岡崎聡子という生き方(2)加筆
2013年3月14日 日常ドラッグに関するサイトには。いけませんよ!手を出したら廃人ですよ!なんて警句が並んでいます。飲んだら乗るな!的な。
メタンフェタミンといえば、代表的な覚醒剤ですが、これが規制されるには1951年の覚せい剤取締法の成立を待たねばなりませんでした。
中毒症状を予測するのはそんなに難しかったのでしょうか?素人の私には分かりません。多くの軍人に服用させ、中毒患者は出なかったのでしょうか?
戦中から1951年まで(厚生省がメタンフェタミンを劇薬指定したのは1949年)この覚醒剤はヒロポン他の名称で合法製造・販売されていました。
ヒロポン文化については下記のリンクを参照。酒やタバコよりも安く、受験生のような未成年の間でも眠気覚ましとして流行しました。信じられません。
能書きには、一応、副作用についても記されているのですが・・・
http://www2.ttcn.ne.jp/heikiseikatsu/600000.html
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/196/
http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-406.html
どうしてもひっかかるのが、1853年に覚醒剤メタンフェタミンの合成に成功した東京帝国大学教授とヒロポンを販売した大日本製薬合資会社(半官半民、後の大日本製薬株式会社、現在の大日本住友製薬株式会社)技師長を兼ねていた長井長義です。
彼が、終生、メタンフェタミンの副作用はおろか、覚醒作用についても知らなかったというのは信じ難いことです。
これ以上書くと名誉毀損になるかも知れないので、この辺にしておきますが、いつかじっくり調べてみたいと思います。
ヒロポンでは50万人近い中毒者が出たとされます。この間、メタンフェタミンの製造法は社会の底辺にまで浸透し、非合法化された後も闇ルートで広がったといいます。
時代が変われば・・・の典型です。今でもヒロポンは治療薬として2種類が製造されています。
治療のために十分コントロールして使えば大丈夫なのか、そんなものを使うようになってしまえば元々あの世は近いということなのか分かりません。
岡崎聡子さんに戻りましょう。
芸能人、有名人などは、逮捕される度に、麻薬、特に覚醒剤の常習性、依存性をアピールするための宣伝塔となります。
田代まさしさんなどは、げっそりと痩せ、やつれた姿をアピールする上で格好の材料だったでしょう。
酒井法子さんには、そういうイメージはありませんでした。
5回目の逮捕で服役中に投稿された「役に立たない女子刑務所の薬物教育」で、岡崎聡子さんは意気軒昂です。
掲載した「創」の編集部には、毎日のように岡崎さんから大量の手紙が届き、彼女は「手紙魔」であると表現されています。
裁判には情状証人として息子が出廷し、悲劇の主人公を演じさせられたとあります。
そういう可愛そうな息子のためにも、岡崎さんが更生するだろうという印象でも与えるのでしょうか。こういう子供が一番の犠牲者だと述べています。
大麻や覚醒剤は酒と同じ感覚で使っていたといいます。食べ物が美味しい、楽しい、気持ちが明るくなると。
また、大麻や覚醒剤を使ってセックスする時の快感も目的だったそうです。
一度、そういう覚醒剤の効用を知ってしまうと、なかなか知らなかった頃には戻れないと。
しかし、精神的な依存はあっても身体面では何の影響も現れなかったと主張します。よく言うようなボロボロ状態にはなっていない。
オーバードーズ(過量服薬)は決してしなかったし、彼女の家の電話の下には「中毒110番」の番号がデカ字で貼ってあったとのこと。
MAMD(通称エクスタシー。他人との一体感を生じさせセックスの快楽を増長する。PTSDの治療薬として使われた)のオーバードーズで相手の女性を死に至らせた押尾学さんを批判している。
さすがに乱用の怖さは認めています。お金と同じで、使っているつもりが、逆に支配されることがあると。彼女の場合、まさにこれじゃないでしょうか。
岡崎さんに特徴的なのは、覚醒剤がコントロールして使われれば何も悪いことはないという確信に満ちている点です。覚せい剤取締法こそが間違っていると。
その上で更生施設としての刑務所に言及します。「薬物離脱教育」(以前は「薬害教育」とよばれた)は毎回受けているそうです。
初犯の時の初犯工場(栃木、薬物犯多し)でも、4回目の逮捕で服役した福島刑務所の雑居(薬物犯少数、約3年服役)の時も受けたが、皆、仮釈放をもらうために、その気もないのに「反省」の言葉を述べ、教官を満足させていたとこのこと。
「創」編集者にも、心身がボロボロになるというのなら、アルコールでもっと酷いことになった人はいくらでもいるのに、それは何故、犯罪にならないのかと迫ったとか。
たばこやアルコールには課税できるので必要悪、覚醒剤は、暴力団など「反社会的」組織の資金源になるということかな。
日本全国、覚醒剤なんて簡単に手に入るでしょ。その状況自体がおかしい。
昔、大阪(伊丹)空港で、ヤクザの親分と思われる人が、大勢の迎えの衆の前で税関をフリーパスしていた。何でも持ち込み放題である。
私は、シンガポール空港が禁煙で灰皿がなかったため、フィルムのキャップにタバコの吸殻を詰めていたら、税関で取調べを受けた。何なの、この差?
