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一喜一憂 母との日々
2019年2月24日 日常 コメント (6)その後も母親の入院は続いている。
12月24日、雪の中に倒れている母を発見し救急車を呼んでから2か月近くが経とうとしている。
当初は医師から容態が急変したら蘇生措置をとりますか?心臓マッサージや人工呼吸器はどうしますか?と何回も聞かれ、その度に落ち込んでいた。
転院の時もヤブ医者から散々脅された。その度に悲しくなった。
こういうのは一種の職務放棄で、医師というのはどんな時でも家族を鼓舞し、治療に最善を尽くすものだろう。
医療訴訟が多くなり、委縮した医師が多くなったのだろうか。しっかりしろよ!
前回書いたように、抗うつ薬は私が母に投与している。看護師も滅多に病室へ来ないので特に問題はなかったが、とんでもないドジをやらかした。
病院から電話がある度に、急変したか?これから病院へ駆けつけて看取りをしろというのか?とドキドキである。
しかし、その時の電話は全く予想外だった。抗うつ薬がベッドの側に落ちていたというのである。
ポケットから出し入れした際に落ちたのだろう。咄嗟に、私は、それは私が服用している薬です、と対応した。
次の日、看護師から、薬については神経質になるので、自分の薬を服用するなら病室の外でしてください、ときつく叱られた。
だがうつ病患者の母親に抗うつ剤を投与することは止めることができない。医学的に当たり前のことだ。
で、またその日も抗うつ剤を飲ませた。お蔭て調子のよい日には意識がしっかりしており話もかなり通じる。
だが、一方で、調子の悪い時は、なかなか目も開けず、すぐに眠りに落ちる。
なんなんだろうな?と思う。うつ病の傍らに老衰がある。永遠の眠りに誘う母のカラダがある。
抗うつ剤を飲ませて、面会に行く日はいつも朗らかで意識もはっきりしている母を見たいというのは息子の我儘かも知れないとも思う。
だが、それには理由もあるのだ。
ひとつには、今回の入院の原因を作ったのが自分であるという点がある。
カフェインを含まないものもあるのに、よりにもよって強烈なスタミナドリンクを飲ませたため早朝に母を母屋に向かって歩かせてしまった。
また母の住む別宅と母屋の間にインターフォンを引いておらず、代わりに安上がりだからとトランシーバーしか置いていなかった点。
しかも、そのトランシーバーは使い勝手が悪く、電池切れ状態だったこと。簡単携帯を持たせていたなら事態は変わっていたかも知れない。
そういう後悔がある。
だが、もっと重大な後悔がある。
入院するまで、母は火曜と木曜、デイサービスに通い、金曜から月曜までショートステイで施設の厄介になっていた。
激務続きの私は母のいない週末をまるで天国のように感じていた。
逆に火曜と木曜は朝食を作り食べさせ、夕方に母が帰ってくると着替えさせ、夜中に仕事から戻ると猫の世話をした後、母親に薬を飲ませ、トイレから戻ってくるのを待ち、ようやく母屋へ帰って遅い夕食をとるという有様だった。
母は、必ず「ありがとう」と言ったが、疲れた私は返事もしなかった。
また、施設に行かない水曜は、朝、昼と食事を作り食べさせたが、それはまだましで、近年は母のカラダのあちこちにトラブルが起き、ほぼ毎週病院通いだった。
車に乗せ、病院で何時間も待たされ、薬局でも待って、朝出てから帰りは昼過ぎという日々が続いた。
介護を始める前、母親は私の前でひざまずいて、どうぞ家に置かせてくださいと頭を下げた。
そんな懇願をさせたこと自体が後悔だが、素っ気ない態度でしか介護をできなかったこと、「ありがとう」に返事すらしなかったことも今の私には心の傷である。
これまでどれだけ母親は私の味方であったことか。理不尽な事態に文句も言わず尽くしてくれたか。
今ころになって恩を返したいなんて虫が良すぎるか。後悔、後になって悔やむとはこのことだ。
とにかく、私は母が生きる限り病院へ通い、手を握り、額をさすりたい。意識がなくなったとしてもそうしたい。
調子が良い時の母親を見て、テレビを買った。意識があるなら入院は退屈だろうからテレビを観てもらうと。今の病院はテレビ持ち込みだ。
だが、今日は声掛けにもほとんど反応せず。
さて、こんな日々があと何日続くのか。母親とどんな下らないことでもいいから話したいと願うことは私の身勝手なのかも知れない。
もうゆっくりと永久の眠りに就きたいのか。
私の判断するところではない。それは母の寿命が決めるところだ。
分かってはいるが、明日も抗うつ剤を服用させ、一言二言でも母と話がしたくて病院へ行く。調子が戻っているかも知れない!
