
有吉証人
「・・・読んだあとの感想としては、(永井荷風が)つまらない男だなという印象をもちました。」
「・・・ああいう種類の性描写を熱心に書く男の作家、あるいは作品に対して、私が抱いているのと同じですが、男の人って可哀想だという気持です。」
「・・・やはり読む側の私が、まだ健康であり、十分若さもあり、まあ、私はああいうのは年寄りの読み物だと思っておりますから、こういうところでちょっというのはきまりが悪いけど、やはりああいうのは法廷で論じたり、それから文字で読んだりするよりも、実践のほうが楽しいはずだから、それを一生懸命ます目を埋めて書くというのは、すでに機能が衰えている作家であろうというふうに想像いたしまして、これもまたあわれをさそわれた原因でございます。」
実に卓見である。そんな老人の回春剤に目くじらをたててわいせつだと告訴するのは馬鹿げているということだろう。
興味深いのは、有吉証人が『山彦ものがたり』という劇で実際に交わされる会話に対する子供の反応をテープで再現した点である。
その劇には次のようなセリフがある。湯あみをしていた天女が漁師に羽衣を返して欲しいと迫る場面である。
漁師「とても返せなくなりましたよ」
天女「どうして」
漁師「私と結婚してください。そのあとなら返してあげます」
天女「結婚て何のこと」
漁師「え、あの、結局、結婚というのは、男と女が寝ることですよ」
天女「寝るって、どうするの」
漁師「寝るというのは、こうやって横になることです」
天女「横になるの。これで私たち結婚したの」
漁師「いや、一緒に寝るんですよ」
天女「どうやって」
漁師「どうって、つまり上になったり下になったりしてですね」
天女「そんなこと、羽衣がないとできないわ」
斉藤正吉検察官は、テープの再生に対して「いまだ開示を受けておりませんので異議があります。」と発言した。しかし、結局、休憩後、「再生については然るべく」と認めた。
有吉証人によれば、当初、この場面に対しては父兄からクレームがついたが、実際の子供たちの反応は、「ほんとうにあかるい、健康な笑い声」だったという。
有吉証人は次のようにまとめる。
「・・・性の解放というものが子供たちにもたらしているいい面として、この観客の反応、
ほとんど前のほうは子供が多いので、子供の笑い声をお聞きになったと思いますが、子供に対しては性の解放は喜ぶべき現象という意味で、つまり、戦前ならばこいうことはあり得なかった。その点、私は、いまの子供たちは健康で幸福だということを申し上げたくて、そういう時代に『四畳半襖の下張り』が販売されていることについては、昔ではない、子供たちでさえ、このぐらい解放されているということを申し上げたかったんです」
子供ですらこのくらい進んでいるのが1975年の日本であるという主張である。
この証言に対して斎藤正吉検察官は次のような尋問を行った。
斎藤正吉検察官
「先ほどの日生劇場における『山彦ものがたり』の上演の関係ですけれども、親と子が観客となっているんだという話ですね。」
有吉証人
「はい。」
斎藤正吉検察官
「子供さんというのは、年齢層からいたしますと、どのぐらいの・・・」
有吉証人
「三歳ぐらいから。もう誰も、退屈して通路を走り回るようなお子さんはひとりもいませんでした。一番下で三歳ぐらい。それからもちろん、小学校、中学校、高校、幼稚園で団体でいらしたところもございます。」
斎藤正吉検察官
「そうすると、いろいろな、バラエティーにとんだ年齢層だと伺ってよろしいわけですか。」
有吉証人
「はい。」
つまり、子供とはいっても、随分と広い年齢層にわたるわけでしょう?当然、高学年になれば、セックスの知識くらいはあるんじゃないですか?という印象を導き出すための誘導尋問だろう。
尚、日生劇場における『山彦ものがたり』の上演とそれに対する反応に対しては、新任の林修裁判長が大変な興味を示し、有吉佐和子証人との間に次のようなやりとりがあった。
林修裁判長
「先ほどのテープですが、実際舞台で演技をして、そういう表現がなされているわけですが、証人が演出されたということでお聞きしたいんですが、こうやって寝るとか、上になるとか下になるというのは、どういう表現にさせているんですか。」
有吉証人
「「横になって寝るんですよ」といって、漁師が横になって寝ます。そうすると天女が、「ああ横になるのね」といって、漁師の頭と自分の頭をくっつけて、足は反対側にのばして、「これで私たちは結婚したのか」と聞くわけです。そうるすと「そうじゃない」「ではどうやるのか」と、歌舞伎で四つ目という体位があるんですが、両手、両足を床について、これを交互にやって、上下に体を向ける四つ目という一か所でやる運動があります。それをやって見せながら、上になったり下になったりするんだと。で、そのまねを天女がやってみます。あれはかなり肉体的な訓練がないとできないんですけれども、四つんばいになったのが、そのまま手と足の位置をかえるだけで、上を向いたり下を向いたりというような体型になるんです。・・・」(恥ずかしながら私は理解できなかった)
林修裁判長
「それからそのテープですが、証人自身はその観客席にすわって、観客の反応をお聞きになったんですか。」
有吉証人
「はい。私は自分の演出した芝居は必ず観客席で、ことにできが良かったときなんかは毎日見ます。」
林修裁判長
「その八月二十四日の夜のテープ録音当時はどうですか。」
有吉証人
「見ています。」
林修裁判長
「どこで。」
有吉証人
「観客席です。」
いかがわしい劇ではなかったのかという疑いと、テープで聞いた子供の反応が信じられないという驚嘆から出た裁判長の言葉であろう。お可哀想な限りである。
次回は第一審における論告について考えてみたい。
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