生活保護問題でも、ヤクザへの不正支給をどれほど摘発しているのか?
話は逸れたが、岡崎さんが指摘するのは、女子刑務所は麻薬中毒者のための更生施設足りえるかということだ。
ネット上では、薬物の累犯者に対する刑罰を重くすれば解決するというようなことを書いている人が多い。全く単純な人々だ。
私の知り合いの女性は、覚醒剤で逮捕された時、先ず、精神科に入院した。薬物中毒は、立派な精神医学的障害なのだ。退院すると裁判が待っている。
医学的に病院ができるのは、麻薬成分をカラダから抜き、覚醒剤に代わる覚醒剤である向精神薬を投与するくらいだ。
本当に問題である精神的依存には、アル中に有効な心理社会的治療アプローチである集団認知行動療法が使われる。これも精神医学の一つか。
同じような患者が、家族が、配偶者が集まり、話し合い、結束を強めて、再犯を防止するアプローチだ。
アメリカではドラッグ・コートというのがあり、薬物に手を出してもすぐには刑罰を科さず、精神的依存から抜け出すためのプログラムを受けさせる。
プログラムの途中でドラッグに手を出さなければ無罪となる。薬から離脱すれば、クーポンで現金支給などというものもある。
イギリスでは、重症の中毒患者には、依存性のより低い薬物を定期的に一定量無料で処方する。
薬物中毒、依存症は病であり、法で罰しても治るものではないということを理解すべきだ。
日本も、覚醒剤依存症を本気で無くそうと思うなら、同様のアプローチをとるべきだろう。対応すべきは警察や検察ではなく、病院や覚醒剤依存者用NPOのような更生施設だ。
売り手の徹底摘発ということも必要である。日本はこの点で非常に甘い。
それにしても、岡崎聡子さんの確信犯ぶりには驚いた。覚醒剤と共に生きることを選択しているのだ。
身体的症状が出ない。これは覚醒剤の使い方によるのか、体質の問題なのか、私にはよく分からないが、精神的依存こそが病気なのだ。
それに、岡崎聡子さんの場合は、逮捕、服役で、初犯から人生の半分を刑務所で送っている。この間の離脱が身体的症状が出ない原因かも知れない。
法律は平均であり、全体を画一的に網に掛ける。覚醒剤によって身体的症状の出る人が平均より多ければ、日本国民全員に覚せい剤取締法を適用する。
たばこと酒は一律20歳までダメですよという、ほとんど意味も効果も無い法律で一応国民を縛ったことになっている。
そうしたフィクションに基づく罰則によって覚醒剤を追放しようとすることは不可能なのだということを岡崎聡子さんは教えてくれた。
生まれつきの反面教師なのである。現在52歳。覚醒剤依存が病であることを示すのに十分のキャリアを積んだと思う。
追加
スポーツしか知らないスポーツバカのオリンピック選手には順位に応じた年金を支払うべきだろう。確か韓国ではそういうことになっているはずだ。
お国のために尽くした人々である。若い間だけが華のアスリートだ。
日本に限らず、元女子オリンピックアスリートが売春にまで手を染めることは日常化しており、今井メロさんもその一人だ。
体操しか知らない18歳の体操バカから体操をとったら何が残るのか?大学は中退なので学歴もない、という岡崎聡子さんの問いを真剣に受け止めるべきだろう。
メタンフェタミンといえば、代表的な覚醒剤ですが、これが規制されるには1951年の覚せい剤取締法の成立を待たねばなりませんでした。
中毒症状を予測するのはそんなに難しかったのでしょうか?素人の私には分かりません。多くの軍人に服用させ、中毒患者は出なかったのでしょうか?