今日はほとんどの高校生と浪人生の教え子が国公立を受験したはずだ。最後の授業を土曜日に残し、しばしの休日が2週間くらい続く。
12月24日、雪の中に倒れている母を発見し救急車を呼んでから2か月近くが経とうとしている。
当初は医師から容態が急変したら蘇生措置をとりますか?心臓マッサージや人工呼吸器はどうしますか?と何回も聞かれ、その度に落ち込んでいた。
転院の時もヤブ医者から散々脅された。その度に悲しくなった。
こういうのは一種の職務放棄で、医師というのはどんな時でも家族を鼓舞し、治療に最善を尽くすものだろう。
医療訴訟が多くなり、委縮した医師が多くなったのだろうか。しっかりしろよ!
前回書いたように、抗うつ薬は私が母に投与している。看護師も滅多に病室へ来ないので特に問題はなかったが、とんでもないドジをやらかした。
病院から電話がある度に、急変したか?これから病院へ駆けつけて看取りをしろというのか?とドキドキである。
しかし、その時の電話は全く予想外だった。抗うつ薬がベッドの側に落ちていたというのである。
ポケットから出し入れした際に落ちたのだろう。咄嗟に、私は、それは私が服用している薬です、と対応した。
次の日、看護師から、薬については神経質になるので、自分の薬を服用するなら病室の外でしてください、ときつく叱られた。
だがうつ病患者の母親に抗うつ剤を投与することは止めることができない。医学的に当たり前のことだ。
で、またその日も抗うつ剤を飲ませた。お蔭て調子のよい日には意識がしっかりしており話もかなり通じる。
だが、一方で、調子の悪い時は、なかなか目も開けず、すぐに眠りに落ちる。
なんなんだろうな?と思う。うつ病の傍らに老衰がある。永遠の眠りに誘う母のカラダがある。
抗うつ剤を飲ませて、面会に行く日はいつも朗らかで意識もはっきりしている母を見たいというのは息子の我儘かも知れないとも思う。
だが、それには理由もあるのだ。
ひとつには、今回の入院の原因を作ったのが自分であるという点がある。
カフェインを含まないものもあるのに、よりにもよって強烈なスタミナドリンクを飲ませたため早朝に母を母屋に向かって歩かせてしまった。
また母の住む別宅と母屋の間にインターフォンを引いておらず、代わりに安上がりだからとトランシーバーしか置いていなかった点。
しかも、そのトランシーバーは使い勝手が悪く、電池切れ状態だったこと。簡単携帯を持たせていたなら事態は変わっていたかも知れない。
そういう後悔がある。
だが、もっと重大な後悔がある。
入院するまで、母は火曜と木曜、デイサービスに通い、金曜から月曜までショートステイで施設の厄介になっていた。
激務続きの私は母のいない週末をまるで天国のように感じていた。
逆に火曜と木曜は朝食を作り食べさせ、夕方に母が帰ってくると着替えさせ、夜中に仕事から戻ると猫の世話をした後、母親に薬を飲ませ、トイレから戻ってくるのを待ち、ようやく母屋へ帰って遅い夕食をとるという有様だった。
母は、必ず「ありがとう」と言ったが、疲れた私は返事もしなかった。
また、施設に行かない水曜は、朝、昼と食事を作り食べさせたが、それはまだましで、近年は母のカラダのあちこちにトラブルが起き、ほぼ毎週病院通いだった。
車に乗せ、病院で何時間も待たされ、薬局でも待って、朝出てから帰りは昼過ぎという日々が続いた。
介護を始める前、母親は私の前でひざまずいて、どうぞ家に置かせてくださいと頭を下げた。
そんな懇願をさせたこと自体が後悔だが、素っ気ない態度でしか介護をできなかったこと、「ありがとう」に返事すらしなかったことも今の私には心の傷である。
これまでどれだけ母親は私の味方であったことか。理不尽な事態に文句も言わず尽くしてくれたか。
今ころになって恩を返したいなんて虫が良すぎるか。後悔、後になって悔やむとはこのことだ。
とにかく、私は母が生きる限り病院へ通い、手を握り、額をさすりたい。意識がなくなったとしてもそうしたい。
調子が良い時の母親を見て、テレビを買った。意識があるなら入院は退屈だろうからテレビを観てもらうと。今の病院はテレビ持ち込みだ。
だが、今日は声掛けにもほとんど反応せず。
さて、こんな日々があと何日続くのか。母親とどんな下らないことでもいいから話したいと願うことは私の身勝手なのかも知れない。
もうゆっくりと永久の眠りに就きたいのか。
私の判断するところではない。それは母の寿命が決めるところだ。
分かってはいるが、明日も抗うつ剤を服用させ、一言二言でも母と話がしたくて病院へ行く。調子が戻っているかも知れない!
