式典を観た。

総理より広島市長と長崎市長が大物に見えるのは何故だろう。スピーチの重さが全然違う。

学生時代、6日9日と広島、長崎には何度も行ったが、あのうだるような暑さが忘れられない。

灼熱地獄の中で水を求め人々が彷徨ったのだ。傷口には蛆がわき、火傷にはつける薬もなかった。

湯川秀樹は死の直前まで核廃絶のために奔走した。世界連邦の樹立を志した。

科学と違い、理屈通りにはいかない人間社会に苛立ち失望しただろう。

日本で開催された科学者会議で湯川は議長を務めたが、核廃絶の下に科学者はなかなか集おうとはしなかった。

湯川は会議のブレイクに原爆攻撃直後の広島と長崎の惨状を記録した映画を上映した。字幕も何もない記録をただ淡々と科学者たちは見つめた。

その後、世界の科学者は圧倒的多数で核廃絶宣言を採択した。癌の末期症状にあった湯川はそれを見届けて途中退席し床に就いた。

核廃絶条約は核不拡散条約より遥かに現実的だ。参加していないのは核というオスの象徴を誇りたい少数民族だけだ。

「あなたはどこの国の総理ですか?」と被爆者は安倍に迫った。

核保有国と非核保有国の橋渡しをします、とのたまいながら、この条約に反対し、準備交渉にすら参加しなかった日本政府。相も変らぬ「核の傘」論。

北朝鮮とアメリカが舌戦を繰り広げている。だがチキンレースのままだし、これからもそうだろう。核を保有したところで手出しはできない。

何より国際世論が核の使用を許さない。これは被爆者が72年間、核兵器の「現実」を日本に向けて、世界に向けて知らせてきたからだ。

そして湯川のように核廃絶を使命として受け止める人々がいたからだ。オバマもその一人だった。

しかし、この世界の声がいつまでも続くと信じることは危うい。














コメント

hana
2017年8月10日17:36

listerさん^^

ライブでは観ることが出来ませんでしたが、ネットニュースで読みました。

lister
2017年8月11日9:34

☆hanaさん

6日と9日の式典だけはNHKのライブで観るようにしています。

しかしテレビでは被爆地のあのどよっとした蒸し暑さや空気の匂いが伝わってきません。

またいつか広島と長崎を訪ねたいと思います。

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