戦中から1951年まで(厚生省がメタンフェタミンを劇薬指定したのは1949年)この覚醒剤はヒロポン他の名称で合法製造・販売されていました。
ヒロポン文化については下記のリンクを参照。酒やタバコよりも安く、受験生のような未成年の間でも眠気覚ましとして流行しました。信じられません。
能書きには、一応、副作用についても記されているのですが・・・
http://www2.ttcn.ne.jp/heikiseikatsu/600000.html
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/196/
http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-406.html
どうしてもひっかかるのが、1853年に覚醒剤メタンフェタミンの合成に成功した東京帝国大学教授とヒロポンを販売した大日本製薬合資会社(半官半民、後の大日本製薬株式会社、現在の大日本住友製薬株式会社)技師長を兼ねていた長井長義です。
彼が、終生、メタンフェタミンの副作用はおろか、覚醒作用についても知らなかったというのは信じ難いことです。
これ以上書くと名誉毀損になるかも知れないので、この辺にしておきますが、いつかじっくり調べてみたいと思います。
ヒロポンでは50万人近い中毒者が出たとされます。この間、メタンフェタミンの製造法は社会の底辺にまで浸透し、非合法化された後も闇ルートで広がったといいます。
時代が変われば・・・の典型です。今でもヒロポンは治療薬として2種類が製造されています。
治療のために十分コントロールして使えば大丈夫なのか、そんなものを使うようになってしまえば元々あの世は近いということなのか分かりません。
岡崎聡子さんに戻りましょう。
芸能人、有名人などは、逮捕される度に、麻薬、特に覚醒剤の常習性、依存性をアピールするための宣伝塔となります。
田代まさしさんなどは、げっそりと痩せ、やつれた姿をアピールする上で格好の材料だったでしょう。
酒井法子さんには、そういうイメージはありませんでした。
5回目の逮捕で服役中に投稿された「役に立たない女子刑務所の薬物教育」で、岡崎聡子さんは意気軒昂です。
掲載した「創」の編集部には、毎日のように岡崎さんから大量の手紙が届き、彼女は「手紙魔」であると表現されています。
裁判には情状証人として息子が出廷し、悲劇の主人公を演じさせられたとあります。
そういう可愛そうな息子のためにも、岡崎さんが更生するだろうという印象でも与えるのでしょうか。こういう子供が一番の犠牲者だと述べています。
大麻や覚醒剤は酒と同じ感覚で使っていたといいます。食べ物が美味しい、楽しい、気持ちが明るくなると。
また、大麻や覚醒剤を使ってセックスする時の快感も目的だったそうです。
一度、そういう覚醒剤の効用を知ってしまうと、なかなか知らなかった頃には戻れないと。
しかし、精神的な依存はあっても身体面では何の影響も現れなかったと主張します。よく言うようなボロボロ状態にはなっていない。
オーバードーズ(過量服薬)は決してしなかったし、彼女の家の電話の下には「中毒110番」の番号がデカ字で貼ってあったとのこと。
MAMD(通称エクスタシー。他人との一体感を生じさせセックスの快楽を増長する。PTSDの治療薬として使われた)のオーバードーズで相手の女性を死に至らせた押尾学さんを批判している。
さすがに乱用の怖さは認めています。お金と同じで、使っているつもりが、逆に支配されることがあると。彼女の場合、まさにこれじゃないでしょうか。
岡崎さんに特徴的なのは、覚醒剤がコントロールして使われれば何も悪いことはないという確信に満ちている点です。覚せい剤取締法こそが間違っていると。
その上で更生施設としての刑務所に言及します。「薬物離脱教育」(以前は「薬害教育」とよばれた)は毎回受けているそうです。
初犯の時の初犯工場(栃木、薬物犯多し)でも、4回目の逮捕で服役した福島刑務所の雑居(薬物犯少数、約3年服役)の時も受けたが、皆、仮釈放をもらうために、その気もないのに「反省」の言葉を述べ、教官を満足させていたとこのこと。
「創」編集者にも、心身がボロボロになるというのなら、アルコールでもっと酷いことになった人はいくらでもいるのに、それは何故、犯罪にならないのかと迫ったとか。
たばこやアルコールには課税できるので必要悪、覚醒剤は、暴力団など「反社会的」組織の資金源になるということかな。
日本全国、覚醒剤なんて簡単に手に入るでしょ。その状況自体がおかしい。
昔、大阪(伊丹)空港で、ヤクザの親分と思われる人が、大勢の迎えの衆の前で税関をフリーパスしていた。何でも持ち込み放題である。
私は、シンガポール空港が禁煙で灰皿がなかったため、フィルムのキャップにタバコの吸殻を詰めていたら、税関で取調べを受けた。何なの、この差?