今日はほとんどの高校生と浪人生の教え子が国公立を受験したはずだ。最後の授業を土曜日に残し、しばしの休日が2週間くらい続く。
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コメント
身につまされるDNです。
お母様が私、listerさんが我が息子。
立場をそれぞれ想像して拝読させていただきました。
辛いです! 辛すぎます。
先日、主人の甥っ子が母親(主人の姉)と喧嘩して。プチ家出をしました。
凛とした佇まいだった母親の壊れていくさまを見るのが忍びなかったのでしょう。
でも、月日は流れてます。
自分の意志にかかわらず、老いて行きます。
自然体に、なるようにしかならない。
無理せず、今、出来る最上のものを目指せばいいと思いますよ。
お忙しい中、通ってきてくれる息子の事、お母様は、嬉しく、誇らしく感じていることでしょう。
お体、気を付けて、お励みくださいませ。
コメントをいただきありがとうございます。
辛い気持ちが和らぎます。
私は人の親になったことが無いので、母の気持ちがうまく
理解できないのかも知れません。
親子は一番近くて一番知らない同士なのかなと思います。
おっしゃる通り、なるようにしかならないですね。寿命ば
かりはどうにもなりません。
私も母と別れる日が来ることに備えなければなりませんね。
残念ですが。
ありがとうございます。今できることで最上のものを目指せ
ばいいのだと思うとほっとします。
お心遣いありがとうございます。
お母様との葛藤の日々、お察しいたします
拝読し10数年前を思い出し涙しております
ダッコしてあやし、立てば喜び、早く歩け歩きなと励まし、出来たネ~と褒め、叱り!叱って!!心配しながら育てた我子に面倒を看てもらってる事はむしろ誇りに思っていると思います
何ら悔やむ事は有りません
波が有るかもしれませんが話が出来る時はイッパイ会話を楽しんで下さい
寒い時期ですご自身の体にも気を付けて介護してあげて下さい
遠くから応援しております
コメントが遅くなってすみません。こちらこそお久しぶりです。
pieroさんにもそのようなご経験がおありなのですね。親がいる限り
避けては通れない道ですね。
世話になるだけなって恩返しの一つもできなくて、自己満足だとは
知りながら毎日面会し手を握っています。
まだ意識はしっかりしており、簡単な会話はできます。母と話して
いる瞬間が何よりも幸せです。
母が微笑んでくれた時、今まで至らなかったことを全て許してくれ
ているようで有難く思います。
お気遣いありがとうございます。こちらも春の気配がしてきました。
これからは母にとっても過ごしやすいシーズンになると思います。
応援していただいて幸せです。コメントありがとうございました。
春から夏へ、そして秋へと季節は移り変りました。
listerさんはいかがお過ごしでしょうか?
お久しぶりです。ここではもう晩秋の気配です。
いろいろとあるのですが、元気に忙しく暮らしています。
hanaさんからコメントをいただいたからには更新しなければなりませんね。
詳しくはその中で。