生活保護問題でも、ヤクザへの不正支給をどれほど摘発しているのか?
話は逸れたが、岡崎さんが指摘するのは、女子刑務所は麻薬中毒者のための更生施設足りえるかということだ。
ネット上では、薬物の累犯者に対する刑罰を重くすれば解決するというようなことを書いている人が多い。全く単純な人々だ。
私の知り合いの女性は、覚醒剤で逮捕された時、先ず、精神科に入院した。薬物中毒は、立派な精神医学的障害なのだ。退院すると裁判が待っている。
医学的に病院ができるのは、麻薬成分をカラダから抜き、覚醒剤に代わる覚醒剤である向精神薬を投与するくらいだ。
本当に問題である精神的依存には、アル中に有効な心理社会的治療アプローチである集団認知行動療法が使われる。これも精神医学の一つか。
同じような患者が、家族が、配偶者が集まり、話し合い、結束を強めて、再犯を防止するアプローチだ。
アメリカではドラッグ・コートというのがあり、薬物に手を出してもすぐには刑罰を科さず、精神的依存から抜け出すためのプログラムを受けさせる。
プログラムの途中でドラッグに手を出さなければ無罪となる。薬から離脱すれば、クーポンで現金支給などというものもある。
イギリスでは、重症の中毒患者には、依存性のより低い薬物を定期的に一定量無料で処方する。
薬物中毒、依存症は病であり、法で罰しても治るものではないということを理解すべきだ。
日本も、覚醒剤依存症を本気で無くそうと思うなら、同様のアプローチをとるべきだろう。対応すべきは警察や検察ではなく、病院や覚醒剤依存者用NPOのような更生施設だ。
売り手の徹底摘発ということも必要である。日本はこの点で非常に甘い。
それにしても、岡崎聡子さんの確信犯ぶりには驚いた。覚醒剤と共に生きることを選択しているのだ。
身体的症状が出ない。これは覚醒剤の使い方によるのか、体質の問題なのか、私にはよく分からないが、精神的依存こそが病気なのだ。
それに、岡崎聡子さんの場合は、逮捕、服役で、初犯から人生の半分を刑務所で送っている。この間の離脱が身体的症状が出ない原因かも知れない。
法律は平均であり、全体を画一的に網に掛ける。覚醒剤によって身体的症状の出る人が平均より多ければ、日本国民全員に覚せい剤取締法を適用する。
たばこと酒は一律20歳までダメですよという、ほとんど意味も効果も無い法律で一応国民を縛ったことになっている。
そうしたフィクションに基づく罰則によって覚醒剤を追放しようとすることは不可能なのだということを岡崎聡子さんは教えてくれた。
生まれつきの反面教師なのである。現在52歳。覚醒剤依存が病であることを示すのに十分のキャリアを積んだと思う。
追加
スポーツしか知らないスポーツバカのオリンピック選手には順位に応じた年金を支払うべきだろう。確か韓国ではそういうことになっているはずだ。
お国のために尽くした人々である。若い間だけが華のアスリートだ。
日本に限らず、元女子オリンピックアスリートが売春にまで手を染めることは日常化しており、今井メロさんもその一人だ。
体操しか知らない18歳の体操バカから体操をとったら何が残るのか?大学は中退なので学歴もない、という岡崎聡子さんの問いを真剣に受け止めるべきだろう